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日蓮聖人の僧侶観
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犀角独歩
:2008/11/01(土) 18:55:46
問答名人さん
日蓮聖人がどんな坊さんであったのか。また、その「どんな」を弟子の坊さん達にも同じように見習わせようとしたという見方は、大きくは外れていないと思えます。
当掲示板では、真蹟主義を貫いてきましたが、一方、疑偽書にある内容は、滅後、どのような変遷を遂げたのかを知る資料となります。また、疑偽書とまで言えず、真蹟濃厚の写本?もまた、同様の資料性は有します。
わたしは、こうした資料のなかで、「日蓮聖人の僧侶観」を俯瞰するうえで、『四菩薩造立鈔』を挙げたいと思います。実際のところ、日蓮聖人の真筆か否かをここでは特定できませんが、日蓮門下に、こうした考えが伝承されていったことは事実であるといえるからです。このなかに、以下のようにあります。
「私ならざる法門を僻案せん人は 偏に天魔波旬の其身に入替て 人をして自身ともに無間大城に墜べきにて候つたなしつたなし 此法門は年来貴辺に申含たる様に人々にも披露あるべき者也 総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ さだにも候はば、釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守候べし」
つまり、日蓮聖人の「私法門」とは、この前段にある「今の時は正には本門 傍には迹門也」という点に尽きますが、しかし、さらに敷衍して「私ならざる法門を僻案せん人は 偏に天魔波旬の其身に入替て 人をして自身ともに無間大城に墜べき」という点は、看過できません。
法門以外の点については、真蹟にはないものの「随方毘尼」などということもいわれますが、ともかくも、日蓮聖人の厳格な姿勢と、門下への継承は、上記一文に見られるように思えます。
さらに、以下のように言います。
「以此等意案之 我門家夜断眠 昼止暇案之。一生空過万歳勿悔(此等の意を以て之を案ずるに 我門家は夜は眠りを断ち 昼は暇を止めて之を案ぜよ 一生空しく過して万歳悔ゆる事勿れ」
また、断簡ながら、『師子王御書』に以下の文も見られます。
「願は我弟子等師子王の子となりて群猿に笑る事なかれ 過去遠々劫より已来 日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す師には値がたかるべし 国王の責めなををそろし いわうや閻魔のせめをや。日本国のせめは水のごとし ぬるゝををそるゝ事なかれ 閻魔のせめは火のごとし 裸にして入とをもへ 大涅槃経の文の心は 仏法を信じて今度生死をはなるゝ人の すこし心のゆるなるをすゝめむがために 疫病を仏のあたへ給 はげます心なり すゝむる心なり」
わたしは自分を振り返るとき、こうした日蓮聖人が示す僧侶観を、石山「御尊師」は遵守し、広宣流布に邁進していると信じていました。
上人真筆といえるかどうかは一考を要するものの『日興遺誡置文』には
「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」
そうした日蓮聖人、日興上人の僧侶観を遵守する「御尊師」であると信じた故に、指導教師として仰ぎもしてきたわけです。
しかし、蓋を開けてみれば、トップの阿部日顕さんからして、所謂「本門戒壇の大御本尊」が偽物であると知りながら、謀り、人を騙してあの彫刻をもって商いに慚愧の片鱗もありませんでした。トップがこれであれば、下は押して図るべきです。
しかしながら、ここに問答さんや、わたしが、これらを糾弾するまでもなく、日蓮聖人が語る僧侶観を照らし合わせるとき、こうした連中の「日蓮聖人への裏切り」は闡明なところとなります。こうした点は、いま、わたしが記すまでもなく、問答さんも長らく糾弾されたことでした。しかし、なにより、こうした坊さん連中の悪行は、「日蓮聖人の僧侶観」があますことなく弾劾しています。
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