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摂受と折伏について

524ひたち:2005/06/26(日) 15:47:58
>>513 乾闥婆さん

どちらにも読めるでは合意に至りませんね。
そう読むと問答の論理を破壊しますから、私はその説を採れないわけです。

>蓮祖自身が引用した経釈の部分をわざわざ読み替えなくてもよくなるわけです。

4書の引用順について>>494に考察を示しました。引用によって何を主張しているかが重要です。蓮師はこの段で何を主張しましたか。としてそれは問答の問いのないようにちゃんと答えていますか。

525顕正居士:2005/06/26(日) 16:15:05
ひたちさん。この掲示板はツリー式ではありませんから二人だけの議論をなさる場合は別にスレッドを立てて
なさるのがよろしいかと存じます。

526ひたち:2005/06/26(日) 16:21:21
>>520 犀角独歩さん

>「獅子吼・悪人降伏不能がどうして、折伏なのでしょうか。この点を補足願います

このような問いを起こすことはいかがなものでしょうか。第二問答の問いの内容から、この段は折伏の時に摂受をなすことの利益の有無のために引用されているわけです。しかなれば、出家の獅子吼・悪人降伏を折伏と判ずるは自然の流れでしょう。

>廃除どしていないでしょう。前後の問題に過ぎません。両意ありです。

両意あり。しかれども、当世日本国は破法の国なれば、折伏が先です。事実、第二第さん問答では、折伏がメインで論が展開します。

>これは実に便利な論法ですよね。都合の悪いところは、ただの引用としてしまうわけですか。

しかたありません。同じポアの思想を蓮師が引用を字面通り解釈しなかったという事実があるのですから有効な論法でしょう。

>どちらとも言えないでしょうね。

それでは仏説に基づかないことになってしまいます。乾闥婆さんの話ともからみますので、そちらの方で少し書きたいと思います。

>自分の行為が折伏だと力んだところで経釈の証明がなければ成り立たないと言うのが、実は日蓮のロジック

そうですね。だから、あの4書の引用順序は見事だと思います。あの順序によって、涅槃経の字面をそのまま受け入れる必要が薄れています。その意味では、立正安国論よりも分かりやすいです。立正安国論は論という性格上、経文直接引用で、釈を含めないという点があり、意が通じないところもあるのだと思います。

>まあ、信じているというか、そのような構成になっているだろうと、おおかた考えております。

わかりました。独歩さんの話を考慮する上で、参考にいたします。この件はお詫びいたします。

>「見壊法者不置呵責」を折伏と考えるか・否かの回答をお待ちします。

折伏と考えます。ただし、ここの引用は折伏を示すために引用されているのではありません。折伏は、第一問答で既に選択されています。

527顕正居士:2005/06/26(日) 16:29:49
摂受折伏スレッドは短い間にたいへんな数の投稿がございました。そのかわりにツリー式でない欠陥が生じ、
論旨を追い難くなっています。

2つくらい別のスレッドを立てたらよいんでないでしょうか?

1 「摂受折伏の主体は誰か?」
2 「仙予国王説話をめぐって」

3 「摂受折伏関連遺文の真偽」
4 「中世寺社武装勢力と日蓮宗」

などもあってよいかもしれません。

528ひたち:2005/06/26(日) 16:35:41
>>522 乾闥婆さん

>「開目抄」から振り返るに、やはり折伏の要求なのではないでしょうか。

では問いますが、 乾闥婆さんは、「止施」をもって折伏であったと判ずるわけですね。

>摂受に当てはまらない自身の行動に対する説明です。

これは不可でしょう。4書引用の後に、ただちに以下のように書くわけです。

「が不審をば世間の学者多分道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人のごとくなるゆへに先づ天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ」

あてはまらないのでは、「邪難をふせ」いだことにならないでしょう。

>大きな霊感

霊感に包まれているかどうかはその人の感想ですから、とやかくいう立場にありません。私は開目抄はきわめて論理的な展開だと思います。霊感を持ち出す必要はないように思います。どちらにしても、越えたとした場合、仏説を越えたということになります。

私は「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」も霊感などではなく、きわめて論理的だと思います。直前の論に、「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」とあり、直後に「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」を引くわけです。そして大きくは、開目抄のメインテーマと連結するように巧みに構成されています。

529ひたち:2005/06/26(日) 16:57:59
顕正居士さん

わたしはこの掲示板では新米ですからなかなかルールがわからないのですが、ついつい特定の方とやり取りすることが多くなってしまい失礼しております。具体的にはどのように判断するのがよいでしょうか。

530犀角独歩:2005/06/26(日) 17:15:20

まず、ともかく、顕正居士さんの別スレッドのご提案に賛意を表し、管理人さんには、わたしもお願い申し上げます。

531顕正居士:2005/06/26(日) 17:25:00
ひたちさん。

ここの掲示板ではスレッド乱立を防ぐために管理者問答迷人さんのみが新スレッドを立てられます。
とりあえず、

 「摂受折伏の主体は誰か?」

がよいとおもいます。この話題が非常に多かったですから。

ひたちさんが題に異議なければ、以上賛成の旨をお書きになれば、問答迷人さんが立ててくださるでしょう。
以後は「摂受折伏の主体」に関する話題はみなさんこちらへ投稿なさって下さい。この話題はたしかに重要
です。私見では、摂受も折伏も仏の側からされるものであるという視点を欠くと、遺文の表現がなにか曖昧に
見えてしまうのです。

532犀角独歩:2005/06/26(日) 17:29:24

ひたちさん

>>「獅子吼・悪人降伏不能がどうして、折伏なのでしょうか。この点を補足願います
> このような問いを起こすことはいかがなものでしょうか。

別段、何ら問題はないでしょう。

> 第二問答の問いの内容から、この段は折伏の時に摂受をなすことの利益の有無のために引用されているわけです。しかなれば、出家の獅子吼・悪人降伏を折伏と判ずるは自然の流れでしょう。

まるで自然な流れではないですね。
また、ここは「出家の獅子吼・悪人降伏」というのではなく、「不能作師子吼・不能降伏非法悪人・不能自利及利衆生」で、まるで逆です。何か勘違いなさっていませんか。

> 廃除などしていないでしょう。前後の問題に過ぎません。両意ありです。
>> 両意あり。しかれども、当世日本国は破法の国なれば、折伏が先…折伏がメイン

ですから、その答であれば前後ですから、廃除とはなっていません。

> これは実に便利な論法ですよね。都合の悪いところは、ただの引用としてしまうわけですか。
>> 有効な論法でしょう。

これは、まったくいただけません。
では、論点を変えてお聞きしますが、「執持刀杖斬(断)首」はなんのために、引用されたわけでしょうか。意味もなく、ただの引用ですか。そんな言い方が成り立つのであれば、そもそも折伏のただの引用、はい、それまでで終わりです。議論にも、考証にもなりません。単に自分の論を進めるために不都合なところは「ただの引用」でお終いすれば、議論として成り立ちません。
> 涅槃経の字面をそのまま受け入れる必要が薄れています

これまた、勝手な論法でしょう。日蓮は自身の擬刎頭を主張しているのです。受け入れないどころか、真正面から受け入れています。

533乾闥婆:2005/06/26(日) 17:35:14
>>521
犀角独歩さん。

>生きては帰れない佐渡流罪の地で、こう述べる日蓮には、感動を覚えます。

そうですね。小松原・竜の口・佐渡流罪の一連の流れにおいて蓮祖の意識はとても特殊な時空間を流れているのだと思います。処刑される直前に、執行が流れ、生きながらえた人間の意識は、文学の世界ではドストエフスキイや島尾敏雄に見られるように一種異様です。そのような経験を生きた人間の言葉は、人の心をかき乱すように深く響きます。

>>523
顕正居士さん。

>これは天台宗で「國土苦樂」の論題という。国土に苦を現し楽を現すのも「仏説」(仏の説法)だとするのです。つまり国土に苦を現すのは仏の折伏である。「二を出でず」とは仏説がであり、仏説とは経典の内容ぜんぶのこと、その中に国土の苦楽という方面もある。「摂受折伏二義任仏説」はそういう意味です。摂受折伏は仏説、仏の側のことです。玄義の折伏摂受を繰り返している所です。摂受折伏を宣教の方便というのは誤りではありません。しかしそれは仏の側からいうのです。乾闥婆さんのおっしゃりたいのは、そいういうことではなかろうかとおもいます。

いささか私には難しかったのですが…「仏の側」ということであるのだと、思います。そちらの側に行ってしまっている、「日本国の諸人に、したし父母」であったり、「万事霊山浄土を期す」であったり、するということは、「仏の側」にある、ということのように感じました。

534乾闥婆:2005/06/26(日) 17:35:44
>>524
ひたちさん。

>そう読むと問答の論理を破壊しますから、私はその説を採れないわけです。

申し訳ありませんが、蓮祖の行為を権力に対する折伏の要請にあて、その根拠を示すための他宗批判にあてることが、どのように論理を破壊しているのかよく分かりません。素直にそう読めると思うのですが。

>4書の引用順について>>494に考察を示しました。引用によって何を主張しているかが重要です。蓮師はこの段で何を主張しましたか。としてそれは問答の問いのないようにちゃんと答えていますか。

その引用の順に読み直してみましたが、蓮祖の行為を権力に対する折伏の要請にあて、その根拠を示すための他宗批判にあてることは、特に論理を破壊しているようには読めませんでした。この段で蓮祖が主張していることは明白です。「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす」であり「末法に摂受折伏あるべし。所謂、悪国・破法の両国あるべきゆえなり。日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし」です。問いは「疑て云く 念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。又法華経の安楽行品に云く「楽って人及び経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云。汝、此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか」であり、摂折論を展開することで、権力に対する折伏の要請や、その根拠を示すために他宗批判をしていることを明確にし、安楽行品に反する自身の行為は、実は時に適ったものであることを示されています。

>>528
>では問いますが、 乾闥婆さんは、「止施」をもって折伏であったと判ずるわけですね。

「立正安国論」の文脈では刎頭に替えて止施を主張されています。刎頭行為が折伏であるのなら、止施はそれの代替行為であり、折伏の意味で蓮祖は止施を主張されたのではないかと考えます。

>これは不可でしょう。4書引用の後に、ただちに以下のように書くわけです。
「が不審をば世間の学者多分道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人のごとくなるゆへに先づ天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ」
あてはまらないのでは、「邪難をふせ」いだことにならないでしょう。

蓮祖は自身の振る舞いが安楽行品の摂受に反するものであるから天に捨てられているのではないか、という論難を浴びているのですね。それはを防ぐために、4書を引用し、摂折を論じ、自身の行為はそのように論難されるに当たらない、と主張しています。そのように蓮祖は「邪難をふせ」いだのです。

>どちらにしても、越えたとした場合、仏説を越えたということになります。

そのあたりの表現は、私の感受性によるもので、議論に向いた発言ではないことは確かですね。私はむしろ、ひたちさんの表現に習って言えば、「仏説を越えた」というよりも「仏説に至った」と感じているということです。顕正居士さんへのレスにそのような感じ方を記しておきました。しかし、議論する際には不用意な表現ではありました。申し訳ございません。

535乾闥婆:2005/06/26(日) 17:37:55
別スレッドを立てるとのこと、賛成いたします。

今日はこれから仕事で出かけなければなりません。また時間が取れましたときに参加させていただきます。

536ひたち:2005/06/26(日) 17:40:13
顕正居士さん

ありがとうございます。ご提案に賛同いたします。

>摂受も折伏も仏の側からされるものであるという視点

これは私もそのように思います。言葉が適切かどうかわかりませんが善から悪へのアプローチであろうと思います。

539犀角独歩:2005/06/26(日) 18:53:42

皆さん、本日はこれにて失礼いたします。
また、明日、よろしくお願い申し上げます。

540川蝉:2005/06/27(月) 10:00:53
51番・犀角独歩さんへ。

>「日蓮の強烈な主張は折伏である」ことを証明する真跡遺文
>釈経はなんですか。

犀角独歩さんが開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす」との文がある分段を恣意的に解釈するのを止めれば、日蓮聖人が「強烈な諸宗破折を折伏であると考えて居られたこと」を証明する文であることが解ります。

繰り返しになりますが、開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす」との文がある分段に、天台・妙楽大師の文を引いているのは、ご自分の厳しい謗法批判(逆化)、下種結縁の弘通方法の妥当性を証するためで、なにもご自分の採られる化儀が「他宗他派を邪宗・破法と決め、国法をよそに跋扈して、勝手に自分の教え以外の者を処罰して回る(刎頭折伏)」形態の折伏であると主張しているのではないのですよ。
天台・妙楽大師の文や涅槃経の文をを引いていても、ご自分の折伏の形態は、天台・妙楽大師の言葉にしたがって云えば不軽菩薩の「因謗堕悪必由得益」・「而強毒之」の弘通方法であるとされていたわけです。

最も「折伏を前とす」の意味についてを恣意的に解釈する犀角独歩さんとは、しょせん議論がかみ合わないですね。

これも已に挙げましたが、文永九年四月の「富木殿御返事」(真蹟・学会版962)
特に「摂受、折伏の二義は仏説に任す、」の部分の文意は
「不軽菩薩の跡を紹継して強義の布教によりかかる状況に至っているが、これは仏説に任せて折伏の化儀を歩んだ結果である」
と云う意を語るものです。ですから、日蓮聖人がご自分の化導方法を折伏の範疇に入るものと考えられていた事を証している文であると記しました。しかし、この文意も犀角独歩さんが恣意的に解釈して、文証と認めないのですから、議論になりません。

犀角独歩さんが折伏の定義を「執持刀杖・斬(断)首」と限定して日蓮聖人は折伏でないと主張し、私は御書を証として、日蓮聖人は「斬(断)首」と云うような折伏弘通をされなかったが、強く謗法を責め下種する弘経方法であり、それを日蓮聖人は御自身の採られた折伏の化儀であるとしていると云う主張ですから議論にならないのです。

>これ(而強毒之)が下種であるとする経釈はなんでしょうか。ま
>た、而強毒之の不軽を文句に「不輕之説是口業。故往禮拜是身
>業。此三與慈悲倶。即誓願安樂行也」と言っていますよ。安楽行
>は摂受は開目抄に定まるところでしょう。

天台大師が「本と未だ善有らず。不軽、大を以て而して強いて之を毒す。云々」
と説明し、妙楽大師は
「不軽、大を以て而して強いての下云々とは、唱えて聞かしむるがゆえなり。応に強毒して以て当来聞法の相と作すことを釈すべし。具に経文の後時、益を得る者の如し」
と補釈しています。
また妙楽大師は「玄義釈籤」に
「聞法を種と為し」(大正33巻840頁)
とも云っています。

教機時国鈔には
「実大乗を教ゆべし。信、謗ともに下種と為ればなり」

541川蝉:2005/06/27(月) 10:02:27

「観心本尊鈔」に
「或いは一句一偈等を聞いて下種と為し」
「但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。因謗堕悪必由得益とは是なり。」
等と有ります。

また文永十二年三月の「曽谷入道殿許御書」にも
「彼の不軽菩薩末世に出現して、毒鼓を撃たしむるの時也。而るに今時の学者、時機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目の五字を以て下種となすべきの由来を知らざる歟。」
とあります。
強いて妙法五字を聞かしめる事は下種になります。故に而強毒之と下種は同じ意味です。

>而強毒之の不軽を文句に「不輕之説是口業。故往禮拜是身業。此
>三與慈悲倶。即誓願安樂行也」と言っていますよ。安楽行は摂受
>は開目抄に定まるところでしょう。

犀角独歩さん掲示の「法華文句」の部分の趣旨は、不軽菩薩の化儀は、法師品の衣座室の三軌を包摂し、不軽菩薩の慈悲を基にした化導の心地は、安楽行品の誓願安楽行の大慈悲の心地と変わりないと云う意味であって、不軽菩薩の化儀と安楽行品の化儀と同じであると云う意はありません。

ですから妙楽大師も
「安楽行とは始行の弘経の故に不軽と其の儀十の別有り」といって不軽菩薩の化儀と安楽行品の化儀の十別を挙げています。

>「因謗堕悪必由得益」にしても、文句記に
>
>「故復亦對四安樂行。四安樂行準前可知。不受四一者。應將罵等
>委消不受四一之相。本地亦然。文但略對經而已。不輕以大而彊下
>云云者。爲唱令聞故也。應釋彊毒以作當來聞法之相。具如經文後
>時得益者也。意業淨下云云者。應釋三業對三力相。復應更對衣座
>室等。神通室也。説辯座也。善寂衣也。廣對一切準此可見。毀者
>等者。即生隨從尚猶墮苦。是則撃信毀之二鼓。爲生後之兩因。問
>若因謗墮苦。菩薩何故爲作苦因。答其無善因不謗亦墮。因謗墮惡
>必由得益」

>といい、ます。安楽=摂受は開目抄で言うところではありません
>でしたか。

この部分は「四安楽に主付いてい」ないと思いますよ。
初めの「故復亦對四安樂行。四安樂行準前可知。」は、先の「不軽菩薩の化儀は、法師品の衣座室の三軌を包摂し、不軽菩薩の慈悲を基にした化導の心地は、安楽行品の誓願安楽行の心地と変わりないと云う」ことを述べている部分に属するものです。不軽菩薩の化儀と安楽行品の化儀と同じであると云っているのではないですね。

「不受四一者」等あるのは、教一・行一・人一・理一の四一の説法を聞き入れず謗じた罪で、一端は悪道に堕ちたが、強いて聞かせ結縁した功徳で、やがて救われる述べて聞法下種の功徳を語っている部分です。
不軽菩薩の化儀と安楽行品の化儀と同じであると云っているのではないですね。
天台・妙楽大師は安楽行の心地(誓願安楽行)と不軽菩薩の化儀の心地と同じであるとしていますが、身口の化儀は別であるとしています。

542川蝉:2005/06/27(月) 10:03:45

>安楽=摂受は開目抄で言うところではありませんでしたか。

心地は同じ大慈悲であっても化儀は違うわけですから、安楽=摂受ならば不軽=折伏ということになりませんか。
法華文句記にも
「彼(安楽行品)は順化の故に儀軌を存ず。此れ(不軽品)は乃ち逆化を以ての故に恒迹を亡す。」
と云っていますよ。

>「今略弘經意。故不讀誦但宣不經。二者小典生信尚未爲二因。今
>經或毀感六根清淨。三者諸經但明順化弘教。此品禮俗逆化通理」
>
>と不軽菩薩但行礼拝を言います。なんで、これが折伏ですか。但
>行礼拝ですよ。

相手の機根にかまわずに、二十四字を唱えて下種結縁しましたね。相手にしない或いは譏る逆縁に無理に強いて法を説き下種結縁したわけです。逆縁に無理に強いて法を説き邪見を挫き正道に導こうとしたのであるから折伏の範疇に入れても何ら不都合はないですね。
犀角独歩さんが掲示した上の文句記には
「三には、諸経はただ順化して教を弘むるを明かす。此の品(不軽品)は俗を禮す。逆化して理に通ず。」
とあって不軽菩薩の化儀は逆化であるとしていますね。

何せ、開目抄の文についても私が文証になるといっても、解釈が私と違うので犀角独歩さんは文証ににならないと云うのですから、所詮、議論にならないようですね。

543顕正居士:2005/06/27(月) 13:26:24
文永12年の曾谷入道殿許御書
http://www.jmw.jp/kuga/gosyo/title/G162.HTM
には法華経の「一経二説」という内容があります。

已逆未逆、已謗未謗、凡師聖師、二乗菩薩、他方此土、迹化本化の五の相違を挙げ、これは一経の二説で
あるといい、而強毒之の文を引きます。
そしてこの書では安楽行品と勧持品ではなく、無智人中莫説此経(譬諭品)等の文と不軽品を対比させます。
開目抄の「常不軽品のごとし」が後人の付加であった場合、それでも先師が不軽行を折伏であるとした根拠の
中で大きなものでしょう。
ただし折伏をいう際の引用は法華折伏破権門理を勢力折伏的に解した2回以外、全部が涅槃経関連であり、
その場合、対比の一方は必ず安楽行品である。一方は意義上、勧持品であろうとおもう。竹膜を隔てる感じで
はあるが、彼は涅槃経、これは法華経、対比内容が大いに異なるから、本尊抄の文が在るではないだろうか。
摂受折伏は時国(環境)の大判、これはその折伏がさきのとき、元の来寇近く、武装寺社勢力が現在前する
時国における摂受門(純宗教活動)の五箇の大綱と解せられないだろうか?

*法華文句の釈不軽品に、不軽行は三事四行を具すと智邈は述べている。但し湛然は形態上に十の相違が
あるという。湛然の語は妥当におもえる。不軽菩薩は初随喜の人で、難問答の行者ではないから。
*祖書中で、もっとも重んずべき書は本尊抄であるから、本尊抄の摂受折伏の現文をもっともよく解釈する説
が求められるべきである。
*「常不軽品のごとし」が後人の付加であった場合、それは折伏の弊害を救済する意図に出でたことは疑いを
容れない。しかし逆効果をもたらしたのではなかろうか。
「折伏とは勢力を行使する意義なり。国法厳しければ仙予国王の故事に倣うことあたわず。せめて他宗の人法
を悪口せんか、他宗の者盲目なれば、本化の薩捶を視ること叶わず。三類の敵人とは、あるいは権経をもって
実経を責め、あるいは迹門をもって本門を責め、昇進すること紛らわしき也。後の五百歳すでに過ぎぬ。今は
元品の無明、第六天の魔王、△△上人の身に入り替らせたまえば」とかは八百年の史実である。

整然、摂受折伏を区別するべきであったのではないか。天台章安妙楽日蓮は区別していたようにおもえる。

544三学無縁:2005/06/28(火) 02:17:54
開目抄は、しょせん写本でしかありませんよね。
>分段を恣意的に解釈する
恣意的といわれていますが、その論拠が示されていませんから、この文は独歩さんに対する言いがかり、と思えてしまいます。
獅子王全集の孫引の人もいるようですが、独歩さんは、三大部は読みこなしていますので、ご注意のほどを。

545顕正居士:2005/06/28(火) 02:30:01
妙法蓮華經文句卷10の文とは

不輕深敬是如來座也。忍於打罵是著如來衣也。以慈悲心常行不替。即如來室也。又深敬是意業。不輕之説
是口業。故往禮拜是身業。此三與慈悲倶。即誓願安樂行也。如此三四。豈非流通之妙益而謂何耶。
http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/DCX/DFaHua/T340141a.htm

不輕深く敬ふ、是れ如來の座也。打罵を忍ぶ、是れ如來の衣を著る也。慈悲心を以て常に行じて替へじ、即ち
如來の室也。又、深く敬ふ是れ、意業。輕しめずと説(い)ふ、是れ口業。故(ことさら)に往いて禮拜す、是れ
身業。此の三と與(およ)び、慈と悲とを倶す、即ち誓願安樂行也。此の如きの三四。豈に流通之妙益に非ず
して、何を謂はん耶。

*如此三四 法師品の衣座室の三事と安楽行品の身口意および誓願の四安楽行。
*慈悲倶 安楽行品の「於在家出家人中。生大慈心。於非菩薩人中。生大悲心」
*誓願 安楽行品の「応作是念。其人雖不問。不信不解是経。我得阿耨多羅三藐三菩提時。随在何地。
以神通力。智慧力。引之令得。住是法中」

546犀角独歩:2005/06/28(火) 06:35:22

川蝉さん、議論にならない・噛み合わないのはわかりましたから、わたしに話しかけるのはやめてください。大聖人門下でもやっておられればよろしいのではないでしょうか。


顕正居士さん、ご教示有り難うございます。
ここのところ、『開目抄』に限定して、議論をしてきたわけで、忘れ去られた観がありますが、ご指摘の脈意のとおり、日蓮は『本尊抄』に「現折伏時成賢王誡責愚王、行摂受時成僧弘持正法」というわけです。この摂受・僧を種々解釈をつけて、折伏と解そうとしても、それは白を黒と言いくるめる以上の意味はありません。僧侶は折伏、これが日蓮の結論であったわけですね。不動の結論でした。


三学無縁さん、どうも。昨日は実に有意義でした。丸山照雄師のパンチの効いた演説は、爽快。
「一般人が読んでわかんないことをしゃべって満足しているような駄目」という一言はまったく、御説のとおり。また、島田師の日蓮理解もさらに錬れてきたと関心しばし。上杉師、渋澤師の着眼点というか、この壮大な企画力には改めて敬服。面白かったですね。

それにしても、島田師が門派勝手な御書既定ではなく、学問的にも科学的にも通用するスケールとしての共通認識としての遺文選定の必要を訴えられたのには、当然過ぎるという感想を懐きました。それに対して、丸山師が真跡遺文に限定することによって、それは可能であるという補足には、しかし、そうはなっていない門下の現状がさらに浮上した観がありました。さらに、日蓮の実像を見るためには、完全な真跡のみ。曽存も排除という諸賢師の姿勢は頭が下がりました。それにしても、こんな当然過ぎる話が未だ通らないのが日蓮門下、ため息が出る現状は依然としています。

547顕正居士:2005/06/28(火) 10:10:54
毒鼓とは何か?

「彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむる之時也」(曾谷入道殿許御書)

「毒鼓」とは毒を塗った鼓です。空想的な兵器でしょう。

「毒鼓とは大經に云く。譬へば人有つて毒を以て鼓に塗り、大衆の中に於て撃ち、声を出だし、聞く者をして
皆死せしむが如し。鼓とは平等法身。毒とは無縁の慈悲。打つとは発起衆也。聞くとは当機衆也。死とは
無明を破する也」(法華文句記巻第4下)
すなわち仏説のよく煩悩を破するに喩える。対して「天鼓」とは忉利天にある妙鼓で、仏説のよく離欲の心を
生ぜしめるに喩える。

湛然は「毒鼓に二義あり、謗と及び不謗なり」(同上)という。仏の破有の説は信謗ともに利益せしめると。
これは謗者は謗の因によって苦の果を受けるも、しかる後に悔悟を生じるが故に、という意味ではない。文字
の通りである。湛然は「問ふ。若し謗に因つて苦に墮さん。菩薩何の故に苦の因を作ると為す?」との質問に
「答ふ。其れ善因無ければ謗ぜざるとも亦墮す。謗に因つて悪に堕さば、必ず由つて益を得。人の地に倒れ
還つて地より起つが如し」と答える。(法華文句記巻第10)
嘉祥吉蔵は「問ふ。譬喩品に云く。法華を謗ずるの人、阿鼻獄に入つて無数劫を経ん。今何の故に但だ千劫
なるや?」との質問に「今、不軽の強いて其れが為に説くを聞く。謗毀すと雖も此の力に籍(よ)るが故に、苦を
受くること軽し、及び後に信解を得」と答える。(法華義疏巻11)

毒鼓は謗不謗共に利益せしめる。「彼則以順化故存於軌儀。此乃以逆化故亡於恒跡」(法華文句記巻第10)
の「逆化」とは「さかしまに化する」意味である。謗者を化するのであれば「化逆」あるいは「化謗」と動詞が先に
立つ。これは形容詞である。順化、逆化とは道教から来た言葉である。太極より万象が展開するのは順化で
ある。但し「煉内の丹」は逆次に路を返る。煉内丹に相当するのが「毒鼓之縁」である。これが路を返って、復
不軽菩薩に会わしめる。個々の返路は様々であるから、恒跡は亡(な)い、もうわからないというのであります。

参考・太極和太極圖
http://www.taoism.org.hk/taoist-beliefs/yin-yang&the-supreme-ultimate/pg2-3-2-2.htm

548犀角独歩:2005/06/28(火) 11:34:52

いちおう、わたしを恣意的だというのは、まったく心外です。わたしは、引用される天台、妙楽の原文を提示するのみです。その文を何も自分勝手な解釈をつけているわけではありません。

むしろ、その原文を自在に読み替えて、何がなんでも折伏であると解釈しようとする読み方こそ、恣意的であると言えるでしょう。

549顕正居士:2005/06/28(火) 12:59:02
不軽行が三事四行を具することについては、

文句の文はまず犀角独歩さんが示され、対して川蝉さんが別の掲示板に文句記を示されていたので、

>>312 にこのことを犀角独歩さんに対して述べた際に、不軽行は三事四行を具することを示しました。

>>541 に川蝉さんは

「天台・妙楽大師は安楽行の心地(誓願安楽行)と不軽菩薩の化儀の心地と同じであるとしていますが、
身口の化儀は別であるとしています」とおっしゃるので、

>>545 にそうでないことを詳しく示しました。

それぞれに先の投稿を精しく読んだ上で意見をいい、引証をおこなうようにいたしたいと存じます。

投稿が短時日に多くあり、スレッドの流れを追うのが困難になったせいでしょうから、「摂受折伏の主体」が
分離されて、今後は大丈夫でしょう。間違いを怖れていては、貴重な議論ができませんから、その際には
ああ間違いといい、はやく次へ進むほうがよいとおもいます。

犀角独歩さん。執持刀杖に僧俗の区別がないことは

>>378 に示しました。

「摂受折伏の主体」に関する議論は新スレッドのほうへみなさんお願いします。

550犀角独歩:2005/06/28(火) 13:42:44

摂受・折伏を考えるに当たり、またもや、徐々に特殊用語が増えてきました。いままで、出てきた言葉を追うと。

摂受、折伏、執持刀杖、斬首、断首、刎頭、不称長短、不言好悪、不軽、安楽、大経、勧持、持戒、持杖等、僧、賢王。
さらに、而強毒之、因謗堕悪必由得益、逆化等。

日蓮の記述から摂受・折伏それぞれに篩い分けると

摂受は、不称長短、不言好悪、安楽、持戒、僧
折伏は、執持刀杖、斬首、断首、刎頭、持杖、賢王


日蓮門下が折伏のことを言っているとするのは、不軽、勧持、而強毒之、因謗堕悪必由得益、逆化となります。

ところが実際に、その原文に当たるとき、不軽、勧持はもとより、而強毒之、因謗堕悪必由得益、逆化は、直説、摂折を云々するものではありません。ところが、これが門下教学の手に掛かると、一切、折伏の説明であると“恣意的”に解釈されます。

しかしながら、厳選な日蓮の使用例から見れば、結局のところ、以上の解釈は牽強付会であり、、強いて折伏に関連づけられて、説明されているに過ぎません。

まして、摂受・折伏は前後(さきとあと)の関係、車の両輪の関係であって、そのどちらか一方の選択を意味するものでもありません。

日蓮は摂受・折伏、末法今時にあって、どちらが前後するかは言っても、その一方であるとはまったく言っていないわけです。まして、本尊抄では、「現折伏時成賢王誡責愚王、行摂受時成僧弘持正法」と四菩薩の摂折が、賢王(在家)折伏、僧摂受であると、明確に述べています。

ところが、この言葉は折伏論者には都合は悪いようで、この僧摂受をなんとしても僧折伏にしようと恣意的解釈を尽くすか、恰も日蓮の主張の中で殊更に意味を持つものではない如く軽んじ廃棄する恣意的解釈に終始します。

また、日蓮の念仏・禅の攻撃が摂受か・折伏かという議論が継続したわけですが、結局のところ、日蓮の言説・行動は、自らが引用する安楽(摂受)、大経(折伏)のいずれにも、実は当て嵌まらないわけで、むしろ、転重軽受観=滅罪・其罪畢已・期霊山に基づくものであることがわかります。

なお、わたしが折伏を、「在家、執持刀杖斬(断)首」に限っているという非難がありますが、これはまったくの言いがかりです。わたし個人からすれば、日蓮の教説が、折伏であろうと・摂受であろうと一向に構わないわけで、ただ、ここで行っていることは確実な日蓮文献から見るとき、実際はどうなっているのかという一点のみです。そのような見地から日蓮遺文を見るとき、日蓮は折伏の説明を天台妙楽釈に求め、そこから引用される折伏の説明が執持刀杖斬首となっていることを呈示しているのに過ぎません。

また、涅槃経疏の引用においては、本来「在家」であるのを「出家在家」とする引用が見られますが、仮にこれをそのままに受け取った場合、僧侶の執持刀杖を認めることにはなるものの、斬首には及びません。寧ろ、この点は日蓮の実像に近いものも感じます。疏を枉げたものであるにせよ、日蓮の本音を見る気もしないではありません。このような点はわたしは看過しないわけで、もし、これがまさに知ってやったことであれば、これは日蓮が疏意を枉げて、都合よく自分の執持刀杖を肯定化したという事実を確認できるというだけのことです。

なお、日蓮の引用を見るとき、

折伏=大経=持杖=断首
摂受=安楽=持戒=断命(擬刎頭)

という関係が看取されます。となれば、日蓮が折伏であるという場合、日蓮は持戒ではなく持杖でなければならず、また、断首という視点から見るとき、折伏であれば、斬る主体者でなければなりません。ところが、門下の折伏論では、持戒でありながら、逢難、断命される側という、矛盾も来しています。

551犀角独歩:2005/06/28(火) 14:04:49

顕正居士さん

いつも適切なご教示ありがとうございます。

378にご呈示の守護国家論「今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり」から、たしかに開目抄に涅槃経疏を読めば、日蓮は執持刀杖を肯定化しているわけですね。つまり、ここで梵網経に違反することも了解しているわけでもあるわけですね。さらに開目抄では安楽行品にも違反することも自認していたと。

ここで一つ、質問させてください。真跡から見られないところなので、類推からお答えでけっこうです。

日蓮は守護国家論の段階で既に執持刀杖であった。少なくともそれを認めていた。その後、立正安国論では能仁以後止施という見解を示します。下る開目抄では涅槃経疏に重ねて執持刀杖を主張した如くですが、もし、日蓮が捕縛されなかった場合、折伏の極、念仏禅者刎頭にまで及んだと考えることは出来るでしょうか。

552顕正居士:2005/06/28(火) 16:26:26
「能仁以後の経説は則ち其の施を止む」

「此れ又一途也。月氏国之戒日大王は聖人也。其の上首を罰し五天之余黨を誡む。尸那国之宣宗皇帝は賢王也。
道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道也、道士也。其の罪之軽し。之は内道也、仏弟子也。其の罪
最も重し。速やかに重科に行へ」
と広本に訂正されます。そもそも「施を止む」とは言辞が穏便であるだけ。施を止められては生存できません。

>もし、日蓮が捕縛されなかった場合、折伏の極、念仏禅者刎頭にまで及んだと考えることは出来るでしょうか。

日蓮は狂者ではなく、良くも悪しくも常識ある山門僧です。山門は他宗禁断あるいは他山討伐の際、可能ならば
朝廷あるいは院に強訴し、宣旨か院宣を得ようとしました。日蓮は鎌倉で同じことをしようとしただけであります。
鎌倉幕府は王朝時代よりも進歩した政治意識を有し、それに対して人民の支持があるがゆえに成立した。
次のサイトの主催者は「朝廷・公家・役人の暴虐から、国民の普通のくらしを、まもるために、鎌倉幕府は、誕生
しました」といいますが、寺社が抜けています。寺社に対しては未だ決然たる姿勢は現れていませんが、京都の
轍を踏む意志は無かったはずです。
http://www.ab.aeonnet.ne.jp/~hyy/
ここに日蓮問題がおこった。伊豆流罪は御成敗式目の第12条の「悪口の咎の事」に拠る。
「右、闘殺の基、悪口自り起こる。其れ、重くは、流罪に処せ被れ、其れ、軽くは、召し籠めせ被る可き也」
佐渡流罪は第9条の「謀反人の事」によるはずである。「種種御振舞書」によると、侍所の長官、平頼綱が合戦
を覚悟し、数百人の兵士を率い、捕縛を指揮したという。
「右、式目の趣、兼日に定め難き歟。且つは、先例に任せ、且つは、時の儀に依りて、之を行わ被可し」
「朝廷の謀反」もあったのだから、予めは定められない。死刑とは決まっていない。還俗もさせられなかった。
幕府は自ら定めた法律を自ら守った。
延暦寺は御所に対してほどよい場所にあり、いつでも朝廷を脅迫できた。これが「強訴」である。山門は「錦旗」
を得易かった。むろん得られなくとも、行動するときにはする。日蓮は常識ある山門僧であって、門徒に自滅を
命じることなどあり得ない。3百年後、十分な勢力が形成されて、山科本願寺、興福寺を討伐したのであります。
しかし戦争は兵力の集中で決する。また外交無き者に勝利は無い。自宗内で相争い、集中的大本山なく、門徒
の外になんらの味方がいない日蓮宗21本山連絡会議が比叡山兵に勝てる見込みはもとから無かった。そういう
意味では「折伏」はついに空想であった。

553川蝉:2005/06/28(火) 17:05:21

549 番・顕正居士さんへ。
今日は。

>545 にそうでないことを詳しく示しました。

慈恩の「法華玄賛」の
「安楽行を行じて威勢比無きことを顕わさんと欲し、我れ不軽と為って安楽行を行ず、」との見解を破して、妙楽大師は安楽行品と不軽品とは儀に(化導形態に)十別があると指摘している事をすでに述べました。
文句会本のこの部分の証真の私記に
「問う、下の疏に(顕正居士さんが545番に掲示した文句の文を指す)云く、深く敬うは是れ意業、不軽の説は是れ口業、ことさら往いて礼拝するは是れ身業、此の三業慈悲と倶なるは誓願安楽行なりと。今亦安楽行を明かすに、何を以て他を(慈恩のこと)破するや」との問を設け、
「答う、下の文は泛爾に(安楽行品の)四行に対す。必ずしも同と云うには非ず。」(天台大師全集2505頁)
と補釈しています。
文中の下の疏・下の文とは、顕正居士さんが545番に掲示された文句の
「輕んぜずして深く敬ふは、是れ如來の座也。打罵を忍ぶは、是れ如來の衣を著する也。慈悲心を以て常に行じて替(す)てざるは即ち如來の室也。又、深く敬ふは是れ意業、不軽の説は是れ口業、故(ことさら)に往きて禮拜するは是れ身業。此の三と慈悲と倶なるは、即ち誓願安樂行也。此の如きの三、四は。豈に流通之妙益に非ずして、何とか謂はんや。」(国訳一切経・461頁)
の文の事です。

私は、この証真の私記の答えの趣旨を
「不軽菩薩の行儀にも、身・口・意の三業と誓願安楽行即ち大慈悲の心地が有るので、安楽行品の四行と泛爾に配当している文で、不軽菩薩の行儀と安楽行品の行儀とは全く同じであると説明している文ではない」
と云う文意として理解しております。
ですから妙楽大師の十別もありますので、541番で、
「天台・妙楽大師は安楽行の心地(誓願安楽行)と不軽菩薩の化儀の心地と同じであるとしていますが、身口の化儀は別であるとしています」
と述べたわけです。

それから、ついでですが、
妙楽大師が十別を述べている中に
「彼は則ち順化なるを以ての故に軌儀を存す。
此れは乃ち逆化なるを以ての故に恒の迹を忘る。
(法華文句記巻十中・大正348・b)
とありますが、
慧澄の講義には
「以順化故存於軌儀」の意味を、「 法律に順じて化を行ずるは、出家の行儀に依る。」とし、
「乃以逆化故亡於恒迹」の意味を「 法律に違して化を行ずるは俗を禮して、出家通途の行迹を廃す」と、註釈していました。
(天台大師全集2506頁)

554犀角独歩:2005/06/28(火) 18:58:18

552 顕正居士さん、有り難うございます。

結局、日蓮は、法華経、梵網経、涅槃経という天台僧として看過できない三経を摂受から、考え、涅槃経を規範において、それを越えたところで考えていったのが真実であったわけですね。

立正安国論の広本を日蓮真跡と採るかは別として、仰る通り、僧侶が止施されれば、無産階級である以上、実質的に死の宣告、もしくは僧侶廃業を余儀なくされ、実質的に、出家として死を意味するわけですね。

小松師の説明の紹介となりますが、『御成敗式目』は武士の規定ですから出家日蓮には当て嵌まらない、故に、その処罰は私刑に過ぎなかったのではないのかということでした。その是非はともかく、日蓮が処罰され、捕縛・擬刎頭・流罪に処されたのは事実でした。

安国論呈上当時、日蓮は「天台沙門」の自覚であったことは事実で、その後、釈尊御領観を述べる『法門可被申様之事』以降、叡山不信から、本朝沙門、法華経の行者へと意識が変化していることは、共通した認識であろうと思います。

仰る通り、日蓮の考文奏進、また、念仏停止は、京都の法然集団の停止(ちょうじ)と同じことをしたのであって、日蓮の独自のことではありませんでした。この点もご指摘のとおりであろうかと存じます。

日蓮当時の世は、末法入時が意識され、僧兵が跋扈し、武士はまた入道となるという、いわば天台規範では割り切れない世上にあったと想像されます。

日蓮の言説・行動規範は、梵網経、法華経、また御成敗式目の遵守と、しかし、来たり起こる念仏、禅という新興勢力との対峙の中で、一見すればその規律に相違する点で、自身の行動を肯定化するための理論構築に腐心した様が看取できます。

結局のところ、日蓮の言説行動は、梵網経の摂折観から違反する点は否めなかったわけです。また、法華経安楽行品という天台僧であれば遵守しなければならない摂受規範も違反するものでした。では、日蓮は折伏の人かと言えば、その規定を為す「執持刀杖・斬首」という点において、自衛武装は致したものの、実際の破邪顕正には専ら勘文奏進という京、天台の様を模し、念仏停止を為政者に促したことが確実な真跡から窺えます。真跡選定の間口をやや広げれば、日蓮は念仏者刎頭を為政者に強く迫った様子も窺えます。しかし、この日蓮の言説行動は経釈から見れば、特に折伏の規定に当て嵌まるものではありませんでした。要は経釈には言説攻撃が折伏であることを示す説明はないからです。つまり、日蓮は摂受のみならず、折伏を支える経釈にも当て嵌まらない行動を採っていったわけでした。

この日蓮を正当化したものは、度々、引用される「見壊法者・不置呵責」という涅槃経の一節であったわけです。しかし、この文は特に摂折を論じるものではありませんから、日蓮は従来の摂折両輪の前後施行を自分のみに当て嵌めると言うより、未来出現の四菩薩に賢王折伏・僧摂受と結論付けていったわけですね。また擬刎頭・流罪という逢難の境遇を考えるうえで、ここでも涅槃経における転重軽受法門を自身に充て、ついには断命・刎頭によって命を法華経に捧げ、万事、霊山を期すという死身弘法に其罪畢已、成仏の本懐を遂げるという考えに至っていったことが窺えます。

これは『摂受折伏の主体は誰か?』の議論で闡明になっていくものと思われますが、折伏は、すなわち折り伏す側である以上、実際に捕縛され、擬刎頭、流罪に処された日蓮が折伏したとは言い難く、その為政者処罰を甘受し、ついに刎頭を臨んだ受容は、むしろ摂受に近いものであったとことが窺えます。

なお、日蓮が採用しない人師・論説をもって、不軽、折伏を論じていけば、日蓮実像を素描する摂折から、ただ離れるばかりです。ここは日蓮摂折論に限った議論と致さないと解釈に没在し、その事実が見えなくなるものと思えます。できましたら、そのような蓮師採用以外の経釈論説に至る場合は、その旨を常に書き添えご賢察を賜れれば有り難く存じます。

555顕正居士:2005/06/28(火) 20:32:03
>>553

川蝉さんは不軽行が三事一行しか具していないと述べておられると拝したので、それはちがうと示しました。

要するに。不軽行は「泛爾」に四行を具すると雖も、湛然は「儀」の十別を挙げる、「儀」とは外形をいうから、
身業、口業に相違があるはず、三事一行しか具さない意味ではないと。

むろん、相違します。だから、湛然の指摘は妥当であると述べました。犀角独歩さんは全同と解されておら
れるように見えましたので。智邈の文からはそう解して無理がありませんし。身口意ばらばらということはない
から意業も相違するでしょう。但し誓願は初随喜の人も五種法師も同じであるはずです。
前品にいう利益である六根清浄を不軽菩薩が獲られたという本生ですから、「泛爾」に解しますと、五種法師
など不要になってしまうから、湛然は十別を挙げて注したのでありましょう。逆に日蓮宗の立場からは「泛爾」
のほうを取って、但信の唱題にても六根清浄を獲る意義になるかとおもいます。
湛然が「師敵対」をして安楽行でないといっているわけではありませんから、不軽行が正規の形態ではないが
安楽行であることに変化はありません。したがって不軽行を折伏行という意義は出て来ない、とおもいます。
「而強毒之」を考えても毒鼓とは信謗共に利益せしめるのであり、謗ぜしめることによって彼に一時的にでも
損害を与える意義はないのですから、執持刀杖との連関性が見いだせません。

「禮俗」は十別を挙げるずっと前に「諸經但明順化弘教。此品禮俗逆化通理」といい、十別の後にまたこれを
繰り返し論じていますから、かなり大きな問題だったとおもいます。

55601:2005/06/28(火) 22:45:34
日蓮真蹟遺文だけで日蓮を読むってこんなに大変なことであるとは思わなかった。
通りすがりさん、あなたは誰。打ち間違いの訂正までしてみせる演出、なかなかうまいね。

557犀角独歩:2005/06/29(水) 09:26:14

顕正居士さん

> 全同と解…智邈の文からはそう解して無理がありません

わたしは、日蓮の事実相をさぐることを、ここで目的にしておりますから、日蓮が採用しなかった説までも、日蓮が採用していたという前提で、非引用経釈以外で、日蓮経説を説明すると、実像から離れる危険をあることを指摘してました。

日蓮は青年期はともかくとして、建長5年4月28日、初の講座説法已来、所を追われ、あとは転々とした草庵住まい、鎌倉にあっては大地震を被災し、壮年期には伊東、佐渡と流罪の日々を送りました。晩年、身延に入っても狭隘な草庵に数多な弟子が押し掛けた様子です。こんな日蓮の生涯を考えるとき、経釈類を潤沢に身辺に置くことなど、不可能であったでしょう。法華六大部にしても全60巻、これすら、全部を常に身辺に置いていたとは思えません。ましてや、それ以外の注釈論説に至っては見ることも・持つことはなかったと思えます。弟子檀那が持つ経釈を1巻、また1巻と借りては返し、回し読みし、大半の資料は『注法華経』に自ら記録したところを以て充てていたと、わたしは想像しています。それにも拘わらず、いまはまとまり、一般人で見られる天台宗全集などを引いて日蓮経説を考えることは実状に添わないと言う思いがあります。日蓮が引用することもない諸師論説の引用は、意味をなさない。否、それどころか、事実相から隔離するだけと考えますが、これは事実相から、大きく外れたものではないと思うのです。

以下、『注法華経』から、「不軽」に係る記述を抜き書きしました。直ちに了解できることは、ここでは文句、文句記、秀句と極めて限られた釈しか、日蓮は引用していないという事実です。


・文句七云。…若正因記如常不軽。…或菩薩記如不軽。…未発心与記如常不軽品。…如常不軽軽毀之衆。…但如法師・常不軽等。
・文句八云。…若辱王種獲罪不軽。故罪福倶重。
・文句十云。…内懐不軽之解。外敬不軽之境。身立不軽之行。口宣不軽之教。人作不軽之目。…常不軽一見造次而言。…本未有善。不軽以大而強毒之。
・記三。…定起所説不軽。
・記十云。…故有不受不軽円実之語<故有不受不軽円実之言>。

・秀句上云。…過去定性不軽受記<過去定性不軽授記>。…如不軽品示現故。
・二十二・事。…不軽生報闕日月燈明。
・広釈中云。[安然]。…為常不軽菩薩受持三千威儀。…二万億威音王最初仏時。為常不軽。


以下、日蓮真跡遺文における「不軽」の記述を見ます。これが日蓮が記す不軽の実際です。かなり、長くなりますが、いちおう、今後の議論のために、ロムの皆さんの便宜も考え、書き出してみました。

・不軽軽毀之衆は千劫阿鼻地獄に堕つ。権師を信じて実経を弘むる者に誹謗を作したるが故也。
・彼の不軽軽毀の衆は権人也。大通結縁の者の三千塵点を歴しは法華経を退して権教に遷りしが故也。
・尼思仏等の不軽菩薩を打ちて阿鼻の炎を招くも、皆大小権実を弁へざるより之起れり。十悪・五逆の者は愚者皆罪たるを知る。故に輙く破国破仏法の因縁を成ぜず。
・第七の巻不軽品に云く_千劫於阿鼻地獄。受大苦悩
・慈を先とする人は、先ず実教をとくべし、不軽菩薩の如し。
・不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、其罪畢已ととかれて候は、不軽菩薩の難に値ゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり

558犀角独歩:2005/06/29(水) 09:26:59

―557からつづく―

・過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりてよみまいらせて候けるとみへはんべれ。
・過去の不軽品は今の勧持品。今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。
・不軽品に云く_悪口罵詈等。又云く_或以。杖木瓦石。而打擲之〔或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば〕等云云
・仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値い給う。此れは法華経の行者にあらずや。不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。目連は竹杖に殺さる。法華経記別の後なり。付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ。此れ等は法華経の行者にあらざるか。竺の道生は蘇山に流されぬ。法道は火印を面にやいて江南にうつさる。北野の天神・白居易此れ等は法華経の行者ならざるか。
・不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪身に有ゆえに、瓦石をかおるとみえたり。
・不軽菩薩は多年が間二十四字のゆへに [p644]無量無辺の四衆罵詈毀辱杖木瓦礫 而打擲之せられ給き。所謂二十四字と申 我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏等云云。かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に、千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給て、今の釈尊となり給ふ。
・日本第一の法華経の行者の女人なり。故名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云。
・不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。
・不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如き也。彼の二十四字と此の五字と、其の語は殊なりと雖も、其の意、之同じ。彼の像法の末と、是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫也。
・末法に於ては、大小権実顕密共に教のみ有りて得道無し。一閻浮提、皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁也。
・日蓮は是れ法華経の行者也。不軽の跡を紹継する之故に。軽毀する人は頭七分に破れ信ずる者は福を安明に積まん。
・不軽菩薩は、更増寿命ととかれて、法華経を行じて定業をのべ給ひき。
・覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をかほりしも、限りあれば此れにはよもすぎじとぞをぼへ候。
・不軽品に云く_乃至遠見四衆。亦復故往等云云。又云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来等云云。又云く_或以。杖木瓦石。而打擲之等云云。第二第四の巻の経文と、第七の巻の経文とは天地水火せり。
・答曰 本已有善 釈迦以小而将護之 本未有善 不軽以大而強毒之等云云。釈の心は寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味之小大権実の諸経・四教八教之所被の機縁、彼等之過去を尋ね見れば、久遠大通之時に於て純円之種を下せしも、諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す。然りと雖も下せし所の種、純熟之故に、時至りて繋珠を顕す。但四十余年之間、過去に已に結縁之者も猶お謗の義有るべき故に、且く権小の諸経を演説して根機を練らしむ。
・彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむる之時也。
・不軽菩薩を毀・{きし}し罵詈し打擲せし人は口閉じ、頭破るありけるか、如何。
・不軽菩薩は法華経の御ために多劫が間、罵詈毀辱杖木瓦礫にせめられき。今の釈迦仏に有らずや。
・不軽品に云く_而作是言。我深敬汝等等云云。_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。又云く_衆人或以。杖木瓦石。而打擲之等云云。勧持品に云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者云云。此れ等の経文は悪口罵詈乃至打擲すれどもとかれて候は、説く人の失となりけるか。
・不軽菩薩は誹謗の四衆に向ていかに法華経をば流通せさせ給ひしぞ。されば機に随て法を説くと申すは大なる僻見なり。

559犀角独歩:2005/06/29(水) 09:27:30

―558からつづく―

・国主世を持つべきならば、あやしとをもひて、たづぬべきところに、ただざんげんのことばのみ用ひて、やうやうのあだをなす。而るに法華経守護の梵天・帝釈・日月・四天・地神等は古の謗法をば不思議とはおぼせども、此れをしれる人なければ一子の悪事のごとくうちゆるして、いつわりおろかなる時もあり、又すこしつみしらする時もあり。今は謗法の用ひたるだに不思議なるに、まれまれ諌暁する人をかへりてあだをなす。一日二日・一月二月・一年二年ならず数年に及ぶ。彼の不軽菩薩の杖木の難に値ひしにもすぐれ、覚徳比丘の殺害に及びしにもこえたり。而る間、梵釈の二王・日月・四天・衆星・地神等やうやうにいかり、度々いさめらるれども、いよいよあだをなすゆへに、天の御計らひとして、・国の聖人にをほせつけられて此れをいましめ、大鬼神を国に入れて人の心をたぼらかし、自界反逆せしむ。吉凶につけて瑞大なれば難多かるべきことわりにて、仏滅後二千二百三十余年が間、いまだいでざる大長星、いまだふらざる大地しん出来せり。漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度々ありしかども、いまだ日蓮ほど法華経のかとうど(方人)して、国土に強敵多くまうけたる者なきなり。まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮第一の者としるべし。
・彼の軽毀大慢の比丘等は始めには杖木をとゝのえて不軽菩薩を打ちしかども、後には掌をあわせて失をくゆ。提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども、臨終の時には南無と唱ひたりき。仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを、業ふかくして但南無とのみとなへて仏といはず。今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん。
・而るを又国に尊重せれるる人々あまたありて、法華経にまさりてをはする経々ましますと申す人にせめあい(責合)候はん時、かの人は王臣等御帰依あり、法華経の行者は貧道なるゆへに国にこぞつてこれをいやしみ候わん時、不軽菩薩のごとく、賢愛論師がごとく、申しつをら(強)ば身命に及ぶべし。
・其の時一切衆生此の菩薩をかたきとせん。所謂さる(猿)のいぬ(犬)をみるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にの(罵)り、あだまれしのみならず、杖木瓦礫にせめられし、覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。其の時は迦葉・阿難等も或は霊山にかくれ、恒河に没し、弥勒・文殊等も或は兜率の内院に入り、或は香山に入らせ給ひ、観世音菩薩は西方にかへり、普賢菩薩は東方にかへらせ給ふ。
・或は所を追ひ出だされ、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を。今は見る日蓮が刀剣に当る事を。
・不軽菩薩と申せし僧は多年が間悪口罵詈せられ、刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき、七万二千歳ひぢ(臂)を焼き給ふ。此れを見はんべるに、何なる責め有りとも、いかでかさてせき(塞)留むべきと思ふ心に、今まで退転候はず。
・にるべくもなく心なぐさみて候ひしに、日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども、此の国のならひ、念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬゆへに、法華経をば上にはたうとよむよしをふるまへ、心には入らざるゆへに、日蓮が法華経をいみじきよし申せば、威音王仏の末の末法に、不軽菩薩をにくみしごとく、上一人より下万民にいたるまで、なをもきかじまして形をみる事はをもひよらず、さればたとひ失なくとも、かくなさるる上はゆるしがたし。

560犀角独歩:2005/06/29(水) 09:28:01

―559からつづく―

・不軽菩薩の杖木の責めも、目・尊者の竹杖に殺されしも是れ也。なにしにか歎かせ給ふべき。
・不軽軽毀の者は不軽菩薩に信伏随従せしかども、重罪いまだのこりて千劫阿鼻に堕ちぬ。
・昔の不軽菩薩の杖木のせめも我身につみしられたり。覚徳比丘が歓喜仏の末の大難も、此には及ばじとをぼゆ。日本六十六箇国嶋二つの中に、一日片時も何れの所にすむべきやうもなし。
・当御時に成りて或は身に・をかふり、或は弟子を殺され、或は所々を追ひ、或はやどをせめしかば、一日片時も地上に栖むべき便りなし。是れに付けても、仏は一切世間多 怨難信と説き置き給ひ、諸の菩薩は我不愛身命 但惜無上道と誓へり。加刀杖瓦石 数数見擯出の文に任せて流罪せられ、刀のさきにかゝりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く、覚徳比丘の様に、龍樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥いよ強盛に申しはる。
・余又兼ねて此の事を推せし故に弟子に向ひて云く 我既に遂げぬ。悦び身に余れり。人身は受けがたくして破れやすし。過去遠々劫より由なき事には失ひしかども、法華経のために命をすてたる事はなし。我頚を刎られて師子尊者が絶へたる跡を継ぎ、天台・伝教の功にも超へ、付法蔵の二十五人に一を加へて二十六人となり、不軽菩薩の行にも越へて釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせんと思ひし故に、言をもおしまず已前にありし事、後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ。此の語しげければ委細にはかかず。
・今日本国の人々は一人もなく不軽菩薩の如く、苦岸・勝意等の如く、一国万人皆無間地獄に堕つべき人々ぞかし。
・而るに今法華経の行者出現せば、一国万人皆法華経の読誦を止めて、吉蔵大師の天台大師に随ふが如く身を肉橋となし、不軽軽毀の還りて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕るとも、一日二日、一月二月、一年二年、一生二生が間には法華経誹謗の重罪は尚おなほ滅しがたかるべきに、其の義はなくして当世の人々は四衆倶に一慢をおこせり。
・一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。
・雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらにやくびやう(疫病)にやをかされ候はんずらむ。をいじに(老死)にや死に候はんずらむ。あらあさまし、あさまし。願はくは法華経のゆへに国主にあだまれて今度小事をはなれ候ばや。
・雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらにやくびやう(疫病)にやをかされ候はんずらむ。をいじに(老死)にや死に候はんずらむ。あらあさまし、あさまし。願はくは法華経のゆへに国主にあだまれて今度小事をはなれ候ばや。
・此の法門は当世日本国に一人もしり(知)て候人なし。ただ日蓮一人計りにて候へば、此れを知て申さずは日蓮無間地獄に堕ちてうかぶご(期)なかるべし。譬へばむほんの物をしりながら国主へ申さぬとが(失)あり。申せばかたき雨のごとし風のごとし。むほんのもののごとし。海賊山賊のもののごとし。かたがたしのびがたき事也。例せば威音王仏の末の不軽菩薩の如し。歓喜仏のすえの覚徳比丘のごとし。天台のごとし。伝教のごとし。

561犀角独歩:2005/06/29(水) 11:28:38

結局のところ、真跡遺文の中で日蓮自身が「わたしは折伏をしている」といった類の記述はまったく見られず、それ以前にその語の使用もわずか4典に限る以上、日蓮折伏というのは、のちの解釈以上の何ものでもないことは明らかです。

562パンナコッタ:2005/06/29(水) 13:27:47
独歩さん、蛇足ですが、
>わたしは折伏をしている は元より、弟子に対して”折伏をやれ”とも”やるな”とも言ってませんよね。
「両輪の如し」は只両輪といっているだけにすぎず、貰った富木常忍も正直「は?」ではなかったのではないでしょうか。

