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日蓮聖人の僧侶観
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犀角独歩
:2008/10/23(木) 08:16:15
問答名人さん
わたしは、お坊さんの知り合いはたくさん、いるわけで、そうした意味で、今回のスレッドは、いわば棚上げにしてきたテーマの一つです。まあ、坊さんのことは坊さん自身が考えればよいという「他人事」という一面もありました。
しかし、日蓮というジャンルで考えるとき、実はこのテーマは避けて通ることができないことと一つです。
仏法僧は三宝であるといい、国の宝であるとまで言われてきたわけです。神聖にして犯すべからずという扱いでありました。しかし、大石寺がいう仏・法について、その虚構を、完膚無きまでに暴いてきたわけですから、残す僧ばかりを棚上げにしては、残してしまうことになります。やはり、論じないわけにはいきません。
ただし、その論じ方は、創価学会がやるような大石寺僧侶の糾弾といったことではなく、まずは、日蓮の僧侶観を俯瞰することから始めたいのです。
そもそも、大石寺の坊さんなど論外で、こんなものは批判以前に朽ちているわけですから、ああだこうだということ自体、時間の無駄というものです。ここの、仏も、法も、嘘であることは白日の下にさらしたわけですから、その嘘を担いでいる坊さんは、その生活態度や宗教的な資質を云々する以前に、土台が腐っている泥船の乗員です。乗員であるここの坊さんは、泥船は朽ち果てて、仏海の藻屑と化し、そのうち、溺死するわけですから、糾弾するまでもないでしょう。大地震前に逃げ出す鼠たちのように、その泥船から逃げ出すことを奨励するばかりです。まあ、その前に土下座して謝罪する人間性ぐらいは示してほしいという期待はありますが、そんなことを望める連中でもないでしょう。
わたしが今回、テーマとして考えるのは、こうした連中によって、泥まみれにされた「日蓮聖人」が本来、懐いていた僧侶観を、まず闡明にすることで、そして、その闡明になった僧侶観をもって、もう一度、論じたいということです。
以上の筋で、よろしくお願い申し上げます。
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