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自殺について
1
:
管理者
:2005/05/16(月) 06:10:12
新しいスレッドテーマの提案が有りましたので、立ち上げます。活発な議論を期待いたします。提案文は以下の通りです。
73 名前: 初信者 投稿日: 2005/05/16(月) 05:51:07
最近、知人が自殺をいたしました。原因は病気(がん)のようですが、自ら命を絶った直接のきっかけは、今となってはわかりません。日蓮仏法上、自殺の罪とその消滅及び故人に対する供養についてこのような事が少しでもなくなる事を祈り、スレッドを御建てください。
2
:
初信者
:2005/05/16(月) 23:56:59
日蓮仏法上、自ら命を絶つ事は罪ではないのでしょうか。
3
:
顕正居士
:2005/05/17(火) 07:13:57
日蓮聖人の文章には自殺について特に何か述べたものは見当たりません。
では釈尊(歴史上に実在した)はどうであったかについてはWEBに簡潔にまとまった文章があります。
仏教は自殺を本当に禁じているのか?
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html
不治の病の末期にあり、もはや仏教の修行もできないならば、苦痛によって心を散乱させないために
自殺することを仏陀は肯定されたようであります。誰人をも害することのない状況や方法である場合に
限られるでしょうが。
4
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 08:25:52
まずはじめに、お亡くなりになられたお知り合いの方のご冥福をお祈り申し上げます。
顕正居士さんが仰るとおり、蓮師真跡を検索しても、その点に論及しているものは見当たらないようです。ただ、「自殺」語は『撰時抄』に「他国にせめられて、或は自殺し、或はいけどりにせられ、或は降人となるべし」、また、『高橋入道殿御返事』では「他国侵逼難と申して隣国よりせめられて、或はいけどりとなり、或は自殺をし、国中の上下万民皆大苦に値ふべし」という記述が見られます。
外国人が「Japan」と聞かれて答えるのは、一昔前であれば、「カミカゼ」「ハラキリ」であって、また、新渡戸稲造の『武士道』(岩波文庫昭和43年2月10日第9刷)で、
「切腹が我が国民の心に一点の不合理をも感じしめないのは、他の事柄との連想の故のみでない。特に身体の此の部分を選んで切るは、之を以て霊魂と愛情との宿る所となす古き解剖学的信念に基づくのである…武士道は名誉の問題を含む死を以て、多くの複雑なる問題を解決する鍵として受け容れた。之が為め功名心ある武士は、自然の死に方を以て寧ろ意気地なき事とし、熱心に希求すべき最期ではない、と考へた」(P93)
と記します。これは新渡戸独りの考えではなく、日本国民一般に受け入れられた思想風土であったと思います。このような審美化された自殺観は、武士階級から庶民一般にも波及していったと思えます。日本文学の中で自殺が占めるテーマが多かったのは、実際と比例してのことであろうとも考えられます。関連して言えば、「心中」もまた関連するところであろう思います。これらを思想を培ったのは、神仏習合した日本仏教であり、武士階級からの波及とすれば、禅の影響ということができるのでしょうか。しかし、「禅天魔」と蓮師が言っても、それが直ちに自殺の否定と短絡して考えることはできないと思います。また、心中は「死んで、あの世に行って幸せになる」という此土否定、他土(極楽・天国・あの世)肯定が基であり、日本風土では、このような考え方をもたらしたのは浄土念仏であるという批判は、かつてはされてきました。
浄土は現実逃避、法華が現実主義。故に自殺は肯定しないという奢りが、かつてはあったと思います。しかし、真跡遺文ではありませんが日蓮門下に広く読まれてきた『佐渡御書』には「男子ははぢ(恥)に命を捨て、女人は男の為に命をすつ」と記されるのであって、この文を読む限り、蓮師門下において、自殺(自刃・切腹)は肯定されていると読めます。