563犀角独歩:2005/06/29(水) 14:53:00

パンナコッタさん、どうも。

開目抄は門下に、特に四条金吾かと覚えていましたが、常師でしたっけ。

この前の坊さん方の集まりを傍聴させていただいた折、二次会で話していたら「『開目抄』も曽存に過ぎない」と、こう仰る方がいました。これはけっこう強烈な発言でした。まあ、たぶん、わたしがここで摂折を書いていることを知っての発言ですよ。そう言われてしまうと、もっと厳格にやらなければいけないのかという思いに駆られました。

しかし、信心で読むと偽書も真書扱い、相伝を信じるのが信心。まあ、門下では通用しますが、夢中(ゆめのなか)の議論に過ぎませんよね。

蓮師が「折伏せよ」と言っているのは、写本では『如説修行鈔』で、執筆は文永10年5月でした。同年同月の執筆といえば、閏5月に『顕仏未来記』がありますが、読み比べれば、すぐにわかるとおり、タッチも内容も隔たりがあります。

『如説修行鈔』の「如説修行」句の用法というのは、なかなか特徴的です。

・其上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人決定せり
・如説修行の者は現世安穏なるべし。何が故ぞ三類の強敵盛んならんや
・釈尊…不軽菩薩…竺の道生…法道…師子尊者…天台大師…伝教大師…此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん
・如説修行の行者…唯だ一乗の法を信ずるを如説修行とは仏は定めさせ給へり
・(問)安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云はれ候まじきか
・如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んであるべしと知り給へ
・如説修行の行者は釈尊、天台、伝教の三人はさてをき…末法に入ては日蓮並に弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずんば釈尊、天台、伝教等の三人も如説修行の人なるべからず
・法華経、釈迦仏、天台、妙楽、伝教、章安等の金言に身をまかすべし。如説修行の人とは是也

と如説修行‘の’行者、者、人という用法になっています。ところが、真跡遺文で追うと、

・法華経第七…於如来滅後。応当一心。受持読誦。解説書写。如説修行。
・経文に云く若如来滅後。後五百歳中。若有女人。聞是経典。如説修行。
・華厳経に云く…能信是法為甚難。況能受持正憶念如説修行真実解。

と経典引文として取り扱われず、たとえば法華経‘の’行者というような行者(人)に充てた用法は見られません。

また、釈尊を(如説修行の)‘人’というのも、かなり特異だと映じます。真跡で釈尊を仏、本尊、親(父母)、師と表現することはあっても「人」と下す用法は、当然のことながら、一つとして見られません。ただ例外として、「不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ」とありますが、これは『如説修行鈔』の用法とは、もちろん、異なっています。

まあ、こんな点も併せて「折伏をする」という用語も考証し直されるべきでしょうね。
「折り伏すをする」、変な言葉ですね。
蓮師の用法では、言うまでもなく「現折伏・行摂受」でした。

564パンナコッタ:2005/06/29(水) 16:48:04
独歩さん、
有縁の弟子へ と文中にあり四条金吾を介して与えられたものらしい(土木殿御返事からの考察)のですが、富木常忍に関わり
は十分あったと思います。  ここで富木常忍は蓮祖に「両輪の如し」の摂折の儀を尋ねたんだと思います。その答えが
「土木殿」の”仏説に任す”ではなかろうかと。(推測ですが) この返答を受けてさらに富木常忍は「?」と混乱して、翌年の
勧心本尊抄に繋がる流れがあったのではないでしょうか?  本尊抄の”自身の上行再誕”と”将来、上行再誕の賢王が愚王を誡責
する”というのは一旦挫折した論理(念仏者を斬るどころか自分が斬られそうになり、逆化の思想化)の一発逆転的な発想に思える
のですが、どうでしょう。

>曽存に過ぎない  曼陀羅を含めてずいぶん燃えちゃいましたね。真蹟が残っているものは、筆遣いやカナ遣い・紙質
等の分析から後世の加筆などの部分を省いて、蓮祖の意図した物へ復元が可能ですが曽存遺文は、もはや無理ですからね。
それを「痘痕もエクボ」的に頭から金言として意図的に読ます姿勢には断固”NO”と言うべきですね。やはり”甲乙丙”
の様な解釈のランク付けみたいなのがあった方がいいかもしれません。

如説修行抄は途中から筆跡が変わる日尊写本ですね。かなりアヤシげな物であるという認識を持っています。

「末法は折伏」という認識で、 教化=折伏 を刷り込まれて信徒を勧誘する事が励みとなっている
方々にとって『折伏ではない』は愚弄されているとしか思えないのでしょう。
しかし、実情は 教化≠折伏 ではないので、仕方がないことなのかもしれません。

565パンナコッタ:2005/06/29(水) 17:18:34
>564 すみません、
 念仏者を斬るどころか → 念仏者を斬ってもらう(思想)どころか
 教化≠折伏 ではない → 教化≠折伏 ですので

566犀角独歩:2005/06/29(水) 19:09:55

パンナコッタさん、土木殿のこと、そういう深い書き込みでいらっしゃいましたか。
失礼しました。

しかし、そんなに日蓮の教えが折伏偏重でないと困るんでしょうか。不思議ですね。
整理して考えるのなんて当たり前だと思いますね。

経典にはどう書いてあるのか。
天台、妙楽、伝教は、それをどう解釈したか。
日蓮は、その経と解釈とどう解釈したか。
上古の門下では、どう解釈されたか。
その後、どうなり、いまはどうなったのか。

なんていう考えは前半は仏教史であり、中は日蓮宗教学史であり、次は日蓮宗近代史ですね。

この前に大乗経典の成立史、初期経典の成立史、仏塔の成立史やら仏像の起源や、それぞれ分析して、考えるのが学問というものですよ。こういった科学的な思考が、出来ないのでしょうか。不思議ですね。

わたしは、戸田レコードと文字になった講演録、池田スピーチと聖教新聞、阿部説法と大日蓮という対象をする機会があってつくづく思いますが、これって、けっして=ではないわけです。ですから、仮に本弟子なんかの確実な文献があって、「師(日蓮)云」となっていても、そこに筆者の主観が入ると見るなんて、学問の初歩ですよね。

なんで、こんな簡単なことがわからないのか、実に不思議です。さらに写本でも、誤字脱字加筆・削除が起こるから複数本を付き合わす校合しているわけですよね。
書誌学という考えは、ここ日蓮門下にはないのでしょうか。不思議なところです、本当に。

まあ、話をわかってくれるパンナコッタさんですから、書ける内容ですが。

567パンナコッタ:2005/06/29(水) 20:53:44
>564 またまたすみません。 勧心→観心 です。

クイズ番組でお馴染みだった篠沢秀雄教授が提唱した”文体論”という学問があります。これは、
本に書いてある内容だけを吟味し、作者の生い立ちや引用文献の考察などは一切しない考え方で、
間違った引用も、勘違いした引用もそのままで思考する、という学問で個人的にはあまり有用ではないと
思っていましたが、こと蓮祖遺文の接し方については重要な考え方であると認識しました。
文体論的に概略を掴んでから、それぞれの引用文献に当たればいいわけです。このプロセスを経ない為
様々な解釈が出て、より煩雑になっていく事のように思われます。

守護国家論で思考した念仏者に対する斬首の思いを立正安国論の提出をもって実行させようとした。(幕府に提出とのことで
布施を止めるべしにしたと思う)しかし国主(この場合は最明寺)に拒絶させられ、逆に襲撃され流罪にされた事で、この折伏
【涅槃経】の儀は(論理的にも)挫折したのだと思っています。

自分は摂受と折伏の議論には加わる気はありませんのでこのスレからは身を引きますが、例えば相手を勧誘したとして
「あなた信心しますか」 → 『ハイ、やります』とすんなり決まった場合でも”折伏”というのはヘンでしょう。

568大盛:2005/06/29(水) 21:19:49
>勧心→観心
こうやって、直すところを見ると、パンナコッタさんは犀角独歩ですね。

569管理者:2005/06/29(水) 21:37:16

大盛さん

>パンナコッタさんは犀角独歩

このような決め付けは、無意味であり、且つ、当事者に取っても、掲示板にご参加の皆さんに取っても、愉快なことでは無いと思います。このような憶測を書き込むことは、止められては如何でしょうか。

念のために申し上げておきますが、犀角独歩さんと、パンナコッタさんのIPアドレスは全く異なっています。

570犀角独歩:2005/06/30(木) 07:37:35

大盛さん、スレ違いなのですが、ここに書かないと脈絡がわからなくなるので書きますが、パンナコッタさんとわたしは別人です。それから、ここは「さん」付は基本です。

571犀角独歩:2005/06/30(木) 08:00:35

パンナコッタさんが呈示された「文体論」というのは、なかなか、おもしろいですね。

わたしのブログでも紹介しましたが、沙門行妙師が日本のチベット仏教、取り分け、経蔵文書について、中には出家僧が修行の合間に記した落書きもあり、所謂、師匠の目を盗んで読み、また、写したと思われる艶本の類が、隠す場所もないので、お経の間に隠され、そのままになっていた。それを後世、見付けた人が、それまでもお経だと勘違いし、お経断片として取り込んでしまった。チベット語で書かれた文書であれば、現地の人、古い文書ならばそれに精通している人なら、それがお経か、落書きか、艶本かはすぐにわかるけれど、ネーチャーではない外国人ではなかなか、わからない。そんな落書きがいつしか、後期密教の、「歓喜」、また、日本で言えば「大楽」などになっていった…。こんな話をされていました。インド・チベットを往還しながら四半世紀を過ごし、言語巧みに現地の人を教化し、寺院3宇建立した沙門ならではの観察であると思ったものです。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/26198069.html

この沙門の指摘とパンナコッタさんが仰る文体論の話は共通するものがありますね。

あと、文献から書かれた当時の時代風俗をはかると言った分析は仏教学ではよく為されるところでした。関連して言えば、摂受・折伏を考えるとき信仰者は永年の体験と確信から、どうしても日蓮遺文を解釈しようとするものだとつくづく感じました。

こんな思いは日蓮本仏・彫刻本尊圏ならではのものだとばかり、思っていたのですが、「折伏」というキーワードや、それに関連する『如説修行抄』などでも強烈に、その執念が発揮され、ついには、自分達の信仰を抵触する意見を述べるものへの憤怒、侮蔑と人格攻撃にまでエスカレートする様を見て、学会を含む石山ばかりではなく、日蓮門下一般でもそんな宗教差別の実態は変わらないのだと改めて痛感しました。

こんな様は、社会心理学、もしくは宗教病理学に類する問題とも言えますが、そんな感情から文章を読むことを離れ、文体論というアプローチは大切な点であると思った次第です。

572犀角独歩:2005/06/30(木) 10:54:21

このスレッドも一応安堵したようですが、それにしても、折伏論者は、『本尊抄』の「行摂受時成僧弘持正法」と明確に書かれているものまで折伏と言っているわけですから、まさにお話になりませんでした。

以下、川蝉氏の言にいちおう答えておかないと議論を逃げたと思われ、不愉快なので、レスはしておきます。しかしながら、大聖人門下の掲示板において、shamon氏等、人を笑いものにして、それをほくそ笑んでみて注意するわけでもないような人物と、今後、議論をする気にはなれません。川蝉氏との会話はこれまでです。

> 犀角独歩…開目抄…恣意的

この言葉は、開目抄を本尊抄と替えてそのまま、熨斗をつけてお返しします。
「行摂受時成僧弘持正法」に明確に摂受と書かれるところまで折伏と言うことを恣意的といいます。

> …不軽菩薩の「因謗堕悪必由得益」・「而強毒之」

この点は既に述べました。

> 「折伏を前とす」の意味についてを恣意的に解釈する犀角独歩さんとは、しょせん議論がかみ合わないですね。

これも以下のように書き換えておきます。
「行摂受時成僧弘持正法」の意味についてを恣意的に解釈する川蝉さんとは、しょせん議論がかみ合わない。

なお、「折伏を前とす」についての議論は、顕正居士さんの適切なご呈示を受けながら、ひたちさん、乾闥婆と真剣に論じてきましたが、揶揄嘲笑に与同する川蝉さんには、なにも参考にならなかったのでしょう。この点は既に十分に記しましたが、読まない人にはないも同然という好見本を示していただいたわけです。

> 「富木殿御返事」…文意…恣意的に解釈

これは川蝉氏のなんでも折伏から折伏と映じる個人的リアリティなので、日蓮遺文の原意とは関係ありません。まさに川蝉氏の恣意的解釈に過ぎません。

> 犀角独歩さんが折伏の定義を「執持刀杖・斬(断)首」と限定して日蓮聖人は折伏でないと主張

何を的はずれなことを言っているのでしょうか。蓮師が開目抄に折伏を天台止観を引き、大経から折伏の義を述べたのは経証です。その止観を引くのは釈証でしょう。しかし、このような刎頭=折伏を蓮師はしていないと言ったのです。つまり、天台定義の折伏に蓮師は当たらないと書いているのです。よくもここまで、わたしの書いたことをねじ曲げることが出来るのかと呆れるばかりです。

> 日蓮聖人…強く謗法を責め下種する弘経方法…日蓮聖人は御自身…折伏の化儀であるとしていると云う主張ですから議論にならないのです。

まったく呆れるばかりですが、敢えて繰り返しましょう。
わたしは天台が止観に大経を上げて折伏を論じた、しかし、蓮師の行動は、それに当たらない。しかし「強盛に申」すことが蓮師折伏であるというのであれば、そのような行道が折伏であるいえる経釈の根拠は何かと問うているのです。根拠を問うているところで、蓮師の文を上げても仕方がないでしょう。このように質問の意味を取り違えた上で、恣意的解釈を饒舌に述べるようなやり方しかできない故に議論にならないのです。

日蓮の強説が折伏であるというから、それを証する経釈を求めているのです。それも日蓮真跡遺文の引用からということです。それにもかかわらず、開目抄から離れ、真跡遺文全編の日蓮引用からも離れて論じても、当議論とは無縁であるといっているのです。

573犀角独歩:2005/06/30(木) 10:54:43

―572からつづく―

>> これ(而強毒之)
>天台大師…

この点は繰り返しません。

> 「実大乗を教ゆべし。信、謗ともに下種と為ればなり」

「信、謗ともに下種」、順逆共に下種ということですね。
それが謗、逆化下種折伏だというわけですね。そうでしょうか。

> 三與慈悲倶。即誓願安樂行也

この点は既に意記しました。
川蝉氏の言うところは、その根拠を示さず、恣意的に述べるばかり意味をなしていません。

> 心地は同じ大慈悲であっても化儀は違うわけですから、安楽=摂受ならば不軽=折伏ということになりませんか。

なりません。

> 逆縁に無理に強いて法を説き邪見を挫き正道に導こうとした

笑止千万です。不軽は経文で見る限り、二十四文字をただ唱えたのであって、法を説いていません。邪見を挫いたわけでもありません。受けた側が単に憤怒反感を抱き、打ち、石を投げた、悪口を言ったのです。まったく経文と違うことを記しています。

> 折伏の範疇に入れても何ら不都合はないですね。

不都合でしょう。
折伏とは折り伏せると書くのです。単に二十四文字を唱えるどこが折伏なのですか。

> …此の品(不軽品)は俗を禮す。逆化して理に通ず。」
とあって不軽菩薩の化儀は逆化であるとしていますね。

ここに「俗を禮す」と明確にあります。俗人に対して敬礼して歩いたということですよ。これがどこが邪見を挫いたことなのでしょうか。不軽の敬礼は怒る迫害する俗人の有様をそのままに受け入れる修行です。まさに摂受そのものの姿ではないでしょうか。

> 開目抄の文についても私が文証になるといっても、解釈が私と違うので犀角独歩さんは文証ににならないと云うのですから、所詮、議論にならないようですね。

わたしは終始一貫して、解釈を廃して原文のみを取り扱おうと言っていますから、わたし自身の解釈など示していません。そこになんでも折伏であるという解釈ばかりで押し切ろうとするために議論にならないのです。

開目抄における文章分析は、日蓮折伏であるという部分が、では、どのような経釈によって証されるか説明すれば事足ります。ところが、解釈で強行するところから要らぬ議論になるのです。

日蓮折伏を証する経釈を、開目抄文中から、ここに挙げれば、わたしはただ納得するだけです。

しかし、いくら、このように何度記しても、解釈だけで押し切ろうとするばかりか、大聖人門下で人を愚弄して憚らない連中を傍目でほくそ笑むような人間と、金輪際、議論をする気はわたしはありません。話しかけるなとはそのような意味です。以上です。

574犀角独歩:2005/06/30(木) 11:01:52

ここで議論を整理し、答を待つことにします。
議論の継続はそれ以降といたしましょう。

蓮師が『開目抄』において、自身折伏を証する経釈はなんでしょうか。
開目抄文中から、お答えください。
「日蓮折伏」を論じる方には、まずこのハードルを越えてください。

575犀角独歩:2005/06/30(木) 11:08:51

一つ書き忘れました日蓮真跡遺文中、「逆化」語の使用は0、写本も0、注法華経でも0です。

576犀角独歩:2005/06/30(木) 13:05:48

【572の訂正】

誤)乾闥婆と真剣
正)乾闥婆さんと真剣

真摯な論議者を敬称を落としてしまいました。
謹んでお詫び申し上げます。

577顕正居士:2005/06/30(木) 14:10:32
文章は皆が納得し合っている事柄を土台に書かれますから、時代を隔たった文章を読む際には、当時の人に
なるべくなって読む必要があります。そのために、ある言葉が同時代の別の文章にどう使われているかは大事
です。次は日蓮滅後約50年後の事件を述べた太平記中の「折伏・摂受」です。前の天台座主大塔宮護良親王
(尊雲法親王)が、もう天下は鎮まったのだからお前は天台座主に戻れと主上(後醍醐帝)がおっしゃるに対し、
申し上げる。
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/texts/AnoTaih/f-vertical-frame-12.html

されば文武の二道同く立て可治今の世也。我若帰剃髪染衣体捨虎賁猛将威、於武全朝家人誰哉。夫諸仏菩

薩垂利生方便日、有折伏・摂受二門。其摂受者、作柔和・忍辱之貌慈悲為先、折伏者、現大勢忿怒形刑罰為

宗。況聖明君求賢佐・武備才時、或は出塵の輩を帰俗体或退体の主を奉即帝位、和漢其例多し。

漢文の部分を延べ書くとおおよそ次のようでしょう。

されば文武の二道同く立て治む可き今の世也。我若し剃髪染衣の体に帰り虎賁猛将の威を捨てん、武に於て
全き朝家の人は誰ぞ哉。夫れ諸仏菩薩利生方便を垂るるの日、折伏・摂受の二門有り。其れ摂受とは、柔和・
忍辱の貌を作(な)し慈悲を先と為す、折伏とは、大勢忿怒の形を現はし、刑罰を宗と為す。況んや聖明の君
賢佐・武備の才を求めん時、或は出塵の輩を俗体に帰し、退体の主を帝位に即かせ奉ること、和漢其例多し。

主上、宣旨を下して大塔宮を兵部卿に任じ、征夷大将軍に補し、ついに信貴山より入洛した。

時移り事去て、万づ昔に替る世なれども、天台座主忽に将軍の宣旨を蒙り、甲冑を帯し具を召し兵を随へ、
御入洛有し分野(ありさま)は、珍しかりし壮観也。

「仏法は摂受折伏時によるべし。譬へば世間の文武二道の如し」(佐渡御書)を読解する参考になります。
「時による」とはどういう意味か。折伏を述べる際には本尊抄と同じに「現」を使っています。

578犀角独歩:2005/06/30(木) 15:48:09

なるほど。顕正居士さんのご呈示には、本当にいつも勉強させられます。
有り難うございます。

579川蝉:2005/06/30(木) 18:19:09
573 番・ 犀角独歩 さんへ。

「> 逆縁に無理に強いて法を説き邪見を挫き正道に導こうとした

笑止千万です。不軽は経文で見る限り、二十四文字をただ唱えたのであって、法を説いていません。邪見を挫いたわけでもありません。受けた側が単に憤怒反感を抱き、打ち、石を投げた、悪口を言ったのです。まったく経文と違うことを記しています。」

との事ですが、不軽菩薩は二十四字の教えを人々に信受させようとしたのですね。二十四文字の言葉は教法ですね。二十四字の教えを否定する四衆は邪見の徒ではありませんか。

「邪見を挫いた」などと表現していませんよ。「邪見を挫き正道に導こうとした」というのは「邪見を砕こうと努力し正道に導こうとした」と云う趣旨です。

法華経の教えを四十二字に結し、其れを真実の教えとして、聞くを拒み迫害する四衆に対して、強いて聞かしめたのですね。二十四字の教えを否定する邪見の四衆に、不軽菩薩は二十四字の教えを信受せしめんと努力したのですね。
その事を
「相手の機根にかまわずに、二十四字を唱えて下種結縁しましたね。
相手にしない或いは譏る逆縁に無理に強いて法を説き下種結縁したわけです。逆縁に無理に強いて法を説き邪見を挫き正道に導こうとしたのであるから折伏の範疇に入れても何ら不都合はないですね。」
と表現したのです。

恣意的解釈とは、全く趣旨を掴み損ねた解釈のことです。ですから私の表現はでたらめ解釈などではありませんね。

「法華初心成仏抄」にある
「元より末法の世には無智の人に機に叶ひ、叶はざるを顧みず、但強て法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。其故は釈迦仏昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男女、尼法師がおしなべて用ひざりき。或は罵られ謗られ、或は打たれ追はれ一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給ひしかども、少しもこり(懲)もなくして強て法華経を説き給ひし故に、今の釈迦仏となり給ひしなり。」
とある表現を言い換えたのです。

また、
優陀那日輝上人が「妙法蓮華経常不軽品宗義抄」に
「逆化を明かすと雖も折伏の相を秘して説かず。勧持品の偈と意同じ。礼拝讃歎に託して逆化を表す。深妙の巧談なり。」(第一紙右)
という解説と、
また、田中智学大居士の「本化摂折論」にある
「『我れ深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以はいかん、汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし』と叫んだとある、此の文と、それから但行礼拝という所作と、それだけしか経に見えない、是れが折伏だというのは奈何いう由かというと、ここに於いて教理的解釈を用いて此の行相を照らすと、但令用実の化導だということが判る、」(折伏とはなにか・16頁)
と云う指摘をも意識して、上のように言い表したのです。

両師の指摘通りに不軽品が「礼拝讃歎に託して逆化を表す」「但令用実の化導を示す」から、日蓮聖人は
文永十年の「顕仏未来記」     
「例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼二十四字と此の五字と其語殊なりと雖も其意是れ同じ。彼像法の末と是の末法の初と全く同じ。」
とも表現されているのですね。

580川蝉:2005/06/30(木) 18:20:15

私の上の云い表しは、
開目抄の「 折伏を前とす」(学会版235頁11行)
について、
「この前とは、どういうこととお考えですか。前(さき)があ
れば、後があります。
つまり、ここでは、破法の人には、出家僧侶の摂受は後回しで、
まず、在家王権者の折伏(法的裁断)が前であるという意味でし
ょう。これは現在にあっても当然のことで、破法者はまず、国法
によって逮捕・処罰され(折伏)、後に聖職者の勧誡がなされる
でしょう。」
と解釈するような恣意的解釈とは全く類を異にします。

繰り返しますが、開目抄の「 折伏を前とす」(学会版235頁11行)の有る分段についての恣意的解釈を止めれば、この文段が、日蓮聖人がご自分の厳しい諸宗批判が折伏の範疇に入るものであるとしている明確な文証であることが分かります。

先学の指摘によれば「大日経第六」に
「秘密主、菩薩不麁悪罵戒を受持して、当に柔軟の心語随類言辞を以て、諸々の衆生等を摂受すべし。或いは余の菩薩の悪趣の因に住する者を見ば、之を折伏せんがために麁語を現ず」
とあり、また、
「大集経第九」に
「諸々の衆生賛美に因るが故に而も調伏することを得、呵責に因るにあらず。或いは呵責に因って調伏を得、賛美に因るにあらざるなり。
諸々の衆生逆説法に因って調伏を得、順説に因らざるあり。
或いは順説に因って調伏を得、逆に因らざるあり。」

と有るとのことです。
この両経の折伏の語意に以て云えば、日蓮聖人の厳しい言説の諸宗批判は折伏であると言い得るわけです。

その他の反論?には、労力を惜しみますので反論を書く気がしません。あしからず。

581犀角独歩:2005/06/30(木) 20:36:12

> 579〜580

どうも日本語が通じないようです。

574にお戻りください。

「蓮師が『開目抄』において、自身折伏を証する経釈はなんでしょうか。
開目抄文中から、お答えください。
「日蓮折伏」を論じる方には、まずこのハードルを越えてください。」

58201:2005/06/30(木) 22:50:07
川蝉さんに、ぶったまげ。大聖人は大日経によるんだw(°o°)w
これって説明してんの、批判してんの。大日経もってきて説明するのは恣意的じゃないんだ。ほんまかいな?
こりゃすごい。大聖人の折伏は大日如来でピッカピッカ

583犀角独歩:2005/07/01(金) 01:28:11

なるほど、怨恨が籠もった不快感が先立って気付きませんでした。
「恣意的解釈とは全く類を異にします」と大見得を切って、何を言い出すかと思えば、日蓮の厳しい言説批判を折伏とする経証は大日経というわけですか。それはそれは。
大日経に基づく折伏が日蓮の折伏という御説、しっかりと記憶させていただきます。

これは嗤えました。

584川蝉:2005/07/01(金) 16:10:07
犀角独歩さんへ。

大日経は勝鬘経と同じく方等部に属する経でしたよね。折伏に関する勝鬘経や大集経の文にはびっくりしないで、大日経にある折伏に関する文を頭から拒絶するのは変ですね。
不動愛染感見記を見てよく目を回しませんでしたね。

仏教の思想の中には、荒い言葉をもって誤りを批判する事を折伏と云う事例があると云うことです。


私は、「日蓮聖人はご自分の弘通方法を折伏の範疇に入るものと考えられていた、だから日蓮聖人の弘通方法を折伏と称してよいはず」と云う事を主張してきているのです。
私の主張の文証として、開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とする」(p335)がある文段を挙げているのです。
私の主張の妥当性の根拠の為めに、厳しい言説による諸宗批判が折伏であるとはっきりと説いてある経文が無くてもかまわないのです。
しかし、強いて挙げれば、開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とする」(p335)がある文段に挙げてある涅槃経の文が経証の一つになります。
日蓮聖人の「強盛に国土の謗法を責むれば」(p233)と言う「安楽行品の経文に相違する」(p234)弘通形態の妥当性を証する経文として涅槃経の文挙げられているのです。
「安楽行品の経文に相違する」とは摂受に相違すると云うことです。更に云えば摂受の反対の折伏的弘通をしていると云うことになります。
日蓮聖人が涅槃経の文を御自身の弘通形態が折伏であることを証する経文として引用されているのですから、当然、その経文が文証であると日蓮聖人は考えられていたことに成ります。

「出家在家法を護らんには其の元心の所為を取り事を棄て理を存して匡に大経を弘む故に護持正法と言うは小節に拘わらず故に不修威儀と言うなり」(p235)
と「涅槃経疏」を引いています。日蓮聖人は、引用されている涅槃経の文の「元心の所為」は「護持正法」であると領解されたと思いますよ。
日蓮聖人の「安楽行品の経文に相違する」弘通は「護持正法」そのものです。引用の涅槃経の「元心の所為」を実践しているのですから、引用の涅槃経が日蓮聖人の「安楽行品の経文に相違する」弘通の経証と成っていると云えます。
故に、開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とする」(p335)がある文段に挙げてある涅槃経の文が経証になると云うことになります。

また、
「 問うて云く念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたるいかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く『若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり』等云云、『仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり』等云云。」(開目抄p236)
とあります。
また文永十二年正月の「太田殿許御書」にも、同様に、
「涅槃経に云く『若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり』等云云、善無畏金剛智の両三蔵慈覚智証の二大師大日の権経を以つて法華の実経を破壊せり。

585川蝉:2005/07/01(金) 16:11:10

 而るに日蓮世を恐て之を言わずんば仏敵と為らんか、随つて章安大師末代の学者を諌暁して云く『仏法を懐乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐わり親しむは是れ彼の人の怨なり能く糾治する者は即ち是れ彼が親なり』等云云、余は此の釈を見て肝に染むるが故に身命を捨てて之を糾明するなり、」(p1003)
等と云われています。
これらの御書の文によれば、
涅槃経の「法を壊する者を見て置きて即ち能く駈遣、呵責、挙処せずば、当に知るべし。是の人仏法中の怨なり。若し能く駈遣、呵責、挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり。」
を実践していると云う日蓮聖人の自負が明白に見える文です。

「駈遣、呵責、挙処」とは、駈遣羯磨などの七羯磨のことです。
達意的にいえば、有る場所に行くことを禁じたり、誤りを責めてたり、罪を指摘したりすることです。
涅槃経では七羯磨のことを「是の如き等の降伏羯磨」(寿命品第一の三)とも称しています。
日蓮聖人は諸宗の非を指摘し、責め、誤れる点を指摘し挙げています。駈遣、呵責、挙処したわけです。「降伏羯磨」をしたわけです。「降伏」は折伏と同意義です。
「法を壊する者を見て置きて即ち能く駈遣、呵責、挙処する」ことば折伏ならば、日蓮聖人の弘通形態は折伏ですね。

