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報復・処罰という暴力をどう考えるか?
1
:
管理者
:2005/02/09(水) 14:39:57
スレッドテーマのご提案を見落として降りました。誠に失礼致しました。提案文は以下の通りです。立ち上げます。
45 名前: 雖念 投稿日: 2004/08/24(火) 07:15
「報復・処罰という暴力をどう考えるか?」という、テーマのスレッドの新設を希望いたします。「コンクリート殺人事件」に象徴されるような、矯正や改悛を期待できないような犯罪者に対して、「近い将来、ヤツらは、一人残らず、誰かの手で被害者を虐殺したやり方と同様の目に遭わされるべきだと思っています。」と、いうような感情がうまれてくるのは、人情の自然かと思います。
こうした、犯罪やその処罰に関して、仏教者あるいは人間としてどう考えるべきか?
「攻撃的、破壊的な感情」を社会的に受容されるような適応的(?)な形で、実現するというのはどういうことなのかについて、話し合いたいと思います。
2
:
吉祥仙人
:2005/02/09(水) 20:19:15
2チャンネル風に 2ゲット
冗談はこれくらいにして
暴力の連鎖は、どこかで断ち切らなければならないし、歴史はそれが可能なことを
示しています。
3
:
愚鈍凡夫
:2005/02/09(水) 22:50:01
う〜ん、背番号3 get!
雖念さ〜ん、しばらく見ないけど、御飯食べてますか〜っ。
(^∧^)合掌
4
:
真実 探求者
:2005/02/11(金) 01:13:50
,,9.11 の暴力〜パレスチナとイスラエル間の暴力〜、、、「暴力は、、どこから発生、、??」でしょうか、、。 ドーモ、、宗教と政治の、、いわゆる政教一致によるところの”暴力”こそ古今東西を通じて最大の暴力でしょうか、、? だからこそ、その教訓としてヨーロッパ民主主義のスタートに「正教一致の排除」が掲げられたようです、、。 宗教は憎悪と排他のゴンケでも在ったようです、、。 反面、、心の支えに最大の利用価値も存在したようです、、。
5
:
吉祥仙人
:2005/02/11(金) 07:16:29
真実 探求者さんへ
政教一致の排除は、宗教が憎悪と排除の権化となることを防ぐ上で有効だった
でしょう。
ただし、一人の人間の中でこちらは政治、こちらは宗教と分けられるものでは
ありません。
である以上、暴力を防ぐ使命を持つのも、その力を持つのも、宗教では
ないでしょうか。
6
:
吉祥仙人
:2005/02/11(金) 16:07:41
訂正
憎悪と排除の(誤)
憎悪と排他の(正)
7
:
真実 探求者
:2005/02/14(月) 19:54:17
、、ドーモです、、。 誠におっしゃるとおりの側面はございますようです、、。 実は、以前北アフリカのカダフイ大佐独裁政権下の「リビヤ国で約一年ほど通信関係の仕事で滞在」いたしました、、。 そこでは、表向きは「禁酒、、!!」という「イスラム法典」が幅をきかせていました、。 当初は酒の禁断症状に苦しみましたが、、そのうち、市販のブドウを購入して、パンのイースト発酵剤を添加して密造酒を嗜好しました、、。 またかれらはイタリア人の商社マンの仲介で結構、、ビールをたしなんでいました、、。 一般庶民はイスラムのきつい戒律をもそれなりに、受け入れていたようです。 しかし、トップに立つ方方にとっては、、、???でしょうか、、?? この点に、、「正教一致の怖さ、、??」などが、、???のようです、、??