以上のことから言えることは、旧来の日蓮教学から自殺の否定は導き出せないと、わたしには思えます。ただし、わたしが育った創価学会では極めて明確に自殺を否定していました。それは生命尊厳という見地からの解釈であったろうと思います。ただし、これは統計手放しの暴論と取られかねない面もありますが、他土幸福(極楽浄土)を思想化した浄土門では現世否定から自殺が多く、日蓮教学のように此土(極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず)を訓える場合、自殺は少ないということは言われてきたことでした。
自殺を仏教倫理から否定的にとらえ、仏教がその抑止力になるというメカニズムに期待できるかどうか。少なくとも創価学会のなかでは、わたしが知る限り、自殺された方をわたしは知りませんでした。その意味から、今回のご投稿は、少なからず驚かされたのは事実です。徹底した現世利益、人間主義で固まる創価学会のなかで、もし、自殺者が増加していくとしたら、その思想的基盤は根底から揺らぐと、わたしには思えます。
5
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 08:26:20
―4からつづく―
現在、日本の自殺者数は増加傾向にあり、交通事故死の3倍を超えたことが統計から知られます。つまり、交通事故以上の3倍に及ぶ社会問題であるといえるのだと思います。ただし、交通事故死は他者によるところであるのに対して、自殺は文字どおり、自らを殺すこと、自ら死する(自死)ことですから、その性質を異にするわけです。自殺の問題は、先に記したとおり、かつて此土を捨て他土(極楽・天国)への願望が、その原因であると説明づけられてきたわけですが、現在、そのような考え方は受け入れられません。自殺に関する説明原理は、精神病理、取り分け、「鬱病」との因果関係で言われるわけです。となれば、これら精神病理に対して、仏教、取り分け、日蓮仏法における「お題目」が有効か否か、会活動その他が有効か否かという点で論じられるべきなのでしょうか。しかし、鬱に対するタブー事項に「励まし」「激励」があるわけで、もし、鬱病を罹患されている方に、創価学会の個人指導、家庭訪問の在り方のように、一所懸命に励ましたり、激励をすれば、自殺の引き金になる点は憂慮されます。
反面、しかし、ビハーラをはじめ、浄土真宗の人々は、近年、この点について、実に努力をなされ、このような汚名はいまでは一掃された観があります。また、同じく他土(天国)を説くキリスト圏では、斎藤友紀雄師(牧師)が常任理事を務める「いのちの電話」が果たした役割は大きく、自殺者抑止に大きく貢献していると、わたしは敬意を表しています。浄土真宗にしても、キリスト教にしても、自分たちの教義に奢るのではなく、そこに積極的に精神医療の指導、また、臨床心理を採り入れて、医学・学問的に、自殺の問題に対処している点は看過できません。このような点でも、石山は問題外にしろ、創価学会も大きく後れをとっている点は反省されなければなりません。
当スレで、自殺がテーマになりましたので、取り敢えず、わたし自身の考えを整理するために、以上、記しました。
6
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/17(火) 12:22:29
犀角独歩さん
スレッド4 >少なくとも創価学会のなかでは、わたしが知る限り、自殺された方をわたしは知りませんでした。
確かに創価学会の中では自殺を思い止まったという話は多いですが、自殺したという話はごく少ないですね。
でも、私が関西にいたころの元支部長は自殺されましたね。原因はわかりませんが。
あまりよい話ではないので、家族も秘匿されるでしょうが、ないことはないです。
私も会社に同期で入社した友人が自殺したときはショックでした。
そこまで追い詰められていたのに気がつかなっかったという慙愧の思いでしたね。
>鬱に対するタブー事項に「励まし」「激励」がある
そうなんですか。初めて知りました。
7
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 13:12:11