ゆえに涅槃経の「法を壊する者を見て置きて即ち能く駈遣、呵責、挙処せずば、当に知るべし。是の人仏法中の怨なり。若し能く駈遣、呵責、挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり。」
の経文が、日蓮聖人の弘通形態を折伏とする経証となると思いますよ。

586犀角独歩:2005/07/01(金) 17:50:25

川蝉さん

> 大日経…方等部に属する経…拒絶するのは変

ああ、そうですか。だったら、大日経折伏に併せて、同じく方等部に属する浄土経を手にとって、あなたは「南無阿弥陀仏」と唱えるんですか。
言うところの筋からすれば、そうしないと、川蝉さん、あなたは変ですよ(笑)
まあ、ゆっくりと大日経に従って折伏もし、念仏でも称えていてください。

> 厳しい言説による諸宗批判が折伏であるとはっきりと説いてある経文が無くてもかまわないのです

そうでしょうね。何がなんでも折伏だと言い張っているだけの訳ですから、これが本音でしょう。

わたしは、今日明日は、忙しいので、明後日でも、返信することといたしましょう。
しかし、あなたは面白い人ですね。なかなか愉快です。

587川蝉:2005/07/02(土) 13:52:05
犀角独歩さんへ。

「観心本尊得意抄」に
「総じて一代聖教を大に分つて二と為す一には大綱二には網目なり、初の大綱とは成仏得道の教なり、成仏の教とは法華経なり、次に網目とは法華已前の諸経なり、・・・
所詮成仏の大綱を法華に之を説き其の余の網目は衆典に之を明す、法華の為の網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆ可きなり、其の上法華経にて実義有る可きを爾前の経にして名字計りののしる事全く法華の為なり、然る間尤も法華の証文となるべし。」
(P972)
とあります。
大日経や大集経にきつい表現や麁語もって強く説くことを折伏としている思想があると書きましたが、勿論上掲の教示を念頭にして書いているのですよ。他の経にある細目にあたる仏教思想の一つを取り上げる事が、他の経を根本依経とすることになると、なぜそんなに短絡的に考えてしまうのでしょうね。
法華経の開顕統一思想を御存知ないのかな。
諸経は法華経の為めの網目であり、法華経あっての諸経だから法華の足代、所従として諸経を引いて法華経の実義を説くに差し支えないと云う思想があるのですよ。
犀角独歩さんに云わせると、金光明経の文を引いた日蓮聖人は法華経を捨て金光明経を根本帰依としなければならないと云う事になりますね。

588犀角独歩:2005/07/03(日) 19:53:04

> 587

こんなわたしに対する難癖が、単なる感情的な決めつけであることは明らかなので、捨て置くことにします。

川蝉氏は、日蓮折伏を証するのに、経釈など、どうでもいいのだが、敢えて挙げれば、大日経によるということがはっきりしたので、もはや、これ以上、何一つ生産的な議論はないので、どうぞ大聖人門下の掲示板へお引き取りください。

591犀角独歩:2005/07/04(月) 09:48:38

やや整理しておきます。

蓮師は「経論を以て邪正を直す。信謗は仏説に任せ、敢えて自義を存すること無し」というわけで、この文言通りに受け取れば、経釈に拠らない自義はないということを表明しているわけです。つまり、述べるところの一切は、経釈という証があるということです。

実際のところ、蓮師文書は問答形式を中心に採りながら、経釈を挙げて、それに基づいて語るということに原則があります。

それ故、何か所論を述べるときにはその根拠となる経釈を引用しているわけです。
ここのところの議論で、恰もわたしが折伏が「執持刀杖斬首」であると決め付けているかのようなことを書く人がいますが、これは、要するにこの点を無視しているためであると見ます。

つまり、開目抄で蓮師は摂受・折伏を論じるのに、その経証として、摂受には法華経安楽行品、折伏には大経、その釈として止観を引用しています。ここに書かれていることが「執持刀杖斬首」ということです。ですから、大経(仏説)止観(釈)によって敢えて自義を構えずであれば、蓮師の折伏観は、この大経・止観であることは疑問の余地はありません。

この前提で、念仏・禅の言説攻撃は折伏に当たるかどうかということが議論になっているわけです。しかし、蓮師は折伏を「(在家)斬首是折義…当断其首…折伏破法之人」というばかりで、言説攻撃の根拠となる経釈を挙げていないわけです。こうなると、蓮師が言説攻撃を折伏の範疇に収めていたか否かがわからないというのが、一連のわたしが記してきたことです。

ですから、蓮師折伏義において、言説攻撃が折伏であるというのであれば、それを蓮師は「任仏説 敢無存自義」という以上、その言説攻撃を折伏の証とする経釈の引用があってしかるべきではないか、ないとすれば、そのように蓮師の言説攻撃を折伏と言うことはできないと記してきたわけです。実に簡単明瞭なことを書いてきたわけです。

このような問いかけに対して、以下の経釈が言説攻撃=折伏に当たるという意見があったわけです。

(1) 涅槃経疏…出家在家護法取其元心所為 棄事存理匡弘大教。故言護持正法。不拘小節故言不修威儀 ○昔時平而法弘。応持戒勿持杖。 今時嶮而法翳。応持杖勿持戒。今昔倶嶮応倶持杖。今昔倶平応倶持戒。取捨得宜不可一向

まず、この文頭の「出家」は前文に係るの削除されてしかるべきであるというのが確実な文書の扱いです。これは既に述べました。しかし、敢えて、蓮師がこのような改竄したとしても、この疏文中には「折伏」という語は現れていません。

(2) 涅槃経…不能降伏非法悪人。如是比丘不能自利及利衆生。当知是輩懈怠懶惰。雖能持戒守護浄行当知是人無所能為 乃至 時有破戒者聞是語已咸共瞋恚害是法師。是説法者設復命終故名持戒自利利他

この文が言説攻撃=折伏の証であると言いますが、この結論は「持戒」となっています。言うまでもなく、持杖(折伏):持戒(摂受)は蓮師の基本的な考えですから、持戒を以て折伏というのは矛盾を来すことになります。また、ここでも折伏という語は使用されていません。

(3) 涅槃経…若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞

ここでは既に前段の摂折問答は終わり、新たに「問て云く念仏者・禅宗等を責めて彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや」という問に対する経証なのであって、これ以降の引用を言説攻撃=折伏の経証となっていません。むしろ、ここからは『転重軽受法門』で見られる如く、過去の重罪を消す方途として逢う難について述べるのであって、故にその結論が「日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず。後生には大楽をうくべければ大に悦ばし」と、文が終わっています。

全般を通じてみるに、摂折は前後あってもその選択(折伏正意といった類の二極選択)をいうものではない点は、誤解を解消する必要があります。
また蓮師の行動は引用される折伏・摂受の経釈には当てはまらないこと。(執持刀杖斬首=折伏、不称長短=安楽行)
開目抄全般の文意は摂折にあるのではなく、自身逢難の説明となっていること。

以上の点から開目抄は読まれてしかるべきです。

なお、当時の蓮師は流人の身上です。まず、自衛のためといっても執持刀杖はできなかったはずです。また、顕正居士さんが引用されたとおり、たぶん『御成敗式目』の「悪口の咎の事」に当たっての擬刎頭、流罪です。つまり、説明的な意義が開目抄にあったわけです。また、流人であって、書する紙すら不足している状況で、所持できた経釈は限られ、注法華経ほか、要文抜書に頼っての記述であることも考慮されるべきです。このような点を、折伏論者は考慮していないと感じます。

592川蝉:2005/07/04(月) 17:23:41
私も整理的に。

「又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか、」(開目抄p233)
この設問によって、日蓮聖人の弘通形態が安楽行品の行儀と相違する事が分かります。

「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、」(p235)
とあるので、安楽行品の化儀は摂受だと云う事が分かります。
故に、日蓮聖人の弘通形態が摂受でないと云う事になります。
摂受の行儀と相違する日蓮聖人の弘通形態は何かと云えば、
「夫れ仏に両説あり一には摂・二には折」(p234)
とあって、化儀は大別すれば摂・折の二つに分類されるのですから、当然、折伏化導の範疇に入る弘通だと云うことになります。

>開目抄全般の文意は摂折にあるのではなく、自身逢難の説明とな
>っていること。
開目抄は
「我が身法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし。」
(p203)
とある如く、日蓮聖人が法華経の行者であることを証する事を主題にしています。
法華経弘通のため三類の迫害を受け、また、その迫害受難は
「日蓮強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし」(p233)
と、過去の重罪を消滅する手だてであるとしています。

そして「強盛に国土の謗法を責む(p233)」弘通形態は「安楽行品の経文に相違する」から「天にすてられ」て、諸天の守護も受けられないで迫害を受けているのではないか?との批判に対して、摂受・折伏の二門があるとし、涅槃経の行門折伏の文を引いて、末法の始め謗法充満の時には、強盛に謗法を責めると云う、安楽行品の摂受の化儀に相違する折伏の化儀を採るのだと云う意を述べられているのです。
涅槃経の行門折伏の文は、化儀には摂受だけでなく折伏の化儀があることを証するために引用されているのです。折伏は執持刀杖斬首の形態に限ると主張するために引用されたのではありません。

涅槃経の行門折伏の文を引いて不軽菩薩の教門折伏の文を示していないのは天台・妙楽大師が明らかに説いていないからでしょう。
引用の涅槃経の行門折伏の文には、言説による厳しい諸宗批判が折伏とは語ってないから、日蓮聖人の諸宗批判の化儀は折伏の範疇に入らないと解釈してしまうのは、あまりにも日蓮聖人の引文の真意を理解しない、文字づらに囚われた解釈です。

末法の初めは本未有善謗法者充満、破法の国と判じた日蓮聖人が折伏の化儀を採らないことはあり得ませんでしょう。

さらに
「問うて云く摂受の時折伏を行ずると折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや、」(p235)と設問し、
「善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、」と行門折伏を挙げ、次に「是くの如く種種に法を説くも然も故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん、乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して是の法師を害せん是の説法の者設い復命終すとも故持戒自利利他と名く」等云云、」(p235)
と、教門折伏すべきことを述べています。御自身の教門折伏化儀が経にかなっている事を証しているわけです。

593川蝉:2005/07/04(月) 17:24:27

そして次の文段は、教門折伏が選ぶべき化儀であるとしても
「問うて云く念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたるいかなる利益かあるや、」(p236)
と設問し、それに対して、涅槃経の「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」との文をもって、真の仏弟子としての責務であり、「釈迦多宝十方分身の諸仏の来集」(p236)の意に応えることであり、「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」(p237)の慈悲心の発露であると語っているのです。
文段の構成から考えれば、此処に引いてある涅槃経の「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」との文は、教門折伏を証するものと云わざるをえません。

私が、幾度も、末法の初めの謗法邪智の国は、折伏の化儀が正規、摂受は傍軌であると日蓮聖人は考えられていた述べていますが、折伏の化儀が正規、摂受は傍軌とは言い換えると、面は折伏、摂受は裏と云うような意味あいです。

594犀角独歩:2005/07/05(火) 08:32:09

> 日蓮聖人の諸宗批判の化儀は折伏の範疇に入らないと解釈してしまうのは、あまりにも日蓮聖人の引文の真意を理解しない、文字づらに囚われた解釈です。

ではなく、「日蓮聖人の諸宗批判の化儀は折伏の範疇に入ると解釈してしまうのは、あまりにも日蓮聖人の引文の真意を理解しない、文字づらに囚われた解釈です」です。

> 末法の初めは本未有善謗法者充満、破法の国と判じた日蓮聖人が折伏の化儀を採らないことはあり得ませんでしょう。

有り得るのではないでしょうか。

> 行門折伏…教門折伏

この言葉を証する経釈の証と日蓮の説明を挙げずに、成句が一人歩きしています。


> 末法の初めの謗法邪智の国は、折伏の化儀が正規、摂受は傍軌であると日蓮聖人は考えられていた述べていますが、折伏の化儀が正規、摂受は傍軌とは言い換えると、面は折伏、摂受は裏と云うような意味あいです。

では、傍軌として日蓮が行った摂受とはなにかが、語られていないことになります。

595犀角独歩:2005/07/05(火) 08:40:12

やや補足します。

折角ですから

> 行門折伏…教門折伏

これを示す経釈と日蓮の説明を挙げてください。
それが挙がれば、日蓮折伏は証されることになります。

596犀角独歩:2005/07/28(木) 07:48:04

さて、しばらくこちらのスレッドも停まっていましたが、法華経の常不軽菩薩について考えてみたいと思います。

従来、言われてきたことで、わたしは以下の疑問をもっています。

・法華経は折伏の経典である
・不軽菩薩は折伏である

この点については、もちろん、既に今成師が疑義を呈した点ですが、その業績を特に踏まえず、わたしの個人的な考えを記そうと思います。

まず、「法華経は折伏の経典」という点ですが、わたしはまったくこのように思いません。というより、本来、法華経は摂折論を意識して書かれていないと思えます。また、摂折は対概念であるということのようですが、この点もどうも疑わしい。寧ろ、元来、別々にあった二つの考えを対概念としたというのが正確なところであると思えます。

元来、法華経編纂者は、摂折論など、意識して、この経典をまとめていないというのが、まず、わたしが考える点です。また、漢訳した羅什自体、この経を摂折から訳したと思えません。

当然といえば当然のことですが、法華経にはただの一度も「折伏」「摂受」「摂折」と言った類の成句は使用されていません。ただ、結経とされる仏説観普賢菩薩行法経に、一度だけ使用されています。

心根如猿猴 無有暫停時 若欲折伏者 当勤誦大乗 念仏大覚身 力無畏所成

(心根は猿猴の如くにして 暫くも停まる時あることなし 若し折伏せんと欲せば 当に勤めて大乗を誦し 仏の大覚身 力無畏の所成を念じたてまつるべし)

まず、仏説観普賢菩薩行法経が法華経の結経であるというのは、教学的な解釈であり、無量義経が開経であるという説も含めて、、なんら確実な根拠たるものがありません。

ですから、‘結経’で「折伏」語が使用されていることで、法華経に「折伏」語ありという論法は成り立たないと考えます。また、仏説観普賢菩薩行法経で使用される「折伏」語は「自らの猿のような心根を自ら折伏する」と言った用法であり、他に向けられたものではなく、自分自身の心に向けられた点で、摂折論で解される内容と異なっています。

以上の点とは別に、天台は法華経を涅槃経とダッキングした形で論を進めたうえで、法華・涅槃を摂折から解釈しますが、わたしは、この姿勢には大いに異論があります。

第一に法華経全編を通読しても、この書が摂折論に基づいて記述された証拠はない。
第二に法華経は涅槃経とは別の成立であり、そのコンセプトは根本的に異なっている。故に、法華経は涅槃経で解釈されるべきではない。

つまり、従来の法華経は折伏か・摂受かという選択論自体、ナンセンスであると、わたしは考えます。

以上の点に、当然、関連しますが、法華経に登場する常不軽菩薩が折伏したという論法は、まったくナンセンスであるとわたしは考えます。何故ならば、法華経は摂折論を意識して構成されていないからです。

単に、天台等の涅槃経解釈から不軽菩薩「但行礼拝」は摂受か・折伏かという二者択一が為されているのに過ぎません。実際のところ、不軽菩薩の物語は、摂折を意識されて記述されていない以上、これを摂受・折伏のどちらかと断定すること自体、意味を為さないとわたしは考えます。

597馬鹿凡:2005/07/28(木) 09:49:07
> まず、「法華経は折伏の経典」という点ですが、わたしはまったくこのように思いません。

誤りを指摘します。「涅槃経は折伏、法華経は摂受の経典」と言われているのが通説です。これに対して、摂受とされる法華経にも折伏があることを述べたのが日蓮聖人です。

598問答迷人:2005/07/28(木) 10:22:37

馬鹿凡さん

>「涅槃経は折伏、法華経は摂受の経典」と言われているのが通説です。

通説と仰るのは、仏教学の通説という事かと存じますが、学説をご紹介賜りますれば、有り難く存じます。よろしくお願いいたします。

599犀角独歩:2005/07/28(木) 10:47:17

> 597

誤りかどうかを、議論しているのです。わたしからみれば、オウムのように通説を書くことしか能がない態度こそ、誤りという立場です。通説を鵜呑みにしたければ、自集団でやっててください。わかりきった宣伝はけっこうですよ。論拠を挙げない日蓮解釈の受け売りは、ここでの議論に馴染みません。

法華経が摂折どちらかと言えば、摂受という意見には賛成ですが、法華経を折伏といった文証は希薄だというのが、ここでの議論の流れです。

600犀角独歩:2005/07/28(木) 10:56:53

まあ、597の投稿は真偽未決書で引用される「法華折伏 破権門理」によらないということなので、この点では、所謂、折伏論者よりは、今成師、また、わたしの意見に近いことになります。

「涅槃経は折伏、法華経は摂受の経典」という点については、当スレッドで、最初のほうでわたしが天台釈などから挙げたことなので、真面目に読む気持ちのある方は、目を通してみてください。その天台より、さらに法華経そのものに戻って記したのが596であることは、ちゃんとロムしてきていただいた方であれば、言うまでもなく、おわかりいただけるところと存じます。

601顕正居士:2005/07/28(木) 13:37:26
高森大乗師は「真蹟の『開目抄』には『常不軽のごとし』の語はなかった可能性が高いことを意味し、仮に真蹟
に加筆がなされたとすれば、それは祖滅134年から祖滅161年の間に行われたことになります」(問云答曰119)
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/contents16.html
とおっしゃる。祖滅134年は日存本、161年は平賀本を指します。しかし、不軽菩薩の修行を折伏であるとする
思想が祖滅134年〜161年の間に成立したのかというと、それはもっと以前であろうとおもわれます。
祖滅47年の三位日順の『五人所破抄』に「此れ則ち勧持不軽の明文上行弘通の現証なり、何ぞ必ずしも折伏
の時摂受の行を修すべけんや」とあります。日蓮聖人自身には不軽菩薩の修行を折伏であるとする思想は
なかったと考えるほうが、『開目抄』の「常不軽のごとし」を除いた遺文に合致し、天台妙楽の釈に相違しないと
おもいます。但し、なぜ不軽折伏説が興り、加筆の後は疑われなかったのかという方向に今後は考察が必要
でしょう。
『如説修行抄』には「法華折伏破権門理」が玄義の文脈とは反対の意味で引用されます。この句は「涅槃摂受
更許権門」と対をなします。つまり文句の「大経偏論折伏」とは摂受折伏の意味が正反対になっているのです。
この抄については日尊写本の検討が必要です。
なお、『開目抄』に「大経偏論折伏住一子地 何曾無摂受 此経偏明摂受頭破七分 非無折伏」の引用があり、
天台、日蓮とも涅槃経の勢力折伏の意義が法華経にも「無きに非ず」としています。

天台学における法華涅槃の関係は、法華経は「諸法従本来 常自寂滅相 仏子行道已 来世得作仏」と空性
の立場から、第二、第三の乗、それらは存在しない、絶対の一乗だけが存在すると述べるのに対し、そのこと
を涅槃経は「悉有仏性」として肯定的に述べたとする。中観思想を土台に唯識思想や如来蔵思想を統合しよう
としたのです。

602犀角独歩:2005/07/28(木) 18:42:18

> 日蓮聖人自身には不軽菩薩の修行を折伏…思想はなかった…天台妙楽の釈に相違しない
> …なぜ不軽折伏説が興り…今後は考察が必要

まったく、このご指摘に賛同します。

顕正居士さんのご投稿からはやや離れますが、わたしは、どうにも不軽折伏という発想ほど、的外れな話はないと感じるわけです。実際のところ、不軽は折伏したわけでもなんでもなく、ただ、「軽んじない」「いつか、菩薩道をして仏になる」といったわけです。それに怒ることで罪業を積んだ衆がその‘自業自得’によって地獄に堕ちるので、これが折伏であるといい、また、本尊抄で言う摂受は、摂受の折伏であるとかなんとか、何がなんでも、折伏義によって、経文、また、日蓮遺文を判じていく様は、ほとんど、ヒステリック反応のようにすら映じます。なぜ、そこまで、「折伏」という語に拘るのか、その精神状態からの分析も必要であると思える昨今です。

603れん:2005/07/28(木) 19:52:04
御議論の進んでる中、横レス失礼します。
手元にある京都本満寺・梅本正雄師が刊行された身延日乾師校本「開目抄」の複写本を見ましたところ、確かに「常不軽品ノコトシ」の八文字は「御本ニ無」と日乾師が注されております。日乾師の写本の奥書には「於身延山以御正筆一校了」と記されておりますから、この「御本」とは身延曽存の「開目抄」蓮師真蹟であるのは自明です。つまり、「常不軽品ノコトシ」の八文字は身延曽存の蓮師真蹟には無かったことは確実です。
よって601において顕正居士さんが「日蓮聖人自身には不軽菩薩の修行を折伏であるとする思想はなかった」と述べられたことに私も賛同するものです。
さらなる摂折についての議論の深化を心より期待申し上げます。

604犀角独歩:2005/07/28(木) 21:13:00

> 601,603

顕正居士さんが論じられ、れんさんが賛同されると、俄然、信憑性は上がりますね。

605犀角独歩:2005/08/02(火) 21:53:35

ブログでも少し書きましたが、7月29日、今成師にお会いしました。その後、澁澤師を通じて、『教団における偽書の生成と展開―日蓮の場合―』(平成17年3月『仏教文学』第29号 P127〜153)を頂戴して拝読しましたが、これは実に整理された秀作でした。追ってブログでも記そうと思いますが、皆さんに一読をお薦めします。

また、澁澤師から、日蓮宗西部教化センターでの今成元昭師・小野文著師・庵谷行亨師のパネルディスカッションの原稿をご送付いただき、先行議論を再確認いたしました。今成師の説と共に、小野師の折伏妙有論は勝れた説と拝読しました。また、澁澤師の総括は、実に正鵠を得たもので、参考になります。

それにしても折伏論者の(庵谷師がということではなく、ネットその他で散見する人々)過剰反応というのは、なかなか興味深いものがあります。それに比して、齢80にして矍鑠として動じない今成師のお姿は尊敬に値します。近代史を総括して論じる小野師、秀でた分析の澁澤師、優秀な方々が日蓮宗にはいると感心させられます。

一方、折伏を論じる人間模様もまた、一つの興味を沸き立たせます。反対論者をどう扱うかという点で、その論者の人間性が垣間見え、折伏はうんざりだと改めて思った次第です。

606犀角独歩:2005/08/02(火) 21:59:45

れんさん、ロムされていらっしゃいましたらご教示ください。

今成師は605に紹介した御説のなかで

「『常不軽品の如し』…日蓮の直弟子日興の講義を記録した『開目抄要文』(北山本門寺蔵)には見当たりません」(P141)

と記されています。
れんさんは、同書の影本をご覧になったことがありますか。
もし、この記述どおりであるとすれば、日興の段階で同文がなかったことが確定されると思いますが、如何でしょうか。

607れん:2005/08/03(水) 06:04:49
犀角独歩さん。日興撰「開目抄要文」(真筆北山本門寺蔵)は巻頭と巻末を写真で見たことはありますが、残念ながら当該部分は見たことはございません。
ただし、日興「開目抄要文」を写真ないし実見にて確認したと思われる山上弘道師の記述(興風第十四号152ページ)によると「なお、身延山久遠寺に曽存した『開目抄』には、日乾の対校本によれば「常不軽品のごとし」の語が無かったようである。それは北山本門寺蔵、日興本『開目抄要文』の当該部分にも「常不軽品のごとし」の文が無く、それを裏付けている」とありますから、興本「開目抄要文」にも身延曽存真蹟「開目抄」同様「常不軽品のごとし」は無いのは確かです。
身延曽存真蹟「開目抄」のみならず興本「開目抄要文」の当該部分にも「常不軽品のごとし」が無いということは、独歩さん・顕正居士さんのご指摘の如く本来の開目抄には「常不軽品のごとし」は無く、この一文は後世の付加であって「常不軽品のごとし」の一文は、やはり真蹟としては扱えないと考えます。以上ご参考まで。

608犀角独歩:2005/08/03(水) 08:52:16

れんさん、補完いただき、有り難うございました。

『開目抄要文』は、『教化情報』第10号に載る庵谷師の、開目抄写本の論攷でも、敢えてか、何故か埒外にされています。
これを取り上げた今成師に慧眼ありと、わたしは見ました。
また、同じく今成師が指摘されるとおり、岩波文庫『日蓮文集』、日本古典文学大系、日本思想大系などに載る『開目抄』からは既に「常不軽品のごとし」は削除されているわけです。
つまり、こちらが一般です。
時代が動いているのにも関わらず、門派の旧い遺文集に執着するところからの、議論は既に終わっていると言うことですね。

611一寸法師:2005/08/03(水) 09:22:52
> 小野師の折伏妙有論は勝れた説と拝読しました

季刊「教化情報」12号 記事一部抜粋

土屋師は、本尊抄と勝鬘経、開目抄、如説修行抄、真蹟五大部などの章を立てて今成説を批判しているが、最後の「摂受と折伏の関係」に、摂折妙用論ともいうべき摂折観が述べられているので、挙げさせて頂く。なおこの研修会の日付は平成一三年十二月六日である。
 「邪義多き時、正義を掲げれば、邪なるものは益々盛んに攻め立ててくるのは道理であります、これに屈せずして、正義を立てるのが折伏であります。この有り様を見て、如何なるかと問うてくる者を導くのが末法の摂受でありましょう。邪義に勢力ある時は、折伏に摂受を具足し、正義に勢力ある時は摂受に折伏を具足しているものであります。宗祖の本懐云々に、折伏・摂受に偏する差別があるのではないと理解するのは、仏教を習う者の当然のこと。宗祖の本懐は、本仏釈尊の本懐を広宣流布することのみであり、末法に仏教を護り復活させるためには、仏説によって「時」に応じて「折伏」を表としているのであります。
 願わくば、今成先生の敢えて門下の通説に異論を掲げられたことは、宗門の活性となって、宗祖の精神を門下に復活させんとする機会になることを、期待致すものであります。」(文責 澁澤 光紀)

614犀角独歩:2005/08/03(水) 10:31:53

■小野師の当日レジュメからの抜粋

◎宗祖の本懐は<折伏妙用論>であった。
 折伏為本・摂受為本は共にとらない。「日蓮宗の宗祖」の意に反する。
○宗祖の「末法の初」「五五百歳」は天文20年で尽きた。その後の末法についてどう考えるべきか。
○はっきりと宗祖は末法の初を正が中の正として逆化折伏を限定している。そして時をわきまえよと教戒する。教団は「総」の時代を検討すべきであった。今(平成13年)は仏滅後2950年、あと50年で第6の500年(末法千年)が終る。弘教法を総括。三省すべきであった。…
田中智学も創価学会も時代を見誤った。第6の500年の日本国は、邪智謗法の本未有善(本未だ善有らず)の逆化の時代ではなく、末法の初に宗祖によって閻浮提に下種されたその仏種が、五・五百歳に始めて出現した久遠の本仏によって熟益を受ける時であった。すなわち、摂面折裏摂受を表に立て折伏の精神で支える調熟の弘教法をとるべきであった。
具体的には、純縁の門下教団であれ、無知の未信徒・異教徒(中には逆縁の者もいるであろう)であれ、不軽の菩薩行で摂引容受する時である。「末法の初」に対する「末法万年」の不軽行は、摂受・折伏にわたるからである。
優那陀日輝云わく「不軽の但行礼拝は衣・座・室の三軌、四安楽行を具足した妙益なり」(妙経宗義抄1-281)…

■また、渋澤光紀師のまとめの一部を紹介すれば

不軽品と涅槃経の折伏における無批判な出会いは、オウムのポアに似た成仏の殺人理論を生み出す危険性をはらんでいるのだといえる。
今成師が、不軽品をあくまで摂受として涅槃経の折伏と切り離すのは、こうした意味合いもあるのではないか。筆者(渋澤)にとって今成師の問題提議の現代的意味とは、実にこの点にある。それは、今成師が宗門の通説(宗義大綱)を批判して「日蓮聖人は摂受である」と主張したからこそ明らかになってきた「暴力をめぐる闘い」でもある。この問題を意識しなければ、今回の摂折論争は、教学の見直しに至らぬまま平行線の状態のままで終ってしまうと思える。
なぜならば、今成師も、パネラーとして登場頂いた庵谷師も、西條師も、小野師も、それぞれ摂受・折伏あるいは妙用と分かれても、非暴力という点ではみな一致しているからだ。涅槃経の折伏を誰も肯定していない。非暴力の受難の不軽菩薩が、摂受か折伏かで議論しているだけで、折伏の暴力とは何か、が問われないのだ。
唯一、会場において、折伏現行論の賢王の折伏が論じられていないと発言した西山茂氏(宗教学者)が、日蓮聖人の教えは涅槃経の折伏を含むこと、つまり、非暴力で有りえないということを指摘している。この摂折現行論は、四菩薩が賢王となっては折伏を、僧となっては摂受を行じて正法共同体を弘め護ることが説かれていて、王仏両輪、王仏冥合という国家と宗教の問題にかかわってくる。この摂折現行論で想定されている折伏とは、賢王という国家レベルの誡責であり暴力の行使である。賢王の折伏をどう考えるか、それは「戦争」を考えることにつながっていく。
…日蓮聖人も正法による安国を願いとしたのであって、聖戦を欲したわけではないと思う。
日蓮聖人の殺生に及ぶ折伏の肯定をどうとらえるのか。立正安国の実現と維持のために王のみに許される特権なのか。万民一同が立ち上がって行う聖戦なのだろうか。日本国一丸となって一閻浮提に及ぼすべき正法弘通のための折伏なのだろうか。この点が、じつは今回の摂折論研修において論議されるべきであった隠れた論題だったのである…