、、。
8
:
愚鈍凡夫
:2005/02/14(月) 20:10:46
真実探求者さんて、不思議な人ですね。
惚けているようで、その実、本質はチャンと掴んでらっしゃる。
水と人の上下関係は逆のようですね。水は川上に行くほど澄んでいるものですが、人の場合は上層部にいくほど濁ってくる。と言うことでしょうか。
これは、宿命なのかも知れませんね。
9
:
真実 探求者
:2005/02/14(月) 20:30:52
、、ドーモです、。 ボケの本音を申します、、。 今まで、南米〜アジア諸国を勤務その他でご訪問しました、、。 そこで、「、、二度と行きたくない国は、?」、、申し訳有りません、、それは、「、、イスラム諸国、、」でした、。 なぜなら、「、、人の欲望を、土足で踏みにじって居る現実を体験、、」したからです、、。 庶民の意見よりも、、「、、トップの意地ばかり、、」などが、トップダウンしていました、からです、、。 イワユル、、「、、庶民をナメテいました、、」ようです、、。 ナメラレルと庶民はいずれの時には反撃もありましょう、、?? 現代は、ネットのお力でヤットコさ、、「、、つのる思いと苦情の改善、、??」を発言できる時代のようですか、、??
10
:
真実 探求者
:2005/02/14(月) 20:57:15
庶民の欲望、、==、、という大それたモノでは御座いません、、。、、。 普通に生活する庶民の、、「、、希望的観測、、??、、」ともいえるでしょうか、、??
11
:
愚鈍凡夫
:2005/02/14(月) 21:20:41
真実 探求者さん、どうもです。
でも、歴史にはルイ16世やニコライ2世、近くはチャフチェスク大統領の例もあります。
一般大衆を舐めてかかると、大衆の怒りは一端火がついたら全てを焼き尽くすまで止まらないといった一面もありますよね。
例え、弱者の集まりであっても、それが群集となり、その怒りの導火線に巧みに火をつける優れた煽動者がいれば、とんでもないことが起こるというのが歴史の常ですよね。
中東が世界的な宗教戦争の火種ならなければよいのですが。
12
:
大勇者
:2005/03/06(日) 18:51:26
昨日、某ニュース番組で「コンクリート殺人事件」の特集を報道していました。
加害者が「妄想性人格障害」との視点から、刑務所内では矯正や改悛を期待できないとの論調のようでした。
改めて、スレッドテーマの
>こうした、犯罪やその処罰に関して、仏教者あるいは人間としてどう考えるべきか?
について考えさせられました。
又、「信仰は役に立つか」のスレッドにおいても「兵器(武具)と信仰」の関りについての議論されている点について大変有意義であろうと思います。信仰者として避けて通れない提起でなないかと思います。平和を語る事は戦争を語ることでもあると思えるからです。
「護身」「報復」「暴力」「牽制」「抑制」について我々はどの様に考えればよいのでしょう?
そこで諸兄の皆様に「数珠丸」についての御意見を伺えればと思います。
(過去スレ既出であれば申し訳ありません)
http://homepage2.nifty.com/honkoujipriv/juzumaru.htm
蓮祖が戦記を好んで読んだというのは一般的な認識の様?ですし、
日本人の「道具に対する愛着性」や鎌倉時代に興ったと言われる「刀剣観」などと鑑みると
日蓮祖は「刀剣信仰」を持っていたのではないでしょうか?若しそうであれば、それは
平和主義に反する思想なのでしょうか?
否、武器の怖さを知ることは命の重さを知ることに通じると思います。
人類は大量破壊兵器を手に入れて初めて「滅亡の危機」感を持ったのではないでしょうか?