彰往考来さん
>> 鬱に対するタブー…「励まし」「激励」
> そうなんですか。初めて知りました。
鬱に限らず、カウンセリングの現場で、使わない言葉は、「頑張ろう」です。
わたしは、精神障害、また、神経障害もそうですが、この状態は、精神、神経を患っているというより、怪我をしていると表現しているほうが適切であると思っています。
怪我をして立ち上がることもできないのに、「何をやっているがんばれ、何で立ち上がらないんだ。そんことができないのか。頑張れ」と、やれば、その言葉を無視するか、無視できなければ、それができない自分は無くしてしまう=自殺と極端な選択をし、追いつめられてしまいます。仮に自殺を選択しなくても、引き籠もるほかなく、追いつめられてしまいます。
企業戦士が自殺するのは、企業の現場では、業績低下には、上司が発破をかけることしか選択肢がなかったのが日本の現状でした。このために、多くの自殺者を出してきたのではないでしょうか。最近では、管理職教育で、これらの点は最近は是正されてきたと聞きますが、如何ですか。
8
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/17(火) 18:19:02
犀角独歩さん
>管理職教育で、これらの点は最近は是正されてきたと聞きますが
そうですね。メンタルヘルスについて講習を受けたこともあります。
私の勤めている会社では、メンタルヘルスの専門家が相談役として
陣どっていますので。
一般論ですが、規模の大きい会社ほど出社しないなど問題社員が多い
傾向にあると聞いたことがあります。理由は色々あるでしょうが、大
手ほどストレスが強いということでしょうか。
9
:
初信者
:2005/05/17(火) 19:53:59
顕正居士 さま、犀角独歩 さま、御返答ありがとうございます。
自殺で亡くなった知人は創価学会ではなく、御葬式に参列いたしましたら、真言宗のようでした。天涯孤独の方は別として、後に残された者はやはり心の痛みとなるのではないでしょうか。故人には故人としての理由も状況もあると思いますが、それで、自殺が肯定されるべきものでしょうか。また、受けがたき人身にもかかわらず、自ら命を絶つという事が許されるという事でしょうか?故人のその時の思いは、わかりませんが、やはり、生命としては無念という状態でいるのではないかと思います。人間を始めこの世に生を受けたものは本能として死ぬ事を欲するのではなく、やはり、生きる事を欲するものと思うのです。絶望で支配された生命でなくなる事と、自らの主義主張により命を投げ出す事は同じではないと思うのです。そういった意味から、仏法上、罪にはならないのでしょうか。私自身、うつ病となり、会社を長期休暇いたしましたが、その時に自宅に様子を見に来てくれ、色々な配慮をしていただいた方が、この知人であったのです。もちろん、その時は知人はがんではありませんでした。幸い、それらの配慮で職場復帰も出来、現在に至っています。もし、仏法上、罰や罪となるのであれば、供養したいと思うのです。
10
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 20:01:14
学会員ではありませんでしたか。
仏法上の罪の如何に関わらず、供養されるお気持ちがあればなさればよろしいと思います。
11
:
A
:2005/05/17(火) 21:33:39
誤用されている言葉
むねん 0 1 【無念】
(名・形動)[文]ナリ
(1)〔仏〕 種々の雑念を生む心を消滅させた状態。正念。
⇔有念(うねん)
(2)悔しく思う・こと(さま)。
「―至極(しごく)」「―千万(せんばん)」「残念―」「―の涙」「―を晴らす」
[派生] ――が・る(動ラ五[四])――さ(名)
12
:
初信者
:2005/05/17(火) 23:28:17
犀角独歩 さま、御返答ありがとうございます。そうですね、供養いたします。
13
:
初信者
:2005/05/17(火) 23:30:30
A さま、御返答ありがとうございます。
無念とは、逆の意味に捉えていました。御教授感謝いたします。
14
:
乾闥婆
:2005/05/18(水) 09:42:23