(以上、『教化情報』から抜粋)

620犀角独歩:2005/08/04(木) 05:40:46

614に続けますが、わたしが小野文著師の <折伏妙用論> の趣旨を拝読して、唸ったのは、「末法の初(500年)」・「末法万年」における日蓮の教学的な差異を明確にした点でした。また、現代でも、折伏の換言語のように使用される「下種」の意味を日蓮その人に限定して、それ以降の門下僧俗の在り方を考えていた点でした。

つまり、末法の初の500年は日蓮による南無妙法蓮華經の下種・逆化折伏の時、それ以降は、久遠本仏を仰ぐ熟益・摂面折裏であるというわけでした。これはまったく日蓮の教学からすれば、当然の帰結ながら、しかし、誰もが見誤ってきた点であると、わたしは感心しました。

今成師は日蓮の摂折論は「僅か1ヶ年程の間に書かれた4篇の遺文に過ぎません」(教団の生成と展開 P139)と記しますが、むしろ、日蓮にとって、摂折が意義をもったのは、擬刎頭から佐渡流罪という絶体絶命の状況になっていたときであり、そのときはまた、日本国は蒙古襲来、また、同士討ちという政情不安という国家的な危機とも相呼応していたわけです。このような時に国家権力の発動として、(日蓮が国家不安を導いたと信じた)念仏・禅という「邪法・邪師」の断罪=折伏=執持刀杖・斬首、また、日本国主が悪王であれば、釈尊から仰せつけられた梵天帝釈隣国の聖人・王(賢王)が愚王折伏をなすことを訴えたのは、しかし、ここ1年という、期間限定の言説であったと見なしていくと、日蓮の教説は、より正確に理解できます。

この1年間という限定期間、日蓮は、何故、大経(涅槃経)に限って、折伏の根拠としたのか、またそこから摘出した具体的行動を「執持刀杖・斬首」としたのか、さらにその王政折伏を、また、自身に充て、刎頭を望んだのかという点を考えていくと、やはり、渋澤師が、ずばり、その本質を見極めた「暴力」「戦争」「聖戦」「ポア」という問題を考えないわけにはいかなくなります。ここに渋澤師の卓見がありました。「聖戦」「ポア」が戦前日本の日蓮問題であれば、その否定と見直しは戦後日本の平和運動の理論を考えるうえで必須要項となります。さらに拡大すれば、この暴力の問題は、単に斬首断命(死刑)という点に留まらず、言論・言説暴力の問題に拡大して考えられるとき、戦後日本社会における折伏の功罪を考える基礎となり得ます。

戦前日本における折伏論は聖戦・ポアの肯定論としての罪科をわたしは明確に反省されてしかるべきであると、さらに訴えたいと思います。この点はまた顕正居士さんが、正面から「ポア」を否定される点と、わたしは同意します。さらに戦後、日本社会における折伏は、異論者を数と言説で叩きつぶすことを布教と勘違いさせた点で大いにその罪科は批正されていかなければならないと思います。

わたしが首尾一貫して、主張してきたことは、日蓮における折伏論は、言説批判を折伏とする経釈の証がないという点でした。武装・断罪(執持刀杖・斬首)については大経を経証としているものの、言説批判を直ちに折伏とする経証を挙げていないということです。日蓮は布教を「弘法」「護持正法」「広宣流布」等の成句を持って説明はしましたが、布教を折伏であるという証拠は何らないということです。

この点については折伏為体論者は、不軽折伏・而強毒之といい、不軽菩薩が強いて説く様を折伏というわけですが、わたしはこれを納得しません。この点については既に述べました。

いずれにしても、「折伏」は、戦前の日蓮主義、戦後の顕正会、創価学会問題を考える基礎用語であるばかりではなく、渋澤師が指摘されたとおり、「聖戦」「ポア」の問題を考える基礎用語であることを確認することは、重要な意義を持つと、わたしは賛同するものです。それはまた、過去において日蓮門下として、反省すべき点は反省し、今成師が摂受為体を仰り、小野師が万年熟益・妙用摂面折裏を仰る見地から、さらに日蓮における現代人を納得させることができる点は何であるのかを、一所懸命に考えたうえで弘教を模索することが、21世紀に日蓮を生き残させる方途になるであろうと、わたしは考えています。また、この点は別スレ「現代人が納得できる日蓮教学」と大いに関連するテーマでもあるわけです。

622犀角独歩:2005/08/04(木) 16:02:20

―605の補足―

今回の件では、わたしが「反対論者をどう扱うかという点で、その論者の人間性が垣間見え、折伏はうんざりだと改めて思った」という書き込みに対する反応という流れでしたが、自身の信念体系、就中、折伏論に対する一連のここでの三者同様の繰り返し批判は、まことにさらにうんざりさせられるものでした。このような方法が折伏なのか、折伏論者はこのような形を採るのかかと、さらにうんざりしたのは、事実です。批判者への言説暴力が折伏に含まれる形が解消されることを願うほかありません。

なお、先の「うんざり」という点について、やや補足すれば、この点は、むしろ、今成師の実感であろうと拝察もし、記したわけです。しかし、師は矍鑠として、「最後まで一歩も引かない。いまここで、日蓮聖人の真実相を明確にしなければならない」と、爽快に笑い仰ったお姿が印象に残っています。

蒼くなったり紅くなったり、ただ摂受論者を口汚く詰る折伏論者に比して、この師の姿勢だけでも摂受論・今成師は優位であると、わたしは敬服した気持ちと、話にならない悪口に「うんざり」するわたしの感情がリンクした感想であったわけです。しかし、わたしは特定の個人名を書いたわけでもないのに、それを自分のことのように感情的になるというのが、最も理解できない点でした。

623犀角独歩:2005/08/04(木) 16:28:14

622、少し訂正しておきます。

誤)折伏論者
正)一部の折伏論者

626犀角独歩:2005/08/08(月) 04:12:45

不軽菩薩が強説した。こんなことが日蓮門下で当然のように言われます。
本当でしょうか。

常不軽菩薩品に著名な二十四文字の法華経があります。

我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。
(我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと)

このあとに、こうあります。

不専読誦経典。但行礼拝。
(而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして、但礼拝を行ず)

梵本の岩本師の直訳で見ると、

この求法者は僧でありながら教えを説くことなく、経文をとなえることもなく、会う人ごとに、たとえその人が遠くにいても、彼は誰にでも近づいて、このように声をかけ、相手が誰であれ、このように言うのであった。

これが不軽菩薩の強説の正体です。結局、不軽菩薩は教えを説くどころか、お経を読むこともなかったのです。

639名無し:2006/03/12(日) 13:13:38
みなさん凄い勉強してますね。

640犀角独歩:2006/05/29(月) 23:54:01

「末法に摂受・折伏あるべし。所謂、悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世は悪国か、破法の国かとしるべし」

という文章の並びからすると

摂受:悪国、折伏:破法

ということになります。これを裏付けるのは、前文に「破法の人を折伏する」という件がある点で整合性を有します。この点はまた、

「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす」

という文でも並びは同じで、悪人の国土、つまり悪国:摂受、謗法(=破法):折伏という点でも一致しています。

ところで、従来、いわれるところに依れば、日本が悪国か・破法かの選別を日蓮がなしているということのようですが、果たして、これはどうでしょうか。日本は悪国でもあり、破法でもあるのではないのか、故に摂折両輪が要であるほうが自然と思えます。また、日本、悪国の故に折伏が先という者もおりますが、これは開目抄の所説と上述のとおり、一致しません。


現折伏時成賢王誡責愚王
行摂受時成僧 弘持正法

この文において、先のオフ会でも、いうところの摂受は「折伏の摂受」であるという言い古された解釈が出ましたが、わたしは、このよう言い回しは詭弁であると考えます。

理由は至って簡単です。日蓮は開目抄に大経を引用して折伏を論じ、安楽行品を引用して摂受を論じています。また、台学の釈を以てこれを捌きます。つまり、摂折二分を論じるのに経釈を挙げているわけです。であれば、折伏の折伏・折伏の摂受、摂受の折伏・摂受の摂受といった四分を論じるのに、その根拠となる経釈を挙げなければなりません。しかし、こんな珍説を支持する経釈は当然、存在しないでしょう。つまりは、摂受を折伏と言いくるめるために「折伏の摂受」などという珍説をひねり出すことは詭弁の域を出ません。これが詭弁でないというのであれば、よろしく、四分の根拠となる経釈を挙げればよろしいわけです。

また、日蓮の論法は、折伏=武=王政、摂受=弘教=僧で一貫しているのであり、ここに厳然とした分別があります。故に日蓮は武器を手に取ることはなく弘教に専念しました(摂受)。けれど、王政に対しては、破法者の武力統制・断罪を促しています(折伏)。

この点は実に明快であって、なにも賢王と僧、摂受・折伏の役割分担を混濁して、何が何でも日蓮を折伏の人に仕立て上げようとするのは、無理があります。

この無理を通そうとするときに、組み立てられるのが、不軽菩薩は強説の人、強説は折伏だという論法です。しかし、強説することが折伏であるという定義は、日蓮の真蹟遺文には見られないわけです。強説が折伏であるというのであれば、その経釈と日蓮の定義を挙げればよいことになります。しかし、このような定義は日蓮には見られません。

641犀角独歩:2006/05/29(月) 23:54:32

―640からつづく

では、日蓮が摂受の人かという問が立ちます。開目抄から見る限り、日蓮自身は安楽行品・摂受に自ら違反している自覚があるわけです。だから、折伏であるというのは、しかし、短絡でしょう。日蓮の在り方は、折伏ではなく、しかし、摂受ともいいがたく、まさに強説弘教の人です。では、この強説弘教は、摂受か・折伏かという鬩ぎをしているというより、自分は摂受に違反していない。強説弘教は摂受であるという結論をなしていったのが「摂受時成僧弘持正法」の一節であったのでしょう。

わたしは以上の点をこねくり回して、何が何でも日蓮は折伏としていく論法には、到底、納得がいきません。

なお、日蓮は一切経蔵と共に暮らしていたわけではありませんでした。故に必要な要文を書き出して携帯したのが、注法華経であったわけでしょう。
これはいわば釈の抽出作業でもあったのであろうと考えられます。
つまり、日蓮が採用する釈です。つまり、日蓮の言説を考えるとき、日蓮が注法華経に書き出していないところの釈をもってきて、これを説明するという在り方に、わたしは疑義を呈せざるを得ません。

その代表が「法華折伏・破権門理」です。日蓮の真蹟遺文には、この釈の引用はなく、また、注法華経にもありません。故に日蓮教義を類推するとき、この釈を採用することを支持できません。

また、仮にこの釈を採用し、末法・日蓮・折伏とするならば、いくつかの門だが生じるでしょう。

まず、一つはこの釈は、日蓮門下における末法の時ではなく像法での話であること。末法の日蓮は依経を法華経とするものの、上行所伝は教典ではなく、妙蓮華経の五字としていること、この点については、採用するのであれば説明する義務が生じるでしょう。

さらに該当の釈は先にも挙げましたが

故知。如百川總海諸門會實。實理要急是故須融。接引鈍根存麁方便。法華折伏破權門理。如金沙大河無復迴曲。涅槃攝受更許權門。各爲因縁存廢有異。然金沙百川歸海不別云云。

で、その関係は

如百川總海諸門會實。…法華折伏破權門理。
如金沙大河無復迴曲。 涅槃攝受更許權門。

にあると、わたしは考えます。
この点は、以下を参照いただきたいと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/109

ここで重要な点は、この釈では、涅槃経を摂受だと言っているのです。
しかし、日蓮は開目抄に大経(涅槃経)を挙げて、折伏の経証としています。
つまり、この釈をもって法華折伏を論ずれば、涅槃摂受という点も採用せざるを得ず、齟齬を来す点が、まったく論じられないのは、実に卑屈な議論であるとわたしは思うわけです。つまり、この釈をもって、日蓮は摂折を論じていないなと結論せざるを得ないわけです。

642犀角独歩:2006/05/30(火) 00:07:09

一つ書き落としました。

「法華折伏」という釈は、安楽行品を摂受とする日蓮の言説とも矛盾します。何故ならば、同品は法華経だからです。

643犀角独歩:2006/05/30(火) 00:08:33

【641の訂正】

誤)いくつかの門だが生じるでしょう
正)いくつかの問題が生じるでしょう

644犀角独歩:2006/05/30(火) 09:08:19

これは全般に言えることですが、日蓮の摂折観を探るに当たるのにも、日蓮は、どのような経釈を採用し、その採用から、どのように定義したかを考える必要があります。

この経釈の採用は、真蹟遺文と、殊に注法華経に根拠を置く。
さらに真蹟遺文の中で日蓮は、どのように定義しているのかを探るという手順ではないか。

すると、日蓮が摂折を定義するには、摂受に安楽行品を採り、折伏に大経(涅槃経)を採る。ここから見える日蓮の摂折観は

摂受―安楽行品―僧―弘持(教)
折伏―涅槃経――王―殺・武

この定義は、つまり、法華(安楽)摂受・涅槃折伏を言うわけですから、「法華折伏・涅槃摂受」という釈と矛盾します。
なおまた、台学における摂折観は、摂受・折伏どちらかを選ぶというものではなく、両輪の如く両者を採るというものです。それを折伏に偏重する説明に引用するとは、呆れた所行と言うほかありません。

参)http://www.geocities.jp/saikakudoppo/hanitirengi.html

では、不軽菩薩観は、となると、忍難強説弘教ということになります。では、この忍難強説弘教が折伏か・否かということになりますが、日蓮はそのような定義をしていません。

つまり、日蓮が不軽菩薩を折伏であるという根拠は、ただ『開目抄』の「邪智謗法の者多時は折伏を前とす。常不軽品のごとし」(定606)
となります。しかし、この「常不軽品のごとし」の一節は、日乾対照に本文になしという。しかし、山上氏などは、日乾の対照した本は、草案であって、本文にあったのだという。さて、どうか。仮にあったとしても、今成師の言う如く不軽菩薩は折り伏せられたと採ることはできます。わたしは、いまのところ今成説を支持します。

日蓮が折伏の人というのであれば、真蹟遺文、注法華経において、日蓮が採用した経釈を文証とし、その真蹟遺文中に見られる日蓮の摂折定義に基づいて語るべきです。

山中師は「注法華経に引きたまえる経釈には、本経の扶釈を目的としたものの有ることは論を俟たないが、経釈それ自体の開会のために引文されたものも、また尠くないようである。…或は本経を能摂として、之に比況しておのずから諸経の次位を定め、或は本経の能判として、之に照鑑しておのずからに諸釈を匡し、以て三国仏教の精要をして、法華経に注帰せしめようとと図られたのが、注経御選集の宏謨ではなかろうか。若しこの信解にして誤りなければ、注経全十巻に充満する聖聚を、渾べて本経の規拒として、何のためにその経釈を引かれ、また何の故にその処に注記されたかを、至心研鑽する必要がある。この用意があってこそ、始めて聖訣は顕示され宣授されて、古今東西に類型を絶せるこの一大撰著は、名実倶に「此宗末代規模」となるであろう」(『大崎学報』第109号 P61)

以上、現段階の所見とします。

645犀角独歩:2006/05/30(火) 10:14:04

読み直してみて、640・641と644は、類似した内容で、重複投稿という規約に抵触するかどうか、論点がやや違っています。しかしもし、重複投稿であると管理者さんがご判断されるのであれば、この投稿と共に、644は削除してください。

646犀角独歩:2006/05/30(火) 17:10:33

やや、つぶやきのようになりますが、客観的に考えると、法華経創作者は、その構成に摂折二門など、意識していなかったのではないのか、とわたしは思いますね。

ところが、法華成立のあと、一切経論は摂折二門を出でずなんてことがいわれるようになった。そうなると、法華もまた、摂折二門の意義を含むとなり、それが日蓮滅後の門下では、法華経と祖師は摂折どちらだろうかという教学解釈が必要となったという経緯があり、偽書も造られ、日蓮は折伏の人と落着していったというところでしょうか。

それにしても、悪口雑言、暴力迫害を受けることが、折伏したことになるというウルトラC(古い表現で通じないでしょうか)、折伏の摂受などといったことを、よくもまあ、思いついたものだと感心します。

647犀角独歩:2006/06/01(木) 15:13:24

日蓮が身に引き宛てた不軽とは何だろうか…。
私は、最近、この点に着目しています。

先に『法華経について』のスレッドで、一字三礼さんにご意見を求めたとおり、法華経典に見える不軽菩薩と上行菩薩は、そのタイプが180度違う。
常に軽蔑され、教典を説くこともなかった(一字三礼さんのご指摘では、「礼拝」することもなかった」)不軽菩薩。一方、日月が闇を引き裂くように、弁舌無尽、弘法し、無量の菩薩を一乗に住させる上行菩薩。この両菩薩を同一視することは、ほとんど不可能です。しかし、日蓮は、一方では、不軽を自身に引き宛て、一方ではどうやら、上行再誕を自認していたように映じます。

では、日蓮が菩薩に自身を引き宛てるというのは限定用法なのではないのかという仮説は成り立つのではないのか、というのがわたしの現時点の結論です。

たとえば、勧持品八十万億那由陀の菩薩は、当然、地涌菩薩ではない。不軽菩薩も地涌菩薩でもない。ところが日蓮は勧持品と不軽品の同一性を論じ、さらに地涌菩薩を自称する。では、八十万億那由陀菩薩=不軽菩薩=地涌菩薩なのかといえば、そんなはずはないわけです。

つまり、日蓮は八十万億那由陀菩薩が遭った三類強敵は釈迦末法の日蓮の時代にもあることであり、不軽菩薩が遭った各種の難、それによる其罪畢已も同じく末法の日蓮にも当たることで、この点を限定用法として、身に引き宛てているわけです。

ところが、では、地涌菩薩が、そんな煩いがあるのかといえば、法華経典で見る限り、そんな様子は全くないわけです。地涌の出現は日月の如く、諸余怨敵は旭日に消える闇の如くです。悪口雑言すらなす暇もないありません。

ここで日蓮は、自身を上行に引き宛てていたのかという疑問が再び生じます。
これは換言すれば、法華経の行者=地涌菩薩なのかということです。
『賢仏未来記』に「可令罵詈毀辱法華経行者時也。雖爾於仏滅後捨四味三教等邪執帰実大乗法華経 諸天善神並地涌千界等菩薩守護法華行者。此人得守護之力以本門本尊・妙法蓮華経五字令広宣流布於閻浮提歟。」とあります。

法華経の行者は罵詈毀辱される、しかし、この人は地涌菩薩に守護されるというのです。
そして、この法華経の行者・日蓮と、不軽菩薩は、同じ境遇であるというのが、この該当の趣旨です。ここでは、不軽菩薩と地涌菩薩を結ぶものはないわけです。
四菩薩を不軽の行儀で割り切れない理由はここにあります。

648犀角独歩:2006/06/01(木) 15:14:50

【647の訂正】

誤)賢仏未来記
正)顕仏未来記

649一字三礼:2006/06/01(木) 22:49:28

話が少し逸れますが。

「法華経は三世諸仏説法の儀式也。過去の不軽品は今の勧持品。今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。」(寺泊御書)

蓮祖の考える、不軽品と勧持品の関係が読み取れるのではないかと思うのですが、どう理解すればよいのでしょうか。すっきり会通できません。このまま読みますと、終わることなき受難の歴劫になりませんか。

それとも不軽品の時と勧持品の時では受難の主体が代わるのでしょうか。

650顕正居士:2006/06/02(金) 04:01:25
>>649
こういうことでしょう。

過去--不軽品  釈尊本因
在世--勧持品  釈尊本果
末法--不軽品  日蓮本因

不軽菩薩が釈尊の本因行であるとは俊範の説。
「日蓮是法華経行者也 紹継不軽跡之故」(聖人知三世事)

651犀角独歩:2006/06/02(金) 09:58:47

一字三礼さん

> 終わることなき受難の歴劫

強烈な表現ですが、なるほどなぁと思いました。
ただ、不軽菩薩の場合、其罪畢已で終わりがあったので、釈迦仏になったわけですね。日蓮の未来不軽というのは、このことを言うのではないでしょうか。

しかし、ここでまた問題になるのが、では地涌菩薩はどうなのかという点です。
『転重軽受法門』で

「涅槃経に転重軽受と申法門あり。先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受べきが、今生にかゝる重苦に値候へば、地獄の苦はつときへて、死候へば人・天・三乗・一乗の盆をうる事候。
不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、其罪畢已と説て候は、不軽菩薩の難に値ゆへに、過去の罪の滅かとみへはんべり」

不軽に先業重罪ありというわけです。
対して、地涌菩薩は五百塵点一番成道発発心の弟子であり、已後、今般、法華会座に至るまで「是諸菩薩。身皆金色。三十二相。無量光明。先尽在。娑婆世界之下。此界虚空中住」した菩薩です。
仏の滅後に仏勅によって弘法するにも、先業の謗法などあるはずはありません。また、五百塵点已来菩薩であり、また、未来成仏の記別もないという極めて特異な菩薩群です。

弘法に難に遭うのは「過去の誹謗正法」であると日蓮は言い、自身・法華経の行者であるといい、顕正居士さんが引用くださったとおり「紹継不軽跡之故」とも言います。勧持・不軽・法華経の行者・日蓮は一本の脈絡でつながりますが、しかし、不軽と上行をつなぐものは何一つありません。

日蓮が諸難に遭ったことは事実であり、裏返せば、過去の誹謗正法の結果であったことになります。となれば、過去に誹謗正法などあるはずもない地涌菩薩とは異なるのではないのか、というのがわたしの問題提議です。

652犀角独歩:2006/06/02(金) 11:43:19

【651の訂正】

誤)地涌菩薩は五百塵点一番成道発発心の弟子
正)地涌菩薩は五百塵点一番成道初発心の弟子


『高橋入道殿御返事』に

「上行菩薩の御かびをかほりて、法華経の題目南無妙法蓮華経の五字計を一切衆生にさづけば、…上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を、或はのり、或はうちはり、或流罪し、或は命をたちなんどする」

と、あります。‘かび’とは‘加被’でしょう。

かび 【加被】
〔仏〕 仏・菩薩・神が慈悲の力を加えて衆生を助け、願いをかなえること。加護。被護。加持。
「もし神明仏陀の―にあらずは/平家 7」(三省堂提供「大辞林 第二版」)

ここで日蓮は上行菩薩から加被されているといい、先の『顕仏未来記』を採れば法華経の行者であるとも言います。

これは『新尼御前御返事』の「日蓮上行菩薩にはあらねども、ほぼ兼てこれをしれるは、彼の菩薩の御計かと存て、此二十余年が間此を申」

この「彼の菩薩の御計」は、前述の「上行菩薩の御かびをかほりて」と意味は同じでしょう。

日蓮に上行の自覚があったというのは、日蓮教学の、いわば定説のわけですが、先に記した上行菩薩の性格と考慮して、再考してみる必要があるのではないでしょうか。

否、日蓮に上行の自覚ありと窺えるのは、安第16大本尊に記される以下の文が挙げられてきました。

文永十一年太才申戌十二月日
甲斐国波木井郷於 山中図之

大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖尓月漢
日三ヶ国之
間未有此
大本尊
或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於世
始弘宣之

これは自身上行の宣言であるという解釈です。
説得力があるわけですが、経典中から見られる地涌菩薩と、日蓮の一生は隔壁があります。つまり、上行菩薩が法華経の行者であるというのも、経典と馴染まないわけです。
悩ましい点であろうかと存じます。

653一字三礼:2006/06/02(金) 22:32:48

顕正居士さん

蓮祖理解の不軽品と勧持品についてのご教示ありがとうございます。

> 不軽菩薩が釈尊の本因行であるとは俊範の説。

不軽品の段階では、内容的にもすでに寿量釈尊ではなく、始覚釈尊に話は移っていると思うのですが、俊範は始覚釈尊の本因行として不軽菩薩を考えていたのでしょうか。

654犀角独歩:2006/06/02(金) 23:03:21

ブログに摂折を考える自分なりの道筋を記しました。
ご批正を賜れれば、有り難く存じます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50582768.html

655一字三礼:2006/06/02(金) 23:51:39

犀角独歩さん

また、NGワードがあったようなので、内容をバッサリ削っています。

上行菩薩とは

1 法華経の行者の守護者

2 己心の菩薩

3 末法に出現して、本門の三つの法門を建立する

4 妙法蓮華経(南無妙法蓮華経)の所伝者

法華経の行者と不軽菩薩の同一視は遺文中散見できますが、その存在に上行菩薩も加わるとすれば3と4の場合でしょうか。

寿量釈尊の補処たる上行菩薩は、下方虚空もしは霊山浄土に住する永遠相・浄土相の菩薩であり、不軽菩薩は始覚釈尊の前進であり、現実相の忍難の菩薩。
基本的に両者に接点は無いかのようですが、如来神力品では上行等が弘経の誓願をします。

「世尊我等仏の滅後、世尊分身所在の国土・滅度の処に於て、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん、我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持・読誦し解説し・書写して之を供養せんと欲す。」

この「仏の滅後」とは五百塵点劫×2の後の滅後を指すのではなく、始覚釈尊の滅後のことでしょうから、この誓願以後、上行等地涌菩薩は、その住所の下方虚空・霊山浄土から現実世界へ移ってくるのでしょう。
ここで現実相で上行菩薩が弘経するとき、不軽菩薩の弘経と重なる部分が発生するのでしょうか。

656犀角独歩:2006/06/03(土) 00:35:46

一字三礼さん

NGワードについて、これは投稿ができなかった文章を管理者さんにメールで送信して、何がそれに当たるのか、検証していただいてはどうでしょうか。

> ここで現実相で上行菩薩が弘経するとき、不軽菩薩の弘経と重なる部分が発生するのでしょうか

わたしは重ならないと思うわけです。
先にも記したとおり、逢難は先業の重罪(誹謗正法)だという日蓮の解釈は、法華経の經説と矛盾しません。

上行等の弘法は、什訳で挙げれば「名字及言辞 楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍 於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇 教無量菩薩 畢竟住一乗」です。逢難どころの話ではありません。何より、過去に何ら重罪がない地涌菩薩に逢難の因縁はありません。

657顕正居士:2006/06/03(土) 01:06:01
>>653 一字三礼さん。
「本因妙修行とは常不軽の立行也」
「俊範御義に云わく、釈尊の本因の行とは不軽菩薩也」
「本因妙の方では世に不軽の行を立て、本果妙の方ては鎮へに本実成の正覚を唱える」

池田令道 ・富士門流の信仰と化儀/第六章・富士門流の修行と不軽菩薩/大聖人の不軽観
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/ikeda/kegi03.htm

確認していませんが引用は『等海口伝抄』か『天台名匠口決』でしょう。
法華経のシナリオ進行上のことではなくて、釈尊が本因初住に至った根本の仏因が不軽行
という意味かと。六度万行いづれも仏因となり得、また皆満足しなければ妙覚果満の仏果を
得られないだろう。しかし本因初住に至るまでは何か集約的な修道が求められる。法華経は
万善皆成仏の因と開会し、その上で五種法師など法華経の学習、流通を重視するが、後半
では阿弥陀仏、観世音菩薩などへの様々な信仰を勧奨する。中心的な修道が明らかでない。
その中心的な修道を不軽行に求めたのでしょう。はやくに嘉祥大師吉蔵も不軽行を重視した。

御義口伝にも「過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり、寿量品の教主
とは我等法華経の行者なり」とあります。

658顕正居士:2006/06/03(土) 02:02:54
不軽行とは何か?