平和主義が世界に広まろうとする現代こそ「牽制」による「抑制」の上に成り立つ
Pacifismを再考すべきではないかと思います。
稚拙な文章で申し訳ありません。宜しく御願いします。
恐々
13
:
大勇者
:2005/03/07(月) 00:43:19
天才芸術家 本阿弥光悦について
http://www.fuchu.or.jp/~sei-dou/rekisi-siryou/z017
0shiode-hideo-togyuu/sanshou-shiryou/honami-kouetsu/honami-kouetsu.htm
14
:
大勇者
:2005/03/07(月) 00:48:13
紹介サイト訂正です。すみません
>13ではジャンプ出来ないようです
http://www.fuchu.or.jp/~sei-dou/rekisi-siryou/z0170shiode-hideo-togyuu/sanshou-shiryou/honami-kouetsu/honami-kouetsu.htm
15
:
犀角独歩
:2005/03/07(月) 18:25:12
> 12
これはなかなか好い視点だと思いますね。
過日、現宗研から『平成16年度第15回法華経・日蓮聖人・日蓮教団論セミナー「教団の歴史から学ぶ平和と戦争」資料(書籍・論文当抜粋)』という圧巻1065頁に及ぶ資料集が発刊されましたが、なかなか参考になったと同時に、戦後、日蓮門下が頬被りをして惚けてきた問題を、ズバリと考えようとした好企画であるとわたしは思ったものでした。
学会を含む石山圏でも蓮師を平和・非暴力の人みたいに担ぎ上げていますが、これは偶像に過ぎませんね。
先にも議論しましたが、念仏者の刎頚を主張したわけですし、蓮師も、またその弟子も実際武装していたのは事実でしょう。『日興遺誡置文』がいったい、誰の手によって成立したのか知りませんが、その原文が興師に係るとすれば、興門は、護持のためとは言え、武装していたでしょうし、有師辺りでも、仏事のときは帯刀を禁じているわけで、それは換言すれば、通常は武装していたことを意味します。
刀と考えると、日本人はどうも武装と考えづらいのですが、たとえば、キリスト教の神父や牧師がピストル片手に賛美歌を口ずさみ、聖書の説教と、考えるとぎょっとします。ところが十字軍はあったわけですね。西洋人から見れば、ピストルより、刀のほうがよほど残酷に見えるということでした。ピストルで処刑より、ギロチンのほうが残酷なイメージです。
まして、最近の中東でたびたび実写報道される、斬首は、まったく残虐と映じます。
けれど、そんなことを主張したのが、日蓮その人であった現実を、日蓮門下は真正面から睨んで、正直に考えなければ、社会一般はそっぽを向くでしょうね。
そんな意味で、この発題は、意義ありと、わたしは思います。
16
:
一談家
:2005/03/07(月) 19:38:05
> 15
>まして、最近の中東でたびたび実写報道される、斬首は、まったく残虐と映じます。けれど、そんなことを主張したのが、日蓮その人であった現実を、日蓮門下は真正面から睨んで、正直に考えなければ、社会一般はそっぽを向くでしょうね。
これは私は言いすぎだと思います。立正安国論では明確に斬首を否定し、「布施を止めよ」と主張しているわけですから。
諸御書に散見される「斬首」という言葉の意味を、「布施を止める」意味と取る事は、門下の常識であったでしょう。そのような激しい表現を使われても、その意図する所は国家権力による斬首ではなくて、「布施を止める」であったと思います。こうした意味合いは、門下には充分に伝わっていたと思います。
17
:
愚鈍凡夫
:2005/03/07(月) 20:16:37
一談家さん、横レス失礼します。
蓮祖は頸を切れと言いまくってますよ。ちなみに、真蹟から引用してみます。
「二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺寿福寺極楽寺大仏長楽寺等の一切の念仏者禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ、」(「撰時抄」 学会版P287)
「日本国の人の父母よりもをもく日月よりもたかくたのみたまへる念仏を無間の業と申し禅宗は天魔の所為真言は亡国の邪法念仏者禅宗律僧等が寺をばやきはらひ念仏者どもが頚をはねらるべしと申す上、故最明寺極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給いたりと申すほどの大禍ある身なり、」(「光日房御書」 学会版P927)
「当に知るべし是よりも大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘えて立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る、彼の状に云く〔取詮〕此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり、禅宗念仏宗等が法華経を失う故なり、彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば国正に亡ぶべし等云云」(「法蓮抄」 学会版P1053)
「それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし、」(「高橋入道殿御返事」 学会版P1461)
「法蓮抄」にもありますが、小生は、「立正安国論」の原本にも「彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば国正に亡ぶべし」と記されされていたと思っています。
これが、その後の蓮祖に対する迫害に拍車を掛ける原因になったのではないでしょうか。
18
:
愚鈍凡夫
:2005/03/07(月) 20:23:12
訂正
誤→「法蓮抄」にもありますが、小生は、「立正安国論」の原本にも「彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば国正に亡ぶべし」と記されされていたと思っています。
正→「法蓮抄」にもありますが、小生は、「立正安国論」の原本にも「彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば国正に亡ぶべし」と同意のことが記されていたと思っています。
悪しからず。 m(_ _)m
19
:
大盛
:2005/03/07(月) 20:26:01
>16
まだいるんだ、こんなそっぽ読んでいる人。夢の中にいれていいねぇ。
20
:
顕正居士
:2005/03/07(月) 21:53:59
日蓮の武装宣言
『行敏訴状御会通』という遺文(真翰存在)があります。日蓮党は武器を集合しているという
忍性、良忠、道教、行敏らの訴状が幕府に提出された。それらの訴状に対する弁明である。
そしてこう述べる。
「又云く兵仗等云云、涅槃経に云く、天台云く、章安云く、妙楽云く、法華経守護の為の弓箭
兵仗は仏法の定れる法也、例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し」
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049052&VOL_NUM=00011&KOMA=28&ITYPE=0
当然、日蓮は逮捕された。以下に詳しい経緯があります。
「平頼綱と『教行信証』の出版」2/3(今井雅晴著『親鸞と東国門徒』)
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/imai-masaharu-yorituna-02.htm
21
:
犀角独歩
:2005/03/07(月) 23:18:12
16 一談家さん:
お気持ちはわからなくもありませんが、残念ながら、記されるところは、美化された偶像の「日蓮大聖人」です。
真跡における「刎頚」については愚鈍凡夫さんが、武装については顕正居士さんが資料を上げて下さって明らかです。
『立正安国論』を引用されていますが、この点は、過去に議論したことがあります。
一談家さんが使用されたのは文応元年本でしょう。しかし、蓮師はこれを建治・弘安の交に書き換えています。漢文をタイプすべきですが、いまは面倒を避け、以下、述べ書きで示します。
「夫れ釈迦之以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁之以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さず。皆此の善に帰せば何なる難か竝び起り、何なる災か競ひ来たらん矣」
「夫れ釈迦之以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能忍之以後の経説は則ち其の施を止む。【此れ又一途也。月氏国之戒日大王は聖人也。其の上首を罰し五天之余黨を誡む。尸那国之宣宗皇帝は賢王也。道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道也、道士也。其の罪之軽し。之は内道也、仏弟子也。其の罪最も重し。速やかに重科に行へ。】然れば則ち四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さず。皆此の善に帰せば何なる難か竝び起り、何なる災か競ひ来たらん矣」
書き足した文に「内道也、仏弟子也。其の罪最も重し。速やかに重科に行へ」とあります。では、この‘重科’とは、ということになりますが、この文は、その前の
「客の曰く 若し謗法之輩を断じ若し仏禁之違を絶せんには、彼の経文の如く斬罪に行うべき歟」
の答えです。明らかに斬り殺すことを支持したものであることは明確です。
2書の時間差は18年、広本に改訂の背景には、度重なる流罪、さらに熱原法難に弟子檀那を刃傷迫害があった憤りがあったという説もあります。
22
:
一談家
:2005/03/08(火) 00:12:37