> 4-5
創価学会の家庭に生まれた場合、創価学会内部の基準と、創価学会外部の基準、また、自身の家庭内の基準と、いくつかの違った原理による、二重、三重の拘束状態に追い込まれることがあり、そのような分裂した拘束状態が長期にわたって続くことによるストレスが、鬱を引き起こす要因となることはあるのではないかと思います。私の周辺にも自殺をしてしまった学会員はおりました。抑鬱状態にある会員に対して「激励」がいかに危険であるかの認識を持つ幹部も時折見かけますが、社会全体の鬱に対する認識同様、学会内部でもそれほど状況認識が適切におこなわれているとは、確かに思えません。
15
:
犀角独歩
:2005/05/18(水) 13:55:33
乾闥婆さん、レス、有り難うございます。
わたしがもっとも危惧しているのも、この点です。
ゆっくりとした精神・神経の休養が必要なときに、脅迫的な圧迫がかかることほど、危険なことはないと思います。
16
:
通りすがりです
:2005/05/18(水) 19:22:13
>>14
乾闥婆さん
価値基準のダブルバインド状況というよりも、犀角独歩さんの指摘する
過労の問題の方がうつ病に関しては大きいような気がしますね。
会社で酷使され、戻れば活動で深夜まで拘束される。休日も活動が入る。
休息をとる時間がありません。
聖教新聞にはメンタル系の連載ページがありますし、創価学会生命倫理
研究会・東洋哲学研究所/共編で『心の病とケア』という本が第三文明
社からでています。(2003年刊のようです)。
すくなくともある一定のレベルでは、「これではまずい」という状況認
識はあるのだと思います。推察するに認識はあるけれども(一定以上の)
権限はないという感じでしょうか。
みんな忙しくて、勉強をする暇がないのだと思います。
「がんばる」ことで不幸を乗り越えろという創価学会の精神風土はうつ病
の治療にはマイナスでしょうね。
17
:
問答迷人
:2005/05/18(水) 20:03:18
初信者さん
Aさん
>9
故人のその時の思いは、わかりませんが、やはり、生命としては無念という状態でいるのではないかと思います。
>11
(2)悔しく思う・こと(さま)。
>13
無念とは、逆の意味に捉えていました。
初信者さんの『無念』の使い方は、誤用でも、逆の意味にはなっているのでもないと思います。『無念』の二つ目の意味であり、(2)の、『悔しく思う・こと(さま)。』に該当していると思います。
18
:
一乗談義庵01
:2005/05/18(水) 22:51:58
創価学会の個人指導はうつ病患者を死に追いやってもおかしくないのに、その数が少ないのは、みんなその前に逃げ出しているからでしょうね。
19
:
ラキ
:2005/05/18(水) 23:19:17
自殺者の学会員の正確な人数がわからないと、多いのか少ないのかは、判断できないと思います。
鬱病と言っても色んなタイプがあるので、鬱病=自殺にはなりません。
鬱病または予備軍の総数は国民の8割ぐらいになると、記憶しております。
(自覚のない鬱病も含みます)
仮に鬱病の人が、学会を脱会して逃げるのは、少ないと思います。
鬱病の逃げるとは、現実逃避か自殺して現実から逃げるからです。
20
:
吉祥仙人
:2005/05/20(金) 05:27:23
統合失調症から社会復帰した学会員の体験談なら身近によく知っています。
その人は激しい統合失調症の症状が治まった後、10年以上ウツだった
ようで、未遂にまではいたりませんでしたが、常に自殺願望があったよう
です。
その人が信仰で立ち直ったとは、はっきりとは言えませんが、その人を
受け入れてくれて、その人のアイデンティティーとなったのが創価学会だった
そうです。
21
:
愚鈍凡夫
:2005/05/20(金) 06:08:22
皆さん、おはようございます。
心の病の場合、「何故」といった犯人探しは精神医学的には意味のあることでしょうが、実生活を営む上に置いては、何の救いにもならないと思います。
大切なことは、家族の問題、社会の問題として問題意識を共有することだと思います。
共に生きるための環境作り、これ以外に解決法はないのではないでしょうか。