吉蔵も俊範も不軽行を実際に不軽品のようにやれといったわけではないでしょう。見知らぬ通行人に
対し、わざわざやれとは。しかしわざわざでなければインド人はこれをやっています。NANASTEという
のは、あなたを礼拝しますの意味だから。不軽品は寓話で、意味は他者に絶対的人格を認めることだ
といえます。
不軽品の寓話は現代の先進国人には少しわかりにくいでしょう。なぜなら現代の先進国では不軽行
はもう建前では当然の規範ですから。しかし文明未開の時代にはそうでなかった。社会の身分が人
の実体であり、絶対的人格などという概念はなかった。西欧合理主義が現代の先進社会を将来した
のですが、西欧合理主義はキリスト教と交渉して発生し、仏教・儒教圏にはそれを受容する下地が
あった。イスラーム、ヒンドゥー圏も現代文明を将来する上で大なる貢献をしたのですが、シャリーアや
ヴァルナ・ジャーティの規範が本格的な現代化を妨げています。
湛然は法華文句記で吉蔵の不軽行称揚を批判しています。出家が在家を礼拝するのは重大な戒律
の違反だからです。戒律が緩慢であった比叡山だから、吉蔵の思想が俊範に蘇ったといえるのかも。

659犀角独歩:2006/06/03(土) 10:52:26

『法華文句』の「本已有善釋迦以小而將護之。本未有善不輕以大而強毒之」

この釈は、当スレのはじめに顕正居士さんも挙げられ法華折伏の拠とされたものでした。不軽、毒鼓、逆化、折伏の根拠とされる有名な一節ですが、わたしはこの点、どうも頷けません。しかし、今回は、この点を考えようというものではなく、本已有善・釋迦/本未有善・不輕の関係を本果/本因から着目しました。この文章の並びは、時系列から言えば逆時なので、以下、これを整理します。

本因―不軽―大―本未有善―而強毒之
本果―釈迦―小―本已有善―而將護之

不軽の菩薩行を釈迦本因の修行とすれば、つまりこのドラマは五百塵点已前であるわけです。この菩薩の段階で衆生と結縁があったとすることは、五百塵点成道以前に結縁を言うわけです。当時、衆生は仏菩薩に会っていなかったかったわけですから、文字どおり未だ善を植えられていなかったわけです。しかし、不軽は人々の悪感情を懐かせ、難になさせることによってこれを強いて毒した。逆即順、毒即薬、衆生のその後流転はあったにしても、その結縁が善となった。その後、成道した釈迦に再会した。この時点では已に善を有していたという時系列となります。

重要な点は、本未有善とは、五百塵点已前の衆生の状態を言っているということです。釈迦本因の修行とその衆生の状態を、では、釈迦仏の末法にどうして当て嵌めることができるのか、五百塵点已上を経過した六或示現、他の仏菩薩に会ってきた当今の衆生が本未有善とどうして言えるのか。久遠五百塵点已前の釈迦の結縁、さらに五百塵点成道後の初発心の地涌菩薩の六万沙数の菩薩の結縁を考えれば、その後、本未有善の衆生の、あろうはずはないことになります。

ここでいう大小とはなにかについては、気分が落着しません。
本未有善・本已有善については、日蓮真蹟で言えば『曽谷入道殿許御書』に上述の釈文で引用が見られます。しかし、日蓮を自身の逢難を、勧持、不軽両品に堪忍の拠を求めることは是にしても、既に五百塵点、善を与えられた娑婆の釈尊有縁の衆生、つまり、本已有善の衆に善を与えるものであるという解釈が成り立つかどうか一考を要します。

660犀角独歩:2006/06/03(土) 10:52:48
顕正居士さん、ご教示願えたら、有り難く存じます。

> 湛然…文句記…吉蔵の不軽行称揚を批判…出家が在家を礼拝…重大な戒律の違反

とは、以下の文言を指すのでしょうか。

…大經中禮知法者。及淨名中比丘禮俗。此義不然。涅槃常儀顯敬法之志。從彼請益故忘情禮下。淨名聞法已獲重恩。故忘犯設敬不存恒則。若大乘正儀出俗恒則。亦無令道而禮於俗。不輕立行咸異於斯…

もう一点。この不軽品を指す箇所は以下のように続きます。

…不輕深敬…四安樂行準

不敬の礼拝をここでは四安楽行にと言っています。
つまり、日蓮の摂折の定義、摂受の依文とした安楽行に、不軽の行が準じるというのです。言うまでもなく、該当部分は「因謗墮惡必由得益。如人倒地還從地起」に続く文です。
また、この箇所ではありませんが、解釈で「而強毒之」と同義に使われる「毒鼓」ですが、これは大經の引用であり、涅槃摂受の見地からするとき、これを逆化折伏ととらえることに首を傾げざるを得ないのです。

何より、該当部分はそもそも摂折を以て論じるところではありません。この部分を以て不軽折伏の依文とすることは甚だ不可であると考えます。

> 戒律が緩慢であった比叡山だから、吉蔵の思想が俊範に蘇った…


この類推は、実に参考になりました。
止観禅の廃れた比叡山であればこそ、称名念仏がもてはやされ、ついで唱題を生み出す素地があったのかとも、考えられました。

661犀角独歩:2006/06/03(土) 12:03:00

つい、筆が滑りました。
当初、声明念仏が比叡山でもてはやされたわけはありませんでした。
生み出す素地があったと言い換えます。

662犀角独歩:2006/06/03(土) 12:19:05

また、打ち間違えました。称名念仏です。失礼しました。

663顕正居士:2006/06/03(土) 21:27:36
例の文について火中紅蓮さんという方のBLOGに簡潔な説明があるので、仏祖統紀の引用を
除いて本文だけ訳してみました。なお湛然の批判とは独歩さんが示されたあたりのことです。

某居士の質問
「本已有善。釈迦以小而将護之。本未有善。不軽以大而強毒之」
この句の中の「本已有善」と「本未有善」はどういう意味でしょうか?
答え
善には種類は多いが、人天の善はみな一乗の実相に至る。ここでいう善は一乗の実相です。
常不軽菩薩の時代は像法で、四衆は作仏する自信がなかった。だから本未有善といいます。
四衆は皆仏子で小善はあります。仏種は縁に従って起こる。だから常不軽菩薩は慈心を以て
但だ大乗の実相の法で而強毒之した。法華奥典は讃謗ともに円の種智を生じるからです。

釈迦は因地には常不軽菩薩です。だから釈迦の果地には悲心を以て之を将護します。華厳
の九会で四十一位の法身の菩薩を化した後、更に一類の根機未熟、退大向小……の衆生が
あって、華厳の会座では如聾如唖でした。しかし本已に善は有るのです。因地に常不軽菩薩
の強毒教化を受け、十六王子の時に法華を聞いた。しかし今は忘れてしまっている。だから
釈迦は悲心を以て之を将護し、成熟解脱させたのです。
http://blog.sina.com.cn/u/48320493010001b4

664犀角独歩:2006/06/04(日) 11:56:47

顕正居士さん

有り難うございました。
妙楽の発想は、法華原文を守文するわけではなく、なかなか自由なものであると思いました。

また、本已有善・本未有善の解説も参考になりました。

665犀角独歩:2006/06/06(火) 21:00:06

文句の「本已有善釋迦以小而將護之。本未有善不輕以大而強毒之云云」の前後、つくづくと読んでみたのですが、これは本当に従来、読まれていたような意味なのでしょうか。どうも、納得がいきません。

本已有善釋迦以小而將護之
本未有善不輕以大而強毒之

ここでいう本已有善・本未有善というのは、門下教学では釈迦、不軽に対する衆生を指しているというのですが、この点、わたしは、どうも納得がいきません。

本已有善とは釈迦を指し、本未有善とは不軽を指すのではないのかと思えるわけです。

如何となれば、この直前の句は開近顕遠を言い、衆生の信謗を言っているからです。また、釈迦は善業によって仏果を得、不敬は善業を積む行をなしていた故に、その段階では善はないわけです。
たとえば、このような読みではないのかと思えます。

もとすでに善ある釈迦をまさにこれを護り、もといまだ善有らざる不軽を強いてこれを毒す。

では、大小はとなりますが、どうも、ここがわかりません。
しかし、文句に不軽品を釈する至極は、日蓮門下では語られませんが、以下のとおりです。

「不專讀誦經典但行禮拜者。此是初隨喜人之位也。隨喜一切法悉有安樂性皆一實相。隨喜一切人皆有三佛性。讀誦經典即了因性。皆行菩薩道即縁因性。不敢輕慢而復深敬者。即正因性。敬人敬法不起諍競。即隨喜意也。不輕深敬是如來座也。忍於打罵是著如來衣也。以慈悲心常行不替。即如來室也。又深敬是意業。不輕之説是口業。故往禮拜是身業。此三與慈悲倶。即誓願安樂行也。」

手許に訓読はありませんが、ざっと訓読すれば、

「不專讀誦經典但行禮拜」とは、此れは是れ、初隨喜人之位也。隨喜一切法は悉く安樂性皆一實相有り。隨喜一切人、皆三佛性有り。「讀誦經典」は即ち了因性、「皆行菩薩道」は即ち縁因性、「不敢輕慢而復深敬」とは即ち正因性。人を敬い法を敬い諍競を起こさずは即ち隨喜の意也。「不輕深敬」は是れ如來の座也。「忍於打罵是著」は如來衣也。慈悲を以て心常に行を替ずは即ち如來室也。又「深敬」は是れ意業、不輕の説は是れ口業、故に往いて禮拜するは是れ身業此の三と慈悲と倶に即ち誓願安樂行也。

つまり、不敬は安楽行であるというのです。安楽行とは、言うまでもなく、安楽行品に説かれるところです。止観には「如安樂行不稱長短是攝義」(安楽行の如く、長短を称せずは是れ摂(受)の義)であるというわけです。

このように説かれる不軽菩薩をもって、どうして、折伏というのか、甚だ理解に苦しむわけです。

従来、言われてきたことは本当なのでしょうか。

666犀角独歩:2006/06/06(火) 21:01:01

【665の訂正】

誤)不敬は安楽行
正)不軽は安楽行

668犀角独歩:2006/06/07(水) 13:44:15

665におけるわたしの訓読に関する疑義はともかくとして、… というより、従来言われている読みの萌芽適当だと思い直すところもありますが … 本已有善・本未有善という句は、他ではまったく用いられないことを不思議に思います。
文句に対応する文句記にすら、その引用がないのです。

天台の摂折観は読めば読むほど、摂折両論であり、そのどちらかを採るものではないことがわかります。その釈文を籍りながら、その一方の折伏にのみ偏執するという解釈に、どうして陥っていたのか、これまた、不思議と言わざるを得ません。

669犀角独歩:2006/06/07(水) 16:29:24

【668の訂正】

誤)従来言われている読みの萌芽
正)従来言われている読みのほうが


日蓮真蹟遺文に見られない釈文を敢えて挙げて論じています。

665に引く文句の該当箇所に就き、文句記『釋常不輕菩薩品』に「四安樂行準前可知」と言います。以上、天台妙楽の両釈から、考えるとき、『開目抄』に

「疑云、念仏者と禅宗等無間と申は諍心あり。修羅道にや堕べかるらむ。又法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過。亦不軽慢諸余法師等[云云]。汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか」

という安楽行品違反を責められた日蓮が、のちに確信していくことは、自身、「紹継不軽跡之故」です。これはつまり、不軽=安楽行という脈絡から、安楽行=摂受を全うしているとの主張であることがわかります。

『開目抄』に「‘諍’心あり」というは、文句の「敬人敬法不起‘諍’競」とも対応しています。

このような明文があるにも拘わらず、不軽折伏とは、よくぞ言ったものだと驚きを新たにしたものでした。

http://www.cbeta.org/result/normal/T34/1718_010.htm
T34n1718_p0141a09(09)〜T34n1718_p0141a17(02)

http://www.cbeta.org/result/normal/T34/1719_010.htm
T34n1719_p0349b20(05)

*以上、ネット上の資料を顕正居士さんのサイトからジャンプして挙げました。謹んで学恩を感謝申し上げます。

http://www.geocities.jp/xianzhengjp/link01.html

670犀角独歩:2006/06/09(金) 05:50:00

665以降、特に真蹟遺文で引用がないように見られる釈を以て勘えているわけですが、日蓮はこの説を採用しています。

というのは、該当部分で見られる不軽=初随喜の人という釈を日蓮は以下のように真蹟遺文で記しています。

顕仏未来記「不軽菩薩初随喜人」

では、法華六大部のなかで、不軽を初随喜の人とする説は何処に載るのかといえば、まさに655の文句該当部分にしか載らないわけです。すなわち、不專讀誦經典但行禮拜…初隨喜人之位…安樂性…三佛性…如來座…如來衣…如來室…意業…口業…身業…慈悲…誓願安樂行也は一本の糸で紡がれた不軽解釈です。初随喜の人とは安楽行の人でもあるわけです。そして、安楽行とは、『開目抄』に引用される止観の一節のとおり「安樂行不稱長短是攝義」であり、摂受であるわけです。

日蓮は、この不軽=安楽=摂受を採って、「紹継不軽跡之故」というわけです。では、日蓮は折伏か・摂受か、自ずと答えは出ていることになります。

671犀角独歩:2006/06/09(金) 09:37:31

「毒鼓の縁」は逆化折伏の代名詞のようになっていますが、わたしはこの説明には少なくとも三つの嘘があると考えます。

(1)従来言われる毒鼓の説明は間違っていること
(2)摂折とは無関係であること
(3)不軽菩薩ともまったく関係がないこと

この依文とされるのは『大般涅槃經』の以下の箇所です。

譬如有人以雜毒藥用塗大鼓。
於大眾中擊之發聲。雖無心欲聞聞之皆死。

日蓮事典では以下のようになっています。

「どくく」とも読む。毒を塗った鼓のこと。『大般涅槃経』巻九に「譬えば人有りて雑毒薬を以て用いて大いなる鼓に塗り、大衆の中に於て之を撃って発せしむ。心聞かんと欲すること無しと雖も、之を聞いて皆死するが如し」とある。毒鼓は大衆の中でこれを打てば、聞く者をして皆死に至らしめるとされる。仏性は一切衆生に具わっているという教えは、聞く者をして皆その煩悩を滅せしめることに譬える。…

この説明はまったくのでたらめです。
そもそも、毒で衆生が死ぬことが、煩悩を滅することになるのか。
しかし、このようなところから、既に毒鼓逆化という嘘は始まっています。
たぶん、この事典の説明を書いた人は、この経文の前文と、後文を読んでいないのでしょう。

復以此藥用塗革屣。
以此革屣觸諸毒虫毒為之消。唯除一毒名曰大龍。
是大乘典大涅槃經亦復如是。若有眾生犯四重禁五無間罪。
悉能消滅令住菩提。如藥革屣能消眾毒。
未發心者能令發心安止住於菩提之道。
是彼大乘大涅槃經威神藥故。
是大乘典大涅槃經亦復如是。若有眾生犯四重禁五無間罪。
悉能消滅令住菩提。如藥革屣能消眾毒。
未發心者能令發心安止住於菩提之道。
是彼大乘大涅槃經威神藥故。
令諸眾生生於安樂。唯除大龍一闡提輩。

手許に国訳がないので、延べ書きにするべきところですが、投稿が長くなるので割愛します。この前文で言っていることは、要は毒を消す薬があり、それを革に塗ると毒が消されて安楽でいられる、しかし、そのなかで、一切衆生のなかから一闡提の輩は除くというのが趣旨です。

以上の前提で続くのが毒鼓の例証です。ですから、この鼓を撃てば、衆生は死ぬところだけれど、この薬を塗ってあるので死なない、ただし、一闡提のは除くというのが、この経文の意味です。後文は以下のとおりです。

唯除一人不膻死者。

ただ、一人を除いて横死せずです。
では、この一人とは

除不膻死一闡提也

横死せずに一闡提は除くなりというわけです。
つまり、毒鼓で死ぬどころから、この大乗経典涅槃經の力を以て死なないというのが、この経文の趣旨です。
これが、まず一つめの嘘です。

―つづく―

672犀角独歩:2006/06/10(土) 00:51:25

671引用の経文の訓読がわからないというメールをいただきましたので、我流ですが、以下に記します。誤りがあれば、ご指摘ください。
まず、慌てて投稿したために一部、文章がダブってしまいました。
以下のとおり、訂正します。


以此良藥用塗革屣。
以此革屣觸諸毒蟲毒為之消。唯除一毒名曰大龍。
是大乘典大涅槃經亦復如是。
若有眾生犯四重禁五無間罪。悉能消滅令住菩提。
如藥革屣能消眾毒。未發心者能令發心。
安住無上菩提之道。
是彼大乘大涅槃經威神藥故。令諸眾生生於安樂。
唯除大龍一闡提輩。
http://www.cbeta.org/result/normal/T12/0375_009.htm

以て此の良藥を用て革屣塗るに、
以て此の革屣諸毒・蟲毒に觸れるに之を消すと為す。唯一毒を除く名づて大龍と曰う。
是の大乘典大涅槃經も亦復是くの如し。
若し衆生有りて四重禁五無間罪を犯すに、悉く能く消滅し菩提に住せしむ。
藥の革屣の能く衆毒を消す如くに、未發心をば能く發心せしめ、
無上菩提之道に安住す。
是彼の大乘大涅槃經は威く神藥の故に、諸の衆生に安樂を生じせしむ。
唯大龍一闡提輩を除く。

次いで、以下2点を記せば、

(2)摂折とは無関係であること

当経文は、摂受の用例はなく、折伏の使用は1箇所のみです。

阿闍世王害其父已。來至我所欲折伏我。作如是問。
http://www.cbeta.org/result/normal/T12/0375_010.htm

阿闍世王其父を害し已って、我が所に來至して我を折伏せんと欲して、是くの如き問を作す。

王が仏(我)を折伏するという用例です。
つまり、そもそも、この経典は、摂折二門を以て編まれていないのです。

673犀角独歩:2006/06/10(土) 00:52:04

―672からつづく―

(3)不軽菩薩ともまったく関係がないこと

まして、法華経に登場する不軽菩薩が、この経典中に登場するわけもないわけですから、不軽と毒鼓(それも薬を得た衆生が死なない鼓)と何ら脈絡はありません。

以上の如く、従来の毒鼓=逆化折伏=不軽という図式は、経典原文から見るとき、まったく成り立たないのです。

しかし、日蓮は『曽谷入道殿許御書』に

今既入末法在世結縁者漸々衰微権実二機皆悉尽。彼不軽菩薩出現於末世令撃毒鼓之時也

といいます。ここで末世という点は気になります。実際は像法だからです。しかし、仏滅後を末世としたのであり、三時を意味する用例ではないのでしょう。それはともかく、ここで日蓮は不軽と毒鼓を関連づけて語っています。

この根拠は、文句記でしょう。

還遇不輕。乃至今日還令會入。以是義故上慢尚成遠因。聞信寧無現益。故毀謗者成毒鼓因。
(還って不軽に遇う。乃至、今日還って会入せしむ。是の義を以ての故に上慢尚遠因を成ず。聞信寧ろ現益無らんや。故に毀謗は毒鼓の因を成ず)

では、この記は、文句によります。

本未有善不輕以大而強毒之…謗故墮惡。聞佛性名毒鼓之力獲善果報。
(本未有善不輕は大を以て而も之を強毒す…謗の故に惡に墮す。佛性を聞くを毒鼓之力は善果の報を獲ると名く)

天台の用法では、毒鼓は三大部すべて使われていますが、その用法は天鼓と対となっている如くです。また、その經証に涅槃經を挙げていません。しかし、妙楽はこれを挙げるのです。

日蓮は、この天台・妙楽の釈に従ったうえで、撃毒鼓を末法に充てる点で独自性があると見えます。しかし、妙楽が引用する涅槃經が「唯一人を除いて膻死せず」となっている点に論究がないことを、わたしは実に不思議に思うわけです。
いずれにしても天台・妙楽ともに「釈常不軽菩薩品」では、それを安楽行と主づけている点までを日蓮が看過しているとは、しかし、思えません。

674犀角独歩:2006/06/10(土) 02:03:04

以上、記したことは、特に学位があるわけでもない在俗在野のわたしでも容易に気付ける点です。仏教、取り分け、天台法華・日蓮を専門にしている諸師に気付けぬはずはありません。

こんな一読すれば、容易に理解できることを、何故、従来の解釈を墨守するのか、わたしには、その神経が理解できないわけです。

675顕正居士:2006/06/10(土) 03:58:00
此の良薬(ロウヤク)を以て用ひて革屣(カクシ)に塗らん。
此の革屣を以て諸の毒虫に觸るるに毒、之(コレ)が為に消ゆ。唯、一毒を除く、名けて大龍と曰ふ。
是の大乗典、大涅槃経、亦(マタ)復た是(カ)くの如し。
若し衆生有つて四重禁(シジュウゴン)、五無間罪を犯さんに、悉く能(ヨ)く消滅して菩提に住せしめん。
薬革屣(ヤクカクシ)能く衆毒を消(ショウ)するが如く、未発心の者をして能く発心せしめ、
無上菩提の道に安住せしめん。
是れ彼(カ)の大乗大涅槃経の威神薬(イジンヤク)の故なり。諸の衆生をして安樂を生ぜしめん。
唯だ大龍、一闡提(イッセンダイ)の輩を除く。

*革屣 革の履 
*一闡提 菩薩、縁覚、声聞、不定のいずれの種姓でもない者。つまり異教徒。涅槃経の仏性常住の
説は仏教徒には通用し得ても、「成仏」を理想としない異教徒に通用するわけがないから。

これは大乗涅槃経を薬革屣に喩えたのであって、「毒鼓」とは無関係です。「毒鼓」は「法華折伏、
破権門理」の文脈で用いられます。法華の折伏は仏教徒、異教徒のたてわけを無くしてしまいます。
日蓮宗がこのへんを間違えて来たことは独歩さんのおっしゃる通りです。日蓮の思想は曖昧であり、
後世の解釈ほどではなく、迷っている印象です。日蓮は湛然絶対主義に立っていますから、日蓮の
曖昧や迷いは湛然に遡る可能性があります。

676顕正居士:2006/06/10(土) 04:48:21
法華経と涅槃経の相違

「人種」は遺伝的な概念ですが、「民族」は宗教的文化的歴史的概念です。インド人は人種的には
欧州人と同根のアーリア人と起源不明な非アーリア人の両方が混ざっています。厳しくヴァルナ
(種姓)制度を立てて、幾千年も混血を避けて来ました。民族的にはインド教徒と非インド教徒が
います。非インド教徒の代表は昔は仏教徒で今はムスリムです。
法華経と大乗涅槃経はともに「仏教民族」の統一を訴えた経典ですが、大きな違いがあります。
法華経は仏教民族と非仏教民族の文化的相違も止揚する方向ですが、大乗涅槃経は対決する
方向があります。それを智邈は「権門の理を許す」という。智邈は「折伏」を法華経と涅槃経と反対
の方向で両義に使っています。日蓮のいう折伏は涅槃経の文脈です。天文法乱以後、社会適応
のために、両義の折伏を敢えて混同し、「不軽折伏」の説が出たのではなかろうか。しかし、
両義は水と油で、会通はごまかしに過ぎない。
結局、日蓮宗の曖昧な教学は創価学会の台頭を許し、同一人種、同一民族の日本の中にあえて
「創価民族」なるものを形成せしめるに至った。創価民族の日本人と異なる宗教的文化的歴史的
由来など存在しないのに。しかし日蓮宗はもっとも病理が顕著な宗派であるから、日蓮宗の研究
は宗教病理の解明と治療法の発見のはやみちであろうというのがわたしの考えです。

677励合人:2006/06/10(土) 05:05:17
未来に日蓮仏法を根本に宗教を広めるには限界があるのは自ずと明らかです。全人類統一の心の修養には新しい教典が必要になります。それは科学と既存の仏典をもとにした未来に通用することのみで語られる新しいものです。以上、私見です。すみません。それができる日が来ることを信じて未来の糧になれるよう生きていきたいです。
このサイトの役割も大きそうですね。

678顕正居士:2006/06/10(土) 06:29:10
仏教とインド教のヴァルナ(種姓)は以下の比較が可能に思えます。

菩薩種姓--ブラフマー
縁覚種姓--クシャトリア
声聞種姓--バイシュア
-------------------
闡提種姓--スードラ

むろん、インド教のほうから見れば、仏教徒は闡提種姓=スードラです。インド文明に適応しようとした
大乗仏教が非常に声聞種姓(釈尊教団)を嫌った理由が説明できます。なるべくなら今世の中に涅槃
に入ろうというのは、あえて闡提種姓=スードラ、非再生種族の価値観に追従するものだからです。

679犀角独歩:2006/06/10(土) 08:16:37

顕正居士さん

国訳のご呈示、有り難うございます。
スケールとなっているものですから、やはり、手元に置かないと駄目ですね。
国訳はしかし、仮名の挿入で字数ばかり多くて、通読するのに鬱陶して仕方ありません。まあ、しかし、それは飽くまで個人的な話です。

智邈、灌頂、湛然の呼称のほうが、やはり、善いでしょうか。
革屣と毒鼓は関係ないという点は、再考してみます。
いずれにしても「譬如有人以雜毒藥用塗大鼓於眾人中擊令發聲。雖無心欲聞聞之皆死。‘唯除一人不膻死者’。」という点は動かないであろうと存じます。

毒鼓が法華折伏と対応するというのは湛然釈でしょうか。
この4文字は訓読すれば、「法華の折伏」ということでしょうか。つまり、法華を摂受二門から見、折伏を論じるということであろうと。
そうでないと、続く「涅槃摂受」とともに、止観と齟齬を来すことになるだろうと考えます。

「一闡提」に関するご賢察、参考になりました。
異教徒ですか。なるほど。

やや余談に属しますが、ネットでリンクを張っていらっしゃる電子仏典協会と、わたしが常に通読していた天台電子聖典のものとは、字の使い方にけっこう違いがあり、面白いと思いました。ロムの方の参考に、やや挙げれば、以下のような相違があります。ほんの一部ですが紹介。

迹→跡、衆→眾、強→彊 等

特に最後の彊の字遣いでは、たとえば智邈の文句では「而強毒之」となっているのに、湛然の記では「而彊毒之」となっているなど、注意が必要だと思いました。

迹を跡とするのは、一瞬とまどいがありました。たとえば、智邈の玄義の「從本垂迹」は「從本垂跡」等となります。こんな成句の場合は直ぐさま類推できますが、跡を一文字で使用されている箇所では、うっかりすると、これが国訳の‘迹’であることを見落としそうになります。また、‘迹’という字に就き聞いてきた説明と‘跡’では、かなり隔たりがあると思います。この迹を跡と説明していたのは管野師の『法華経入門』でした。この知識があったために、速やかにこの点が理解できました。

電子仏典協会
http://www.cbeta.org/index.htm

書き終えたリロードすると678にさらにご賢察が示されており、興味深く拝読致しました。インド教はつまり、ヒンドゥー教と音意は同一のはずですが、しかし、シャキャムニの段階ではバラモン教で、その歴史推移で バラモン教+ヒンドゥー教=インド教 と記述された拝察いたしました。

680犀角独歩:2006/06/10(土) 09:05:04

電子仏典協会で折伏(析伏)、攝受で検索をしてみると、この成句が実に多岐に使われていることがわかります。

攝受
http://www.google.com/search?q1=%C4%E1%A8%FC&amp;q=site%3Awww.cbeta.org+cbeta+%C4%E1%A8%FC&amp;hl=zh-TW&amp;ie=big5&amp;sutra_name=&amp;radiobutton=search

折伏
http://www.google.com/search?q1=%A7%E9%A5%F1&amp;q=site%3Awww.cbeta.org+cbeta+%A7%E9%A5%F1&amp;hl=zh-TW&amp;ie=big5&amp;sutra_name=&amp;radiobutton=search

析伏
http://www.google.com/search?q1=%AAR%A5%F1&amp;q=site%3Awww.cbeta.org+cbeta+%AAR%A5%F1&amp;hl=zh-TW&amp;ie=big5&amp;sutra_name=&amp;radiobutton=search&amp;SubmitSearch=%C0%CB%AF%C1

また、672にも記しましたが、攝受・折伏はセットで語られるとは限りません。
上記で検索される経典を開き、その文中を、攝受ならば折伏を、折伏ならば攝受をさらに検索してみると。その両門が記されているものと記されていないものとがあります。電子仏典協会の経文データは分巻となっているものが多いので、経典全体で精査しないと正確な比較とはなりませんが、ほぼ、以上の点は指摘できます。つまり、摂折二門は、元々から対概念として成立したものではないのだろうと類推できます。別々に発展した概念が、対概念として束ねられていった経緯があるということです。いったい、この時期は、いつ頃なのか、それは経典の訳出年代と攝受、折伏、攝受・折伏と使用されるところで整理し、年表化することによってある程度、探ることはできるだろうと思われます。

まあ、こんな研究は既にあるかも知れません。
いずれにしても、攝受、折伏が別々に発展し、やがて統合され、天台に採用され、さらに伝教を経て、日蓮が採用した。そして、その後、偽書が捏造され、折伏偏重は進むなか、さらに末法は折伏という解釈が定着し、さらに忍難強説弘持が折伏と解釈され、安土問答以降、しかし、攝受と転じ、優陀那日輝、日蓮宗となを公称する段でも攝受であったのでしょう。しかし、この顛末は、本来の日蓮義、祖道の恢復であったとわたしには思えます。

これが祖滅以降の疑偽書解釈である末法折伏為体を復活させるのは、田中智学の日蓮主義であり、結局のところ、石山、創価学会も、その影響を受けたうえで、戦後の展開があったのだろうと俯瞰できます。

わたしは今成師とはかなり違う観点から攝受をここに記しましたが、平成の攝受論の火蓋を切った師の業績を、わたしは評価します。

681犀角独歩:2006/06/11(日) 12:42:48

今成師の摂折に関しては、以下のような論攷形態となっています。
立正大学名誉教授として、大学の先生として論文形式を取って発表されたものです。折伏・教学の顕本という顕本法華宗の僧侶である今成師が、折伏に疑問を呈するところに騒動を大きくする要因があったわけです。
寄せられた反論に対して、「反論になっていない。反論には反論のルールがある」といい、所論の一々に対応した形でなすのが反論であるという師は、如何にも大学の名誉教授だなと思ったものでした。

