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日蓮聖人の僧侶観
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:
犀角独歩
:2008/10/25(土) 08:21:54
問答名人さん
『立正安国論』ですが、このテーマは、もちろん、念仏の停止(ちょうじ)であり、法然・選択・念仏をする僧を悪、法華涅槃によると善という二者択一によって論が展開されています。
しかし、そこで根拠とされる僧侶(出家・比丘)の善悪は、法華涅槃(善)と阿弥陀(悪)によってない点を指摘できます。
仏法における僧という視点から考えるとき、この前提となる、つまり、日蓮聖人が根拠として引用する経釈のほうにこそ、本来の僧侶の在り方を示すエッセンスがあると、わたしは読みます。
ややこしいので、もう少し書きます。
・経釈には僧侶(比丘)の善悪をいう
・・・持戒比丘:破戒比丘=善:悪
・・・壊法比丘:持法比丘=善:悪
・日蓮聖人は経釈でいう僧侶の善悪二分説は
・・法華涅槃僧:阿弥陀僧=善:悪
これはレトリックではないですか。
本来の経釈は、おおむね破戒・持戒、もしくは壊法・持法という点で比丘(僧)の善悪を決判しているのです。
ところが、『守護国家論』以来、もちろん『立正安国論」における善悪の分別は“戒”ではなく、のちにいう“権実相待”にあることが窺えます。
ここでは、たぶん、釈迦(仏)・法華涅槃(法)を捨てさせる行為が「壊法」に当たるという思慮がはたらいているのでしょう。しかし、権教(阿弥陀)であるといっても、それを捨てさせることは、択一論から離れれば、論法としては一緒なのであって、壊法に当たらないのかという疑問が残ります。
経典を一切釈迦の所説とすれば、阿弥陀といえども釈迦の説ですから、これを捨てることは壊法、破戒に違いありませんか。
たぶん、日蓮聖人その人に遡源できるこの二者択一論と、それによって導き出される法華涅槃持者が善僧・聖僧・聖人であるという「日蓮の僧侶観」は、従前の僧侶観と、かなり隔絶があると思えるのです。
この点について、問答さんのご意見を承りたいと思います。
§
○以下、主な『立正安国論』にみられる出家、比丘、僧・侶の記述
夫出家而入道者依法而期仏也
爾時多有為飢餓故発心出家 如是之人名為禿人 是禿人輩見護持正法駈逐令出若殺若害
是故我今聴持戒人依諸白衣持刀杖者以為伴侶 雖持刀杖我説是等名曰持戒。雖持刀杖不応断命
正法滅後於像法中当有比丘 似像持律少読誦経貪嗜飲食長養其身雖著袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠
涅槃経云若善比丘見壊法者置不呵責駈遣挙処当知是人仏法中怨 若能駈遣呵責挙処是我弟子真声聞也 余雖不為善比丘之身為遁仏法中怨之責唯撮大綱粗示一端
持戒比丘 名曰覚徳
主人喩曰仏閣連甍経蔵並軒僧者如竹葦侶者似稻麻
客猶憤曰明王因天地而成化聖人察理非而治世 世上之僧侶者天下之所帰也
於悪侶者明王不可信 非聖人者賢哲不可仰 今以賢聖之尊重則知龍象之不軽 何吐妄言強成誹謗。以誰人謂悪比丘哉
是非破仏哉 是非破法哉 是非破僧哉 此邪義則依選択也
早止一闡提之施永致衆僧尼之供収仏海之白浪截法山之緑林世成羲農之世国為唐虞之国 然後斟酌法水浅深崇重仏家之棟梁矣
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