22
:
乾闥婆
:2005/05/20(金) 10:02:19
>>16
>価値基準のダブルバインド状況というよりも、犀角独歩さんの指摘する
過労の問題の方がうつ病に関しては大きいような気がしますね。
といいますか、過労が原因で鬱を引き起こしてしまう性向を準備する要因として、そのような長期にわたるダブルバインド状態はありうるのではないか、ということです。学会員の多くは一部の会員にそのような二重、三重の精神的拘束を受けて悩んでいる二世、三世があることを、そのような長期にわたるストレスの蓄積が精神衛生にどれだけ悪影響を及ぼしているのかということを、どれだけ自覚しているのだろかと、自身の経験を通して危惧しているのです。
>>19
吉祥仙人さん。
>自殺者の学会員の正確な人数がわからないと、多いのか少ないのかは、判断できないと思います。
鬱病と言っても色んなタイプがあるので、鬱病=自殺にはなりません。
創価学会員に自殺者が多いといっているわけではなく、その環境には鬱を誘引する要因は胚胎しているのではないか、ということです。「鬱病=自殺」ではありませんが、鬱特有の症状として自殺念慮、さらには自殺行為自体が含まれるのは事実です。
>>21
愚鈍凡夫 さん。
>大切なことは、家族の問題、社会の問題として問題意識を共有することだと思います。
共に生きるための環境作り、これ以外に解決法はないのではないでしょうか。
そのとおりだと思います。そしてその環境づくりとは創価学会や日蓮正宗のあり方を含めて検討されなければならないのだと思います。
23
:
乾闥婆
:2005/05/20(金) 10:09:21
>>20
吉祥仙人さん。
>その人が信仰で立ち直ったとは、はっきりとは言えませんが、その人を
受け入れてくれて、その人のアイデンティティーとなったのが創価学会だった
そうです。
たしかに、ダブルバインドの状態に置かれた人間にとって、片方の側にアイデンティファイすることは、楽なのだと思います。それはひとつの解決方法なのだとは思いますが、私には釈然としない思いが残ります。
>>22
ラキさんへのレスを吉祥仙人さんとしてしまいました。申し訳ございません。
24
:
ラキ
:2005/05/20(金) 12:21:21
乾闥婆さん。
おっしゃる事は、事実だと私も思います。
25
:
愚鈍凡夫
:2005/05/20(金) 20:07:57
乾闥婆さん、御賛同いただき有り難うございます。 ぴぃす((^へ^)v
小生の友人にも、「心の病」と闘っている人が何人かいます。
その友人たちに、少しでも笑ってもらうように心がけて接しています(ボケをかますしか能がありませんから)。 σ(^◇^;)
時代と共に「心の病」も多様化しているようですが、少しでもお役に立てればというのが小生の今の気持ちです。
26
:
ラキ
:2005/05/20(金) 20:43:27
生活環境が豊かになった現代では、心を見つめる余裕が出来たから、
「心の病」の研究とかが進み、「心の病」の細分化が進んで多様化したと思っています。
私ごとですが、メンタルの問題は前から取り組んでいて、自分のHPも運営しております。
宗教は心の支えになるか?・・・ロジックのような自己に対しての課題かもしれません。
私自身、宗教依存症かもしれません。(^^;
27
:
吉祥仙人
:2005/05/22(日) 05:41:20
そもそも、人間が生きていくうえでよりどころとなるものが「宗教」と
呼ばれるのではないでしょうか?
私は無神論の弁証主義も、「マルクス教」だと思っております。
28
:
犀角独歩
:2005/05/22(日) 06:57:11
別段、わたしは日々生きるのに、宗教を必要としていませんが。
生きるのに宗教が必要だというのは、信仰者の勝手な思いこみでしょう。
29
:
小心者
:2005/05/24(火) 20:59:05
、、その思い込み、、!!、、というのは、、シガナイ、、”、思い込み、、”、、、、されど、、”、思い込み、、”、、なども、、御在り、、かと、、、、??
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