今成師の論攷様式

■日蓮論の形成の典拠をめぐって

『如説修行鈔』
1.「如説修行」の語をめぐって。
2.「摂受」と「折伏」の語をめぐって。
3.「法華折伏」の成句をめぐって。
4.軍談調の文章をめぐって。

『開目抄』
1.構文上の不整合。
2.不軽菩薩の不整合。
3.用語法の不統一。
4.文献上の不備。

■教団における偽書の生成と展開

『如説修行鈔』をめぐって
1.思想上の問題。
2.文章構成上の問題。
3.用語上の問題。
4.文献上の問題。

『開目抄』の一節をめぐって
1.思想上の問題。
2.文章構成上の問題。
3.用語上の問題。
4.文飾の問題。


摂折論とは別ですが、今成師は、「為心師不師於心」を日蓮が『六波羅蜜經』の文であると『兄弟鈔』に記したことを永年門下教学では間違いであるとし、ついには、この原文を『涅槃經』と書き換えて出版されたことにつき、上述の一節が『六波羅蜜經』にあることを見出し、日蓮の汚名を挽回した功績は大きかったわけです。師の摂折論再考は、このような門下教学の在り方に対する警鐘をはらんだものなのであって、わたしは冷静にこれを受け止めて、反論するのであれば、反論するなりの根拠を以てして然るべきであると考えます。

以上、ご覧いただければおわかりのとおり、わたしが師の所論を参考にしているのは、『日蓮論の形成の典拠をめぐって』の『如説修行鈔』1.「如説修行」の語をめぐって、2.「摂受」と「折伏」の語をめぐって、3.「法華折伏」の成句をめぐってまでです。また、法華折伏の対語として「涅槃摂受」については、師は触れておられません。

ここに記したことのそれ以降の内容は、あくまで、わたしの管見愚考です。この点、どうか、混同なさらないでいただきたく存じます。

685犀角独歩:2007/07/26(木) 11:09:19
一字三礼さんと有意義な摂折論の議論ができました。
そのテーマに従って、こちらに移動しました。

■「而強毒之」を折伏の依文とはならない

不軽菩薩を折伏と宛てるうえに、しばしば「本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」が引用されます。

上記の釈を整理すると

┌本已有善―釋迦―小―將護
└本未有善―不輕―大―強毒

となります。この文は、文句不軽品に出てくる

「問釋迦出世踟[足*厨]不説 常不輕一見 造次而言何也 答本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之云云」

この釈文については、少し遺文を読んでいる人であれば、日蓮がどこで引用しているかを知っているでしょう。『曽谷入道殿許(がり)御書』です。

「問曰 一経二説 就何義可弘通此経 答云 私不可会通 霊山為聴衆天台大師並妙楽大師等処々有多釈 先出一両文 文句十云 問曰 釈迦出世踟[足*厨]不説 今此何意 造次而説何也 答曰 本已有善釈迦以小而将護之 本未有善 不軽以大而強毒之等云云
釈心寂滅・鹿野・大宝・白鷺等前四味之小大・権実諸経・四教八教之所被機縁 彼等之尋見過去 於久遠大通之時下於純円之種 諸衆謗一乗経経歴三五之塵点 雖然所下下種純熟之故至時自顕繋珠 但四十余年之間 過去已結縁之者 猶可有謗義之故 且演説権小諸経 令練根機」

本已有善・本未有善は「彼等衆者以時論之其経似得道以実勘之三五下種輩」といい、同一の衆生です。釈迦仏が、まだ不軽菩薩であったときに、但行礼拝した衆生です。いうところの大小は法華と「権小」であり、その相違を「信謗」と言います。経年順に入れ替え、整理すれば

┌本未有善―不輕―菩薩―大―謗―強毒
└本已有善―釋迦―仏陀―小―信―將護

つまり、不軽と釈迦も同一であれば、本已有善と本未有善の両衆生も同一であることが、この釈書の前提です。また、釈迦がためらって、小を以て將護したのは、聴聞の衆生が謗を捨てるまでのことであって、実教、殊に本門以降、その限りではないということも前提です。

さらに「強毒」について、不軽が「毒する」とされますが、わたしはこの点に懐疑的です。ここでいう毒とは三毒であり、三毒が強盛であるから謗という道筋ではないでしょうか。ここで不軽が毒したというのは、釈と一致しません。該当の文句不軽品は以下のとおりです。

「文云 不專讀誦經典但行禮拜者 此是初隨喜人之位也 隨喜一切法悉有安樂性皆一實相 隨喜一切人皆有三佛性 讀誦經典即了因性 皆行菩薩道即縁因性 不敢輕慢而復深敬者 即正因性 敬人敬法不起諍競 即隨喜意也 不輕深敬是如來座也 忍於打罵是著如來衣也 以慈悲心常行不替。即如來室也 又深敬是意業 不輕之説是口業 故往禮拜是身業 此三與慈悲倶 即誓願安樂行也 如此三四 豈非流通之妙益而謂何耶 從四衆之中下 第二明毀者之失 生瞋恚心不淨者 不受四一也 罵言無智智知於理 既言無智不受理一也 比丘即不受人一也 從何所來不受行一也 虚妄授記不受教一也 經歴多年常被罵者 結不受開權顯實之四一也 避走遠住高聲唱言亦復不受 此不受開近顯遠本地之四一也 常作是語故 結信者深信不休也 四衆爲作不輕名者 此結毀者呰毀不止也 問釋迦出世踟[足*厨]不説 常不輕一見 造次而言何也 答本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」

一瞥してわかるとおり、「不專讀誦經典但行禮拜」を釈しているわけです。「避走遠住高聲唱言」してのことです。毒するどころか、礼拝です。つまり礼拝されることによって、毀・謗といった三毒を起こすのは本未有善の衆生側のことです。

また、この釈を読めばわかるとおり、不軽の行は、そのような衆生の三仏性を拝む、身口意誓願の安楽行であるというのが趣旨です。

このように原文から見ていくとき、まったく、言われてきた不軽=折伏という論調は、釈・書からかけ離れていることがわかります。

而強毒之を折伏の根拠とすることは甚だ不可であるといえます。

686犀角独歩:2007/07/27(金) 10:14:44

先の685に取り上げた「而強毒之」について続けます。
既に、679では指摘しましたが、この成句は、日本を除く漢字圏では「而彊毒之」と記されるのが一般です。『電子天台辞典』では、両方の使用があり、いったい、実際のところはどうなっているのか悩ましい問題が残っています。

それは今後の課題として、この「強毒」「彊毒」は、強い毒、もしくは強く毒するといった意味に取られて解釈されてきた経緯があります。

しかし、ほかの可能性はないでしょうか。‘強’は「強まる」「強いる」と言った意味、‘毒’は三毒を表していると考えられないでしょうか。

つまり、強毒とは、衆生の三毒を強めるといった意味ではないのかということです。すなわち、不軽菩薩に礼拝され、「我深敬汝等…」と言われた衆生が、反感を懐き、心の三毒を強めるというのが、本来の意味ではないかということです。

この点について、湛然は以下のように説明しています。

「不輕以大而彊下云云者 爲唱令聞故也 應釋彊毒以作當來聞法之相 具如經文後時得益者也 意業淨下云云者 應釋三業對三力相 復應更對衣座室等 神通室也 説辯座也 善寂衣也 廣對一切準此可見 毀者等者 即生隨從尚猶墮苦 是則撃信毀之二鼓 爲生後之兩因 問若因謗墮苦 菩薩何故爲作苦因 答其無善因不謗亦墮 因謗墮惡必由得益 如人倒地還從地起」

夙に有名な釈文「謗に因て惡に墮せば必ず由て益を得る、人地に倒れば還て地に從て起るが如し」は、この説明でした。

湛然がここで悪というのは、謗であり、つまり、三毒のことでした。
不軽の行は三業(身口意)誓願安楽行ですが、受ける衆生は悪心(三毒)を懐く、詰まるところ、不軽が毒するわけではなく、衆生が毒を懐くのであり、それは不軽の礼拝と二十四文字の法華経によるというのが、釈の意です。ならば、強毒とは「三毒を強める」ほどの意味と解するほうが至当であると思えました。

しかしながら、日蓮が「令撃毒鼓」というところからの、湛然の説明は、ここでは違っています。

「毒鼓者 大經云 譬如有人以毒塗鼓 於大衆中撃令出聲聞者皆死 鼓者 平等法身 毒者 無縁慈悲 打者 發起衆也 聞者 當機衆也 死者 無明破也」

「毒とは無縁慈悲」であるというのです。また、「死とは無明を破す」こととも言います。

わたしは「而強毒之」と「毒鼓」でいう‘毒’はそれぞれ意味が異なっているのではないかと、現時点では考えていますが、今後の検討課題の一つしています。

688犀角独歩:2007/07/28(土) 06:14:15

いま、不軽行安楽行を、わたしは繰り返し述べていますが、顕正居士さんがご指摘をくださった該当文(記)を挙げておきます。

我為不輕行安樂行。
今謂安樂行者始行弘經 故與不輕其儀十別 何者
彼則安處法座隨問為説 此乃遠見四眾故往禮拜
彼則有所難問 方乃為答 此乃瓦行打擲猶彊宣之
彼則常好坐禪在空閑處 此乃不專讀誦入眾申通
彼則深愛法者不為多説 此乃被虛妄謗仍彊稱揚
彼則初問云何讀説此經 此乃但云流通作佛一句
彼則初修理觀觀十八空 此乃但懷一句作佛之解
彼則化佛親説詮虚空身 此乃虚空身説詮於化事
彼則夢中遠表當獲大果 此乃口宣當得佛因之教
彼則約解髻喩開二乘權 此乃約結縁表一乘之實
彼則以順化故存於軌儀 此乃以逆化故亡於恒跡
彼則列勝行法以取於人 此乃偏引往人以通勝法

http://www.cbeta.org/result/normal/T34/1719_010.htm

ここで顕正居士さんが注視されたのは「彼則以順化故存於軌儀 此乃以逆化故亡於恒跡」でした。蛇足ながら記せば‘恒跡’とは、こちらの文化圏で記述すれば、恒迹です。

安楽行品では順化で軌儀を存し、しかし、不軽品では逆化であり恒迹を亡すといいます。この後者の意味は、恒(つね)に迹を亡(うしな)うということで、二十四文字の法華経は本門立てということなのかと、わたしは解していました。つまり『顕謗法鈔』の「悲を先とする人は先権経をとく、釈迦仏のごとし。慈を先とする人は先実経をとくべし、不軽菩薩のごとし」という点と一致するところであろうと考えたということです。

顕正居士さんは「常な新見解を世に問う者には「軌儀」が存しないことはもっともであり、日蓮はそれゆえに、しばしば自己の弘経が三軌四行に相違する故、難に逢着するのであろうかと自問したのではないかとおもう」と記されていました。

『開目抄』の「法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過 亦不軽慢諸余法師等云云 汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか」という批判を挙げています。これはたしかに表面的に見ると安楽行品にいう安楽行「以順化故存於軌儀」には相違するわけですが、不軽行の安楽行「以逆化故亡於恒迹」には相違しないわけです。同抄に、日蓮は、この記の釈を挙げることはせず、「見壊法者」をもって、不軽行安楽行を説明したわけでした。

689犀角独歩:2007/07/28(土) 09:23:44

顕正居士さんがいう日蓮の自問「軌四行に相違する故、難に逢着する」という視点は、さすがだと思ったものでした。このご指摘は、既に1年前のことですが、いま読み直しても、光っています。

『開目抄」において、経文に相違するかどうかは、単に安楽行品に留まらず、全編通じて、繰り返し自問が繰り返されています。

日蓮云、日本に仏法わたりてすでに七百余年、但伝教大師一人計法華経をよめりと申をば諸人これを用ず。但法華経云 若接須弥擲置他方無数仏土亦未為難。乃至若仏滅後於悪世中能説此経是則為難等[云云]。日蓮が強義経文には普合せり。

法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此国に生ずは、ほとをど(殆)世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ぬべし。経に云 有諸無智人悪口罵詈等、加刀杖瓦石等[云云]。今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加る者ある。日蓮なくば此一偈の未来記妄語となりぬ。悪世中比丘邪智心諂曲。又云 与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢、此等経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊又大妄語の人、常在大衆中乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等日蓮を讒奏して流罪せずば此経文むなし。又云 数々見擯出等[云云]、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば数々の二字いかんがせん。此の二字は天台伝教いまだよみ給はず。況余人をや。末法の始のしるし、恐怖悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。

経文に我が身普合せり。御勘気をかお(蒙)ればいよいよ悦をますべし。

人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我身をあわせよ。

般泥[シ*亘]経云 善男子過去曽作無量諸罪種種悪業。是諸罪報О或被軽易或形状醜陋 衣服不足 飲食麁疎求財不利生貧賎家邪見家或遭王難及余種々人間苦報。現世軽受斯由護法功徳力故等[云云]。此の経文日蓮が身に宛も符契のごとし。

そして、最後の「法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過。亦不軽慢諸余法師等[云云]。汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか。」となっています。

同抄に引用される経典は、主に以下のとおりです。金光明経、清浄法行経、大涅槃経、法華経、大方広仏華厳経、大集経、維摩経、方等陀羅尼経、大品般若経、首楞厳経、浄名経、阿弥陀経、阿含経、般若仁王経、無量義経、世尊付法蔵経、大悲経、金剛頂経、観無量寿経、密厳経、大雲経、六波羅蜜経、般泥[シ*亘]経、正法華経、添品法華経、付法蔵経、心地観経、等

1年前の議論を読み直すと、日蓮上行論が前提で記していました。
この点は、一字三礼さんの提案があり、また、顕正居士さんも同意を示されたとおり、見直しが必要で、日蓮非上行という視点から再考してみようと思います。また、顕正居士さんもなんど指摘された点ですが、日蓮集団が武装をしていた、就中、日蓮自身が刀を帯持していた場合、それが自衛、形式的なものであれ、そこから折伏義を予想することは可能になります。ただし、言説弘持正法が摂受と言うことではありません。刀杖執持が折伏であるという本来の線と同じです。

以上2点については、少し再考してみたいと思っています。

690犀角独歩:2007/07/28(土) 18:48:59

3日ほどかかって、ようやくと過去の議論を読み直しました。どうにも噛み合わない不毛なものが多かったと残念に思います。そのなかで、顕正居士さんのご投稿は常に正鵠を射ていることに改めて敬服いたします。

700にも及ぶ投稿ですが、顕正居士さんのご投稿だけを拾い読みされても、かなり有意義であろうと思えました。

おしなべて言えることは、折伏論者は不軽菩薩が折伏であるという大前提から、すべての論が成り立っていることでした。これは逆化、而強毒之、毒鼓といったこともまた、折伏とすることによって論が成り立っています。

この点について、顕正居士さんは、以下で明解に示されていました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/545
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/547
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/549
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/555

安楽行品の安楽行と、不軽の安楽行は相違するわけで、それを化儀の違いといえるかどうか、仮に言えたとしても、化儀は違っても、その有様が(弘法)三軌四(安楽)行であり摂受である点は変わらないという顕正居士さんの慧眼は光っていました。

顕正居士さんに無用なところですが、不軽に関する真蹟遺文の抜き書きは以下に挙げました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/557
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/558
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/559
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/560

不軽折伏、逆化折伏、行門折伏、教門折伏といった造語が次々と飛び交って折伏論は塗り固められてきましたが、結局、これらは何一つ、日蓮に遡れないものでした。

691臨時:2007/07/29(日) 02:00:57
犀角独歩さん今晩は、

「今成師の摂折に関しては、以下のような論攷形態となっています。
立正大学名誉教授として、大学の先生として論文形式を取って発表されたもの
です。折伏・教学の顕本という顕本法華宗の僧侶である今成師が、折伏に疑問
を呈するところに騒動を大きくする要因があったわけです。
寄せられた反論に対して、「反論になっていない。反論には反論のルールがあ
る」といい、所論の一々に対応した形でなすのが反論であるという師は、如何
にも大学の名誉教授だなと思ったものでした。」

との事ですが、

今成師(立正大学名誉教授)は同じ立正大学教授の伊藤瑞叡師が「第36回中
央教化研究会議基調講演」(平成15年9月3・4日)にて「開目抄における
摂折論―仏教古典学の立場から―」(法華学報―別冊特集第13号)と題して
講演された内容は今成師の摂折論に対する批判と思える内容ですが、今成師が
この伊藤師の講演に対してもどこかで反論されておりますでしょうか。

ご存知でしたらお教え願えれば幸いです。
たまにしか顔を出さずにお願い事をするのは、大変失礼とは存じますが宜しく
お願いいたします。

692臨時:2007/07/29(日) 02:11:28
訂正―

今成師(立正大学名誉教授)と同じ立正大学教授の伊藤瑞叡師が「第36回中
央教化研究会議基調講演」(平成15年9月3・4日)にて「開目抄における
摂折論―仏教古典学の立場から―」(法華学報―別冊特集第13号)と題して
講演された内容は今成師の摂折論に対する批判と思える内容ですが、今成師が
この伊藤師の講演に対してもどこかで反論されておりますでしょうか。

失礼しました。

693偶ロム偶ログ:2007/07/29(日) 03:05:10
>臨時さん
横レス失礼します。
「第36回中央教化研究会議基調講演」では、今成師も
「日蓮聖人の摂受折伏観」と題して講演されています。
日蓮宗現代宗教研究所の所報である『現代宗教研究』第38号(平成16年3月)に
伊藤師の講演とともに全文掲載されています。
またお二人への「質疑応答」もほぼ収録されています。
今成師の講演のあとに伊藤師が講演し、その後に質疑応答がありましたから、
お二人ともお互いの講演内容を踏まえて質問に答えられていますが、時間の関係か
簡単なものです。
日蓮宗東京西部教化センターの機関誌『教化情報』は今成師の論考などを含めて、
数回関連記事を掲載していて参考になると思います。

694犀角独歩:2007/07/29(日) 05:02:08

偶ロム偶ログさん、有り難うございます。
臨時さん、693とのことです。

695臨時:2007/07/29(日) 10:19:53
偶ロム偶ログ さん早速のレスありがとうございました。

『現代宗教研究』第38号を読んで見たいと思いますが、どのようにしたら入
手可能でしょうか?取り敢えずインターネットで検索して見ます。

696偶ロム偶ログ:2007/07/29(日) 11:38:51
>695
『現代宗教研究』はメールか電話で日蓮宗現代宗教研究所に問い合わせてみたらどうでしょうか。
この掲示板で紹介されたと言えばいいんじゃないかと。
『教化情報』は日蓮宗現代宗教研究所のHPの教化センターのページに東京西部教化センターの
サイトがリンクされています。ただ、こちらは有料だったと思います。
ちなみに『教化情報』の関連記事は、
10号「日蓮聖人の摂折観をめぐって」
15号「摂折論争の現在」他
このほか11、12、14号にも関連記事があるようです。
なお、16号には今成師の
「宗門運動をめぐって 立正安国と『立正安国論』との間」
という一文も掲載されています。

697独学徒:2007/07/29(日) 12:26:36
横レス失礼します。
『現代宗教研究』以下にPDF版・テキスト版で見れます。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho.htm

また、こちらでの議論を意識してかどうかわかりませんが、継命誌上で今号から4回にわたって、山上弘道師が「不軽菩薩の利益を今に」と題した論考を掲載するようです。

698臨時:2007/07/29(日) 13:49:03
偶ロム偶ログさん、又独学徒さんレスありがとうございました。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho38.pdf

よりpdfデーターにてダウンロードし現在印刷中です。

独学徒さん
<山上弘道師が「不軽菩薩の利益を今に」と題した論考を掲載するようです>
との事楽しみにしています。

699犀角独歩:2007/07/29(日) 23:29:09

正信会がいちばん、やらなければいけないことは、あの彫刻の真偽追及です。それをやらないで、日蓮本仏の立場にありながら、釈迦本仏の人々と詐親して、遊戯雑談して折伏もないものです。

不軽の利益を言うより、先にやることがあります。

700偶ロム偶ログ:2007/07/30(月) 01:59:37
>699
独歩さん、それは無い物ねだり、かもです(苦笑)
正信会は基本的に、「細井日達氏当時の日蓮正宗の教義教学」を大前提としている
日蓮正宗系のセクトだということです。
彼らがやらなければならないことは、「あの彫刻の真偽追及」ではなく、「あの彫
刻の真作証明」のはずです。それが日達氏の遺弟の道でしょう。
たかが創価学会や池田大作氏や阿部日顕氏の謗法を、あれだけ鋭く追及・糾弾した
わけですから、独歩さんの所説について沈黙していることは不可解かつ不自然きわ
まりないていたらくですね(苦苦笑)。
あとのつぶやきは「偽作説スレ」に移動します。

701犀角独歩:2007/07/30(月) 06:13:46

700 偶ロム偶ログさん、まあ、そうでしょうか。

正信会については、古文書解読については参考になるが、日蓮の教学解釈となると途端に参考対象外という点は、よくよく認知しないとダメでしょうね。日蓮本仏、彫刻肯定、折伏前提という固定観念から取り払ってみないといけませんね。

古文書を読めるから、教学にも精通しているはずだは、ひいき目に過ぎません。

ここの人々の話題はこれくらいにします。

702犀角独歩:2007/07/30(月) 06:50:05

さて、ここ2年の議論を振り返り、いくつか記させていただきます。

まず、不軽、逆化、強毒、毒鼓といった言葉は、門下教学では「折伏」の説明後にされていますが、実際に原文に当たると、どれも摂受を意味するものでした。

この点について、補足すれば『文句記』の安楽行品安楽行と、不軽菩薩の安楽行の相違を挙げた一つ「彼則以順化故存於軌儀 此乃以逆化故亡於恒迹」までもが、不軽折伏の根拠とされてしまっています。このような論者は彼(安楽行品=摂受)との相違を挙げているから不軽安楽行は折伏なのだというのです。しかし、これはまったくの詭弁でしょう。記でいう相違は同じ安楽行=摂受における相違に過ぎません。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/688

同じことが『開目抄』の解釈でも言われます。
日蓮は、自身が安楽行品(=摂受)に違背しているといっているから、それ以降の記述は、自身折伏を記しているというのです。

ところが『開目抄』を、‘経文’という線から読み直すと、日蓮は経文に相違するどころか、符合することに絶対の確信を述べています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/l50

「経文に我が身普合せり。御勘気をかお(蒙)ればいよいよ悦をますべし。 人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我身をあわせよ」

とまで、言う日蓮が、ひとり安楽行品ばかりは相違しているとするのは、『開目抄』全体の流れからして、如何にも不自然です。

「疑云、念仏者と禅宗等無間と申は諍心あり。修羅道にや堕べかるらむ。又法華経の安楽行品云 不楽説人及経典過。亦不軽慢諸余法師等[云云]。汝此経文に相違するゆへに天にすてられたるか」という他者からの批判は、日蓮は納得したわけではなく、それ以降に、けっして自分は相違していないことを諄々と説いていくのがこの抄の結論ではないでしょうか。

安楽行品の安楽行と、不軽菩薩の安楽行には相違があるにせよ、安楽行であり、摂受の域でした。同じように日蓮の安楽行(三軌四行)は、その不軽菩薩とは相違がある。では、どのような相違かと言えば、それは勧持品の菩薩が二十行偈に唱えたことを我が身に宛てた如き差であり、その有様は強義「念仏者と禅宗等無間と申」ことである。けれど、不軽菩薩の行が安楽行であったように、日蓮の勧持身読もまた、けっして安楽行品に相違するものではない、ただ時の違いから、その摂受の有様が違うのであり、それが具体的には「見壊法者」の涅槃経によって証明される。日蓮が『本尊抄』に標榜した「行摂受時成僧弘持正法」という不朽の結論は揺るがないということでした。

『開目抄』全編は、日蓮が自身、法華経文に符合した法華経の行者の宣言であり、その一品である安楽行品に限って相違するとすれば、齟齬を来すことになります。

703犀角独歩:2007/07/30(月) 10:00:47

所報第38号を、ざっと読み直したのですが、早坂師、有本師の小論は、こう書いては失礼ですが、問題外。

伊藤師については、摂折解釈が、日蓮の真蹟遺文から大きくはみ出しているというのが一点。その反面、以下の『開目抄』については、まったく講演の中では触れていなかったのが印象的でした。

止観云 夫仏両説。一摂・二折。如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖乃至斬首是折義。雖与奪殊 途 倶令利益等[云云]。弘決云 夫仏両説等者О大経執持刀杖者 第三云 護正法者不受五戒不修威儀。乃至 下文仙予国王等文 又新医禁云 若有更為当断其首。如是等文 並是折伏破法之人。一切経論不出此二等[云云]。文句云 問 大経明親付国王持弓帯箭摧伏悪人。此経遠離豪勢謙下慈善剛柔碩乖。云何不異。答 大経偏論折伏住一子地。何曽無摂受。此経偏明摂受頭破七分。非無折伏。各挙一端適時而已等[云云]。
涅槃経疏云 出家在家護法取其元心所為 棄事存理匡弘大教。故言護持正法。不拘小節 故言不修威儀 О昔時平而法弘。応持戒勿持杖。今時嶮而法翳。応持杖勿持戒。今昔倶嶮応倶持杖。今昔倶平応倶持戒。取捨得宜不可一向等[云云]。

この点を質疑応答で問われると、「それはね、迹化の立場ですね。日蓮聖人は本化ですから違います。迹化の立場を前提として引用したためにそれを、大経を引いたわけで、日蓮大聖人は大経を引いといて、常不軽の立場の口業、言葉における折伏」(P368)

大経(涅槃経)は迹化の立場ならば、同じ『開目抄』に引く「見壊法者」も迹化の立場となってしまうので、齟齬を来すことになります。
また、蒙古国王の日本愚王の治罰を肯定し、謗法者の首を刎ねることを日蓮が迫った根拠は、まさにこれら智邈・湛然の釈にあるわけですから、これを迹化として斥けてしまえば、『開目抄』一抄では辻褄合わせができても、今度は、本化の立場から為政者の治罰の根拠を失うことになります。
(常不敬が口業折伏という点については、先に記してきたのでここでは割愛します)

以上にも関連しますが、『本尊抄』の

当知此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王
行摂受時成僧弘持正法

も講演中には触れず、質疑応答でこの点を司会から問われると

「『本尊抄』について詳しく説明する時間はありませんでしたけれど、非常に厳密に上段の方に論明しておりますので、読んでいただければと思います。それから刀杖を持すべしもの、専守防衛。責められたる場合護るというためにもつというわけで、しかもそれは迹化です」(P369)

これはまったく答えになっていません。第一、該当の「現折伏時成賢王誡責愚王」とは、迹化の菩薩ではなく、本化四菩薩が賢王と現じることを述べるわけです。「誡責愚王」が専守防衛であるわけもありません。

以上、伊藤師の講演、広汎な摂折論攷気としては勉強になりましたが、肝心の『開目抄』『本尊抄』の、日蓮の摂折論については、まったく画竜点睛を欠いたもので参考になりませんでした。

705犀角独歩:2007/07/30(月) 11:23:23

【703の訂正】

誤)常不敬
正)常不軽

誤)広汎な摂折論攷気としては
正)広汎な摂折論攷としては

706犀角独歩:2007/07/30(月) 16:08:40

■摂受・折伏、日蓮はどちらを先と言ったか

『開目抄」における摂折の順番は、どうも折伏論者がいうところは逆ではないのかと常々思ってきました。

「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時は折伏を前とす」

┌無智悪人 ― 摂受を前
└邪智謗法 ― 折伏を前

さらに「末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし」、この文は、以下のように配列できます。「折伏破法之人」と脈絡できます。


┌摂受 ― 悪国
└折伏 ― 破法

併せれば

┌無智悪人 ― 摂受を前 ― 悪国
└邪智謗法 ― 折伏を前 ― 破法

ここで折伏論者は、日本は破法の国であるから折伏が先であるといいます。しかし、日蓮は、日本を悪国であるといっているのです。

「‘悪国’悪時これなり。具には立正安国論にかんがへたるがごとし」(開目抄)
「諸天善神去此‘悪国’故」(富木殿御返事)
「其外閻浮守護天神地祇或去他方 或住 此土不守護於‘悪国’」(曽谷入道殿許御書)

この点は既に一字三礼さんとも議論した点ですが、上述の整理からすれば、明らかに摂受が前になります。

■日蓮の摂折観は四重の構成

日蓮における仏/菩薩/衆生と摂折の関係は『本尊抄』から考えると、以下のように図示できます。

  ┌─────┐
  │仏   陀│一重
  ├─────┤
  │四 菩 薩│
  ├──┬──┤
二重│ 僧 │賢王│三重
  ├──┼──┤
  │摂受│折伏│
  ├──┼──┤
  │弘持│誡責│
  │正法│愚王│
  ├──┴──┤
  │衆   生│四重
  └─────┘

(※図が乱れるときは以下を参照
  http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

日蓮は摂折を考えるにあたり、仏陀、四菩薩(僧・賢王)、そして衆生と、それぞれ分別して、述べています。ところが、従来の摂折論は、摂受か・折伏かという選択を、その相違を度外視て、一様に論じている、という点に、まず大きな分析のミスがあると、わたしは思います。

また、経典は摂折、どちらかに偏るというより、その両意を具えて一経をなしているという判断が智邈・湛然にはあると思えます。

それにもかかわらず、末法は折伏一辺倒の論調は、あまりにも単純化し即断というほかありません。

智邈・湛然の摂折論において出家:在家=摂受:折伏は構成の主要な要素であり、たとえば、涅槃経の覚徳比丘(出家)・有徳王(在家)の物語を摂受・折伏で考える場合もその両意を孕んでいることは当然のことです。ただ、それが覚徳比丘を見れば摂受であり、有徳王を見れば折伏であるということなります。

これは日蓮も同様なのであって、『本尊抄』に四菩薩に摂折を考えるに出家(僧)を摂受、在家(賢王)を折伏に宛てています。この日蓮の解釈は、どちらか一方を採るものではなく、智邈・湛然と同じように出家在家を分別し、そこに摂受・折伏を別に見立てているわけです。

このような四菩薩の働きをしかし、菩薩の自主性に求めるのではなく、如来使と見立て、その摂折両意の権能を経に寄せ、すなわち仏陀に寄せている故に釈尊御領観がそこに存するのでしょう。

では、実際に済度の対象となる衆生はどうなのか。日蓮は、この衆生の役割に、なんら摂折の責務を配列していないことは、凡そ摂折を論じるなかで語られることがないわけです。過去に述べたことですが、出家でもなく、在家為政者でもない、いわゆる信者は、摂折の責務を負うというより、済度の対象であり、五十展転の随喜を以てする、一歩進めれば、五字の妙法を唱えるところにその信仰を置くのではないかと、わたしは考えます。

日蓮の摂折観は、仏陀・経釈に根拠を置き(一重)、智邈・湛然の出家:在家=摂受:折伏のコンセプトから四菩薩に僧(二重)・賢王(三重)、衆生(四重)済度のために組み立てられた、いわば四重構造になっている点を考える必要があるとわたしは考えます。

それを末法は折伏正意、摂受も折伏、衆生も折伏、一切合切、折伏に当て嵌めていく解釈は、あまりにも乱暴ではないかと考えるわけです。

707犀角独歩:2007/07/30(月) 17:44:54

■二十四字は法華経ではない、その意である

「二十四文字の法華経」という成句は、石山教学を学んだ人であれば、誰しもが知っています。

しかし、安楽行品では、二十四字「我深敬汝等不敢輕慢 所以者何 汝等皆行菩薩道當得作佛」を、決して法華経としては扱っていません。

扱っていないどころか、威音王仏の法華経を、不軽菩薩は「臨欲終時 於虚空中 具聞威音王仏 先所説法華経 二十千万億偈 悉能受持」というのです。

そして、その後、「是六根清浄已 更増寿命 二百万億 那由他歳 広為人説 是法華経」といいます。

では、「是法華経」はといえば、まさに寿命尽きようとするとき、虚空の中で具に聞いた法華経を指すわけです。しかし、これはもちろん、二十四字ではありません。

この二十四字について、日蓮の真蹟を追えば、『顕仏未来記』

「不軽菩薩以我深敬等二十四字 広宣流布於彼土 招一国杖木等大難也 彼二十四字与此五字其語雖殊 其意同之 彼像法末与是末法初全同 彼不軽菩薩初随喜人 日蓮名字凡夫也」

の一節に当たります。しかし、日蓮は、ここで法華経といっているわけではなく、その意が同じであるといっているのです。

では、二十四字が法華経と解されていったのは、どのような経緯なのでしょうか。この答えは『就注法華経口伝』にありました。

「第五 我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏事 御義口伝云此廿四字妙法五字替其意同之 廿四字略法華経也」

言うところの意とは『四信五品鈔』の

「妙法蓮華経五字非経文 非其義 唯一部意耳」

でしょうが、しかし、二十四字を法華経と解釈することには、論理の飛躍があります。

不軽が二十四字を「避走遠住 猶高声唱言」としたのは、たしかに法華経の意には当たるけれど、法華経を説いたことにはならないわけです。また、ここで法華経を説いたとしてしまえば、「更増寿命…広為人説 是法華経」という、さらに重要な意義が消滅してしまうことになります。

下種の段階から見るとき、不軽の二十四字は意義はあります。しかし、この物語の至極は「於時増上慢四衆 比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 軽賎是人 為作不軽名者 見其得大神通力 楽説弁力 大善寂力 聞其所説 皆信伏随従 是菩薩 復化千万億衆 令住阿耨多羅三藐三菩提 命終之後 得値二千億仏 皆号日月燈明 於其法中 説是法華経 以是因縁 復値二千億仏 同号雲自在燈王 於此諸仏法中 受持読誦 為諸四衆 説此経典故 得是常眼清浄 耳鼻舌身意 諸根清浄 於四衆中説法 心無所畏」というところにこそ、クライマックスがあります。

なお、智邈・湛然はこの不軽につき(顕正居士さんの言葉を籍りれば)三軌を四行に重点を置いて釈します。しかし、経典にある故に敢えて略されますが、その安楽行の結果は、六根清浄であり、聞法華経である点を忘却しては、経を読み損なったことになります。

708一字三礼:2007/07/30(月) 23:25:52

犀角独歩さん

摂受・折伏についての緻密な論考、勉強になります。

二十四字の法華経についてですが。

初めてこの不軽品を読んだとき、不軽菩薩の修行の因となるのは、「是比丘。臨欲終時。於虚空中。具聞威音王仏。先所説法華経。二十千万億偈。悉能受持。即得如上。眼根清浄。耳鼻舌身意根清浄。得是六根清浄已。更増寿命。二百万億。那由他歳。広為人説。是法華経。」以降のことで、それ以前の二十四字は「法華経」の修行ではないのか、と私も悩みました。

しかし、「法華経」の趣旨としては、二十四字は「法華経」の法門と考えて間違いないようです。ただ、それは「正法華経」や「妙法蓮華経」ではわからないことでした。

かの求法者サダー・パリブータは、かの世尊の教誡を守って、幾百人という僧や尼僧や男女の信者たちに、『わたしは、あなたがたを軽蔑しません。あなたがたは、みな、求法者の修行をしたまえ。そうなさるならば、あなたがたは完全に「さとり」に達して、如来となられるでしょう』と声をかけて、この経説の教えを説いたのである。(岩波文庫 法華経 下)

また、徳大勢よ、かの常不軽菩薩摩訶薩は、かの世尊の教えのもとに、その幾百人の比丘、幾百人の比丘尼、幾百人の優婆塞、幾百人の優婆夷たちにこの法門を説き聞かせた。『私(常不軽菩薩)はあなた方を軽んじません。あなた方はみな、菩薩の行を修行しなさい。〔そうすれば、〕あなた方は如来・応供・正等覚者となる〔ことができる〕でしょう』と〔言って〕。(春秋社 法華経 下)

また、徳大勢よ、かの常不軽菩薩大士が、かの世尊の教誡のもとでこの法門を説き聞かせ、『私はあなたがたを軽蔑いたしません。あなたがたはすべて、菩薩としての修行を行いなさい。そうすれば、将来、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来となるでありましょう』と(告げた)。(中公文庫 法華経Ⅱ)

現代語訳では、はっきり分かります。

漢訳仏典では、明確にわかりませんから、日蓮は、直感的に趣旨を把握したのではないでしょうか。

709犀角独歩:2007/07/31(火) 00:58:27

一字三礼さん

いつも、ご批正、感謝申し上げます。
梵語直訳ですと、そんなふうになっていますね。

妙法華では、不軽について「不専読誦経典 但行礼拝」とするわけです。
智邈・湛然釈でも、信謗には謗ですから、「あなたを軽蔑しません」と語りかけて、礼拝すると、すぐ石を投げつけられたり、殴られたり、それで「避走遠住 猶高声‘唱言’」、ところが「六根清浄已 更増寿命」すると「広為人‘説’」と言うから説くに変わります。

羅什の悪く言えば恣意的、善く言えば達意訳といえるでしょうが、こんな漢訳によって、智邈・湛然も釈をなしているわけです。
そんなことから、二十四字は法華経にあらずと記しました。

しかし、せっかく、一字三礼さんがご教示くださったので、再考してみることといたします。

有り難うございます。

710犀角独歩:2007/07/31(火) 12:03:20

一字三礼さん

SAD&Acirc;PARIBH&Ucirc;TA の岩本訳、読み直してみたのですが、この訳では、矛盾が生じているのですね。

まず、二十四字に相当する直後に、以下のようにあります。

「マハー=スター=プラープタよ、この求法者は僧でありながら、“教えを説くことなく、経文をとなえることもなく”、会う人ごとに、たとえその人が遠くへいても、彼は誰にでも近づいて、このように声をかけ、相手が誰であれ、このように言うのであった」(『法華経』上/岩波文庫 P135)

また詩偈でも

「『わたしには諸君達を軽蔑する考えは、毛頭ない。
 最勝の「さとり」を求めて修行をせよ。』
 いつも、このように“言葉をかけて”、かれらの罵詈や軽蔑に耐えていた。」

ここの羅什訳の漢訳は「不宣読誦経典」「而語之言」です。
死期に当たり法華経を聞いた以降「説」に変化します。

ただしかし、ご指摘いただいたとおり、上の2節の中間で「教説の教えを説いた」(P143)とあります。ただ、ここは「さとり」に到達したあとの述懐の言葉となっています。このために「説いた」となっているのではないかと思うのです。どうでしょうか。

711一字三礼:2007/07/31(火) 18:32:38

犀角独歩さん

批正などとはとんでもありません。そのようなものではなく、独歩さんのご投稿でいつも学ばせていただいております。

>ここは「さとり」に到達したあとの述懐の言葉…「説いた」となっているのではないかと思うのです。

ご指摘のとおりだと思います。

後段の述懐部分では、常不軽菩薩は、仏(威音王如来)の教えと誡めを護りながら、二十四字の法華経を行じていたか読めます。
しかし、全体の設定では、威音王仏の像法時代なのですし、矛盾を感じます。

ただ、死に臨んで、六根清浄を得て、二十千万億偈を聞き、神通力を示してからが、釈尊の仏因としてしまうと、不軽品の大部分を占める二十四字の行とは何か、がわからなくなってしまいます。

‘不専読誦経典’なのですから、二十四字は、経典そのものとは言えないと思いますが、経法、行法類になるのかと思います。

‘経’と‘法’の概念があまり違いなく使われる例としては、経法、法句、法宝、法施、聞法、択法などでしょうか。

…実を言いますと、この不軽品につきまして、今、書いている最中ですので、ちょっと中途半端になってしまいました。

712犀角独歩:2007/08/01(水) 17:41:54

一字三礼さん、有り難うございます。
何かお書きになっていらっしゃるんですね。
力作を期待申し上げます。

わたしども、所謂教派教学で、随分と恣意的なお経の読み方を強要されてきたという印象を、つくづく懐きます。それは、わたしの思いなのかと呻吟していましたが、一字三礼さんのお考えを拝読すると、裏付けを得、勇気づけられます。

■勧持・安楽・不軽、一貫して四安楽摂受行

法華経と釈迦は根本であり、無始已来の当初に置くという解釈に馴染んできました。

しかし、今回、話題になった不軽品においても、前世の釈迦である不軽菩薩は、そのとき、既にいた仏から法華経を聞くという次第になっています。
わたしはこれらの点を素直に読もうと心がけています。

智邈/湛然の釈では、この不軽行は、安楽行であるといいます。また、安楽行は摂受であるともいいます。

日蓮は、日蓮当時の勧持品は未来の不軽品であるといいますが、いったい、これはどのような意味か。この点は後述するとして、勧持品、不軽品と挙げられるために、見落としがちになるのが、安楽行品の以下の一節でした。

若菩薩摩訶薩 於後悪世 欲説是経 当安住四法

ここでいう四法とは、もちろん身口意誓願の四安楽行ですね。
勧持品から安楽行品は一連の脈絡であり、続けて読めば、八十万億那由他の菩薩、二十行の偈を以てその誓いを立てることに続き、そのために四安楽行に拠れと説いていることがわかります。しかし、たぶん、このような解釈はなされてきませんでした。しかし、素直に経文を読めば、結局のところ、勧持品、安楽行品、そして、釈に拠れば不軽品まで、四安楽行であることがわかります。

しかし、安楽と不軽は十異あるから、後者は折伏だなどというのは釈の意に添いません。これら菩薩の有様は一貫して安楽摂受行であったことを改めて読めました。

一字三礼さん、以上の点は、梵本直訳からも言えるでしょうか。
もちろん、法華経に摂折論はないので、一貫して四行という点についてです。

713犀角独歩:2007/08/02(木) 12:29:07

■「見壞法者」一考

「若善比丘見壞法者」とは『大般涅槃經卷第三』の文であり、日蓮が『開目抄』にも引用する一節です。この訓読は「もし善比丘、法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し、挙処せずんば」で、特に異論が挟まれることはないようです。

以下、断定的に記すことではなく、あくまで一考ですが、覚え書きとして留めておきます。

やや漢文の基礎から考えます。

【見】原義は物象が目に映る異。
 あらはる 目に映る(原義)
 みる   目で見る。(転注)
 る・らる 受け身の意を表す。(仮借)

夙に有名な『法華経』の一節「数数見擯出」はことわるまでもなく「しばしば擯出(ひんずい)せらる」です。

【者】国語の如く必ずしも人を意味しない。
1 モノ 人・物・事・所・時・理由などを表す。
  奪項王天下者必[シ*市]公也。逝者如斯夫。
 (項王の天下を奪う者は必ず[シ*市]公也。逝く者は斯くの如き夫(かな)
2 ハ・トハ 国語の助詞「は」と同じく、主語を明瞭にする。
  誠者 天之道也。亜父者范増也。
 (誠は 天之道也。亜父は范増也)
3 コト 用言を名詞化する。
  有封邑者 十余世。
 (封邑を有(たも)つ者(こと) 十余世)
-参考- 昔者(ムカシ)今者(イマ)「者」は時を指示する。
(以上、『新補漢文提要』から抜粋)

引用原文である『大般涅槃經卷第三』で検索すると‘法者’の用法は以下のとおり。
(表が崩れるときは http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

T12n0374_p0380a14(00)║ 云何説法者  筯長如月初
T12n0374_p0380c07(09)║於佛法中有破戒者作逆罪者毀正法者
T12n0374_p0380c23(14)║與驅遣羯磨訶責羯磨置羯磨舉罪羯磨
           ║不可見羯磨滅羯磨未捨惡見羯磨。

715犀角独歩:2007/08/02(木) 12:31:24

―713からつづく―

T12n0374_p0380c25(15)║如來所以與謗法者作如是等降伏羯磨。
T12n0374_p0381a02(04)║威儀具足護持正法。見壞法者。即能驅遣呵責徴治。
T12n0374_p0381a12(06)║見有破戒壞正法者。即應驅遣呵責舉處。─┐
T12n0374_p0381a13(07)║若善比丘見壞法者。置不呵責驅遣舉處。…┘
T12n0374_p0381a28(03)║如來亦爾。視壞法者等如一子
T12n0374_p0381b03(09)║若有不學是三品法懈怠破戒毀正法者。┐
T12n0374_p0381b04(10)║王者大臣四部之眾應當苦治。────┘
T12n0374_p0381c26(00)║我常性常微塵亦常。若言如來是常法者。┐
T12n0374_p0381c27(01)║如來何故不常現耶。若不常現有何差別。┘
T12n0374_p0382c03(00)║是三法者。無有異想。無無常想。無變異想。
T12n0374_p0383b22(10)║…善男子。護持正法者。───────┐
T12n0374_p0383b23(06)║不受五戒不修威儀。應持刀劍弓箭鉾槊。┘
T12n0374_p0383c15(03)║…咸共瞋恚害是法師。是説法者。┐
T12n0374_p0383c16(00)║設復命終故名持戒自利利他。──┘
T12n0374_p0383c18(02)║若有欲得護正法者。當如是學。迦葉。
T12n0374_p0383c19(04)║如是破戒不護法者名禿居士。非持戒者得如是名。
T12n0374_p0384a04(03)║即便往至説法者所。與是破戒諸惡比丘極共戰鬥。┐
T12n0374_p0384a05(00)║令説法者得免危害。─────────────┘
T12n0374_p0384a07(05)║…善哉善哉。王今真是護正法者。┐
T12n0374_p0384a08(01)║當來之世。此身當為無量法器。─┘
T12n0374_p0384a16(07)║…護正法者。得如是等無量果報。
T12n0374_p0384a25(01)║不受五戒為護正法乃名大乘。護正法者。──┐
T12n0374_p0384a26(02)║應當執持刀劍器仗侍説法者。迦葉白佛言。…┘
T12n0374_p0384a26(02)║應當執持刀劍器仗侍説法者。迦葉白佛言。世尊。┐
T12n0374_p0384a27(00)║若諸比丘與如是等諸優婆塞持刀杖者。─────┤
T12n0374_p0384a28(01)║共為伴侶為有師耶為無師乎。─────────┘
T12n0374_p0384b06(01)║護正法者。云何當得遊行村落城邑教化。
T12n0374_p0384b12(00)║迦葉。言護法者。─────┐
T12n0374_p0384b13(11)║謂具正見能廣宣說大乘經典。┘


以上のなかで、日蓮が引用する一節を前句から挙げると

T12n0374_p0381a12(06)║見有破戒壞正法者。即應驅遣呵責舉處。─┐
T12n0374_p0381a13(07)║若善比丘見壞法者。置不呵責驅遣舉處。…┘

なかなか、悩ましいものを感じます。

716一字三礼:2007/08/02(木) 23:27:02
≫712
犀角独歩さん

仰るように、勧持品から安楽行品への流れは、一貫していると思います。
もっと言ってしまえば、見宝塔品から如来神力品までは、かなり一貫した構成をしているのではないでしょうか。

ただ、四安楽行は、勧持品の菩薩達にも適用されるか、の解釈は難しいです。

勧持品では、先に薬王菩薩・大楽説菩薩が二万の菩薩の眷族と布教・受持の誓願をし、後に八十万億那由他の菩薩が誓願します。いわゆる旧住の菩薩達ですね。ところが、

「而作是念。若世尊。告勅我等。持説此経者。当如仏教。広宣斯法。復作是念。仏今黙然。不見告勅。我当云何。」

という気まずい空気流れて、これを見かねて文殊菩薩が、

「是諸菩薩。甚為難有。敬順仏故。発大誓願。於後悪世。護持読誦。説是法華経。世尊。菩薩摩訶薩。於後悪世。云何能説是経。」

と旧住の菩薩達を取り成しながら、さりげなく話題を逸らしたところから始まるのが安楽行品です。

つまり、勧持品の菩薩達には、「法華経」を布教することが許されていません。
これが許されるのは、‘総附属’と言われる嘱累品になってからですから、経典上の構成を遡って適用してよいものでしょうか。

しかし、四安楽行は、「法華経」を布教する心構えですから、「法華経」の行者・不軽菩薩に適用されるのは当然と思います。

719犀角独歩:2007/08/04(土) 18:56:41
一字三礼さん、有り難うございます。

こちらのスレッドテーマからは、やや横道ですが、法華経を宗派教学の縛りを抜けて読むと多くの発見がありますね。

宝塔品から神力品までというのは、成立群の分類から仰るところでしょうか。釈では、不軽行を三軌四行とするわけですが、となると、一つ前の法師品を、考証では付加することになりましょうか。

ここいらを読んでいきますと、大雑把に言えば、仏が法華経を容易く説くな、でも、一字一句でも受ければ記を授けるといい、そこで、旧住やら他土の菩薩が弘めたいというと、「止善男師」で地涌菩薩の登場と相成るというストーリーですね。

法華経では五種法師、三軌、四安楽、そして堪忍、不瞋恚で、罪を畢え、六根清浄、そして、寿命を延びるということが主要なコンセプトになっていますね。

わたしのサイトでアップしている『破日蓮義』を見ると「安楽行品外事可得意歟 既非仏説誰云一乗妙行耶 凡四安楽行者 法華修行方軌也」といい、一貫してとらえています。そんなことから、布教は八十万億那由他菩薩には許されないけれど、「心構え」は同じなのだろうと思えたのです。

それにしても法華経の登場する菩薩というのは、堪え忍び、怒らず、言い返さずで、おおよそ、いまの日蓮門下一般が言う折伏といったイメージとは程遠いですね。

720犀角独歩:2007/08/04(土) 18:57:21
一字三礼さん

重ねがさね恐縮ですが、もう一点、ご見解をお聴かせください。
『不軽品』に

「今此会中。跋陀婆羅等。五百菩薩。師子月等。五百比丘。尼思仏等。五百優婆塞。」

この文の切り方なのですが、『法華経(下)』(岩波文庫)では、

「今此会中。跋陀婆羅等。五百菩薩。師子月等。五百比丘尼。思仏等。五百優婆塞。」

と相違があります。また中華電子仏典協会では、さらに著しく

「今此會中跋陀婆羅等五百菩薩、師子月等五百比丘、尼思佛等五百優婆塞」

坂本師は「尼思仏」を「思仏」としたうえで、『注』を付しています。

「五百の比丘尼 ― 正法華には五百比丘比丘尼とあるも、梵本には五百の比丘尼とのみある。
 思仏等の五百の優婆塞 ― 思仏は Sugatacetanā(善逝を思う)の訳語で、羅什訳千仏因縁経には、思仏と名づける優婆塞が無生法忍を起した。尚、茲には優婆塞とあるも、正法華には「五百の清信女」とあり、梵本には五百の優婆夷とのみである」(P361)

岩本訳では

「いま、この会衆の中にいるバトラ=パーラをはじめとする五百人の求法者たち、シンハ=チャンドラーをはじめとする尼僧たち、スガタ=チェータナーを初めとする五百人の女の信者たち」

とあり、こちらでは「シンハ=チャンドラー(獅子月)」に『注』があり

「シンハ=チャンドラー ― Simhachandrā シンハは「獅子」、チャンドラーは「月」の意で、シンハ=チャンドラーは女性の名」(P403)

かなり出入りがあります。これは、坂本師漢訳の梵本原典と岩本師の梵本原典の相違から来るものでしょうか。それとも、羅什の誤訳なのでしょうか。

721一字三礼:2007/08/04(土) 22:49:05

犀角独歩さん

「この集会のなかの‘すぐれた守護者(跋陀婆羅)’をはじめとする五百人の菩薩たち、シンハ・チャンドラー(師子月)をはじめとする五百人の比丘尼たち、スガタ・チェータナー(思仏)をはじめとする五百人の信女たち」(中公文庫 松濤訳)

「この会衆のなかの跋陀婆羅を首とする五百人の菩薩たち、獅子月を上首とする五百人の比丘尼たち、〔また、〕思仏を上首とする優婆夷〔在家の女性信者〕たち」(春秋社 中村訳)

これらの梵文現代語訳をみますと、「思仏(スガタ・チェータナー)」は在俗信女の筆頭に挙げられているようです。

テキストによって、また訳者個人的な考え方によって内容の出入りはありますね。

例えば、正法華経の「淨復淨王品第二十五」は、現代の梵文テキストとよく似た構成で、全体的に妙法蓮華経より長く、王への授記のタイミングが、妙法蓮華経のそれより後になります。

岩本さんは、単語をインド教と結びつける傾向が強いように思います。

例えば、岩本さんは、「信解品」で使われる、‘ビージュマ’という語を同名の「マハーバーラタ」の英雄を指すと解したり、「妙荘厳王品」の‘沙羅樹王’はヴィシュヌを指すと説明します。

しかし、‘ビーシュマ’という名は、「マハーバーラタ」でもディーヴァバラタ王子が強靭な意志を示した時、天から神々が叫んだのが‘ビーシュマ’(恐るべき人)であり、本名ではありません。

もともと、‘強靭な意志を持つ者’に対するあだ名である‘ビーシュマ’を個人名とする解釈は、私は間違いだと思います。

テキスト間の内容の違いをひとつ調べるだけでも大変な労力が必要です。
大雑把な言い方になりますが、やはり一番古いテキストを基準として判別するのが良いのではないでしょうか。

722犀角独歩:2007/08/05(日) 17:24:55

一字三礼さん

松濤/中村両師の訳本が手元にありませんでしたので、参考になりました。
また、岩本師へのご批正もなるほどと、拝読しました。
ご教示、有り難うございました。

723犀角独歩:2007/08/07(火) 15:54:00

■大般涅槃經卷第三における「声聞」考

『開目抄』では‘声聞’語の使用は22カ所に及んでいます。仏菩薩の焦点のある日蓮の教説において、意外な観があります。
このなかで折伏の根拠ともされる以下の一節から大般涅槃經卷第三における「声聞」の用法を考えてみたいと思います。

「涅槃経云 若善比丘見壊法者置不呵責駈遺挙処当知是人仏法中怨。若能駈遺呵責挙処是我弟子真声聞也等云云。壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親是彼怨。能糾治 者是護法声聞真我弟子。為彼除悪即是彼親。能呵責者是我弟子。不駈遺者仏法中怨等云云。」

この‘真声聞’という用法は、それ以前の文脈でも見られます。

「四大声聞の領解文云 我等今者真是声聞。」

用法としてとらえるとき、単なる‘声聞’と「真(是)声聞」とは一線を画す用法の差を有しています。

『開目抄』に引用される『涅槃經』の‘声聞’については、日蓮門下一般では、たとえば全集の現代語訳では「我れ仏陀の弟子であり、真実に仏陀の声を聞いて仏教を修行しようとするもの」とし、これは『日蓮宗事典』の「梵語の舎羅婆迦s'ra vakaの訳。声を聞く者の意で、弟子とも訳す。仏の声教を聞いて悟りを得る出家の弟子をいう」という説明と一致しています。

つまり、十界論で言う声聞乗ではなく、ここでは仏弟子の意味であるというのが門下一般の解釈です。

では、実際のところ、当の『涅槃經』では、どのような用法になっているのでしょうか。全巻を通じて考証をすることが前提ですが、取り敢えず、日蓮が『開目抄」に引用する第三に絞って検討したいと思います。

テキストとして、ネットで閲覧できる中華電子仏典教会の該当文を使用します。
http://www.cbeta.org/result/normal/T12/0375_003.htm

ここでは声聞は10回、縁覚は4回、菩薩は56回、仏は86回・如来は88回・45回で計219回となり、四聖のうち、声聞が挙がる率は3.4%です。

725犀角独歩:2007/08/07(火) 15:57:18
―723からつづく―

では、実際に‘声聞’の記述を挙げます。

T12n0375_p0619a08(02)║我等聲聞亦復如是。雖聞如來慇懃教戒。
T12n0375_p0619a22(04)║一切聲聞及大迦葉悉當無常。如彼老人受他寄物。┐
T12n0375_p0619a23(00)║是故應以無上佛法付諸菩薩。─────────┘
T12n0375_p0619a28(07)║時諸聲聞默然而住。爾時佛讚諸比丘言。善哉善哉。
T12n0375_p0620c25(07)║若能驅遣呵責舉處。是我弟子真聲聞也。…
T12n0375_p0622b11(04)║如來境界非諸聲聞縁覺所知。善男子。
T12n0375_p0622b13(07)║如來滅法是佛境界。非諸聲聞縁覺所及。
T12n0375_p0622b21(01)║終不能證聲聞縁覺菩提之果。
T12n0375_p0623a25(03)║唯有如來乃知是相。非諸聲聞縁覺所知迦葉。
T12n0375_p0624a04(00)║而為彼佛作聲聞眾中第二弟子。
T12n0375_p0624b29(02)║與同住止經歴多年。若是聲聞所不應為。

以上の用法から見るとき、声聞はもちろん、仏弟子には違いありませんが、やはり、十界論でいうところの声聞乗のニュアンスで使用されているように思えます。勧持、安楽行の両品を挙げて菩薩の有様を追う日蓮が、ここに声聞を以て論証することにはやや不足の観を禁じ得ません。しかし、今は、この点を置くこととします。
該当の文を少し前文かから挙げると以下のとおりです。

T12n0375_p0620c12(07)║有持戒比丘威儀具足護持正法。
T12n0375_p0620c13(10)║見壞法者即能驅遣呵責糾治。當知是人得福無量不可稱計。
T12n0375_p0620c14(02)║善男子。譬如有王專行暴惡會遇重病。
T12n0375_p0620c15(03)║有鄰國王聞其名聲興兵而來將欲滅之。
T12n0375_p0620c16(03)║是時病王無力勢故方乃恐怖改心修善。
T12n0375_p0620c17(03)║而是鄰王得福無量。持法比丘亦復如是。
T12n0375_p0620c18(03)║驅遣呵責壞法之人令行善法。得福無量。善男子。
T12n0375_p0620c19(00)║譬如長者所居之處田宅屋舍生諸毒樹。
T12n0375_p0620c20(01)║長者知已即便斫伐悉令永盡。
T12n0375_p0620c21(06)║又如少壯首生白髮愧而剪拔不令生長。
T12n0375_p0620c22(07)║持法比丘亦復如是。見有破戒壞正法者。
T12n0375_p0620c23(06)║即應驅遣呵責舉處。若善比丘見壞法者。
T12n0375_p0620c24(07)║置不驅遣呵責舉處。當知是人佛法中怨。
T12n0375_p0620c25(07)║若能驅遣呵責舉處。是我弟子真聲聞也。

ここに声聞につき、「持戒比丘」「護持正法」とあります。すなわち、「若能驅遣呵責舉處。是我弟子真聲聞也。」とは、その範疇にあります。

『開目抄』では、「大経執持刀杖乃至斬首是折義。雖与奪殊 途 倶令利益等[云云]。弘決云 夫仏両説等者○大経執持刀杖者 第三云 護正法者不受五戒不修威儀。乃至 下文仙予国王等文 又新医禁云 若有更為当断其首。如是等文 並是折伏破法之人。」といい、同じ護正法でも「不受五戒不修威儀」にして「断其首」を折伏としている点は異なります。


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