愚鈍凡夫さん 顕正居士さん 犀角独歩さん
ご指摘有難うございました。
>蓮師はこれを建治・弘安の交に書き換えています。
そうでしたか、参りました。事実を知らないと言う事は恐ろしい事ですね、びっくりしました。先日、斬首というか、のこぎりで頸を轢き切る映像がネットに流れましたが、アレを蓮師が主張したと言うのは驚きです。事実をそのまま受け入れます。有難うございました。
23
:
高原
:2005/03/08(火) 00:18:31
聖教新聞の座談会でも、蓮祖は念仏者の頸を撥ねよとおおせだ。
だから、私たちも日顕という悪を断じて責めぬくのだと書いてありましたよ。
24
:
犀角独歩
:2005/03/08(火) 00:46:03
一談家さん、有益な議論ができたことを嬉しく思います。
25
:
犀角独歩
:2005/03/08(火) 00:51:32
> 23
これはすごい。
まあしかし、「日蓮大聖人の仰せのままに」と主張するのであれば、武装し、特に内道、いまで言えば富士門のわたしのような人間の首を刎ねなければならないことになるでしょう。
顕正会は、どうして、念仏者の頸を斬って由比ヶ浜に並べよという蓮師の主張を守らないのでしょうか。おかしいですね。
しかし、こんな点ではおかしいほうがいいでしょう。たとえ、蓮師が言ったことでも間違っていることは間違っています。その間違いは用いず、修正することが、蓮師に真実、報いることであるとわたしは主張しておくことにします。
そんな勇気を持ちましょう。
26
:
大勇者
:2005/03/13(日) 17:55:17
>20顕正居士さん。サイト紹介有難う御座います。大変参考なりました。
>18愚鈍凡夫 さん
「素朴な疑問スレッド」にて過去に「数珠丸」について御提示なさっていたのを拝見して考えされておりました。日蓮宗と関係が推測されるものには他にも妖刀と呼ばれる村正
「妙法村正」があります。これには題目が彫られています。
数珠丸について尼崎市のホームページによると、
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/web/contents/info/city/city03/rekihaku/bunkazai/sitei/honkouji-juzumaru/honkouji-juzumaru.htm
*********************************************************************
長さ89.3cm、反3.9cm。この太刀は、鎌倉時代の初期、後鳥羽天皇の御番鍛冶であった備中(広島県)の刀工青江恒次の作で、元来日蓮上人の守り刀でした。上人が甲州身延山へ入山したとき、護身用として信者から贈られ、これに数珠を掛けて杖としていたところから「数珠丸」とも呼ばれています。それ以来身延山久遠寺に秘蔵されていましたが、一時山外に流出して所在が不明になっていました。大正8年(1919)ころ、尼崎在住の刀剣鑑定家杉原祥造により再発見され本興寺に寄進されたと伝えられています。
****************************************************************
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/9135/m-masamune2.html
****************************************************************
渡辺館長は今、正宗ら鎌倉一流の作刀のナゾを解く新たなカギとして、上古の鍛冶集団の一つで、奥州・一関辺りを中心に活躍した「舞草(もくさ)鍛冶」の存在に注目する。平安末期の奥州・藤原秀衡の御所から発掘された刀子の片面を研いだところ、その地刃の沸のつき方が鎌倉一流を思わせたという。源頼朝によって、平泉・藤原氏が滅ぼされると、舞草鍛冶の大半は、鎌倉をはじめ全国へ散り、各地の鍛冶に影響を与えたとも見られている。
舞草の一統の中には月山鍛冶など、修験道と関係深いものが多い。正宗一派の作刀に修験道も関係するのではないか−渡辺館長の仮説の一つだ。鎌倉鍛冶の草分け、新藤五国光一門が刀を作り始めたのは、文永(一二七四年)、弘安(一二八一年)の両役からやや時を経た鎌倉末期。そのころ、三度目の蒙古襲来の風説におびえた幕府は、正応二年(一二八九年)の鎮西諸国の杜寺を手始めに、何度かにわたって異国降伏の祈とうを命じた。さらに正応五年(一二九二年)、幕府は醍醐寺の権僧正、親玄に異国降伏の祈とうを命じた。
護国や怨敵(おんてき)調伏のために行われる秘法「太元帥法」の本尊である。親玄の行ったと思われる祈とうとこの画像の関係が連想されるが、その祈とうの場に霊剣の供えられていた可能性を渡辺館長は推測する。
正宗ら鎌倉一流の刀剣が、修験の祈りとどんなかかわりがあったのだろうか。
修験道と刀剣の関係について考察した修験道と刀剣の関係について考察した伊藤満氏の著書『刀剣に見られる梵字彫物(ぼんじほりもの)の研究』には「刀工と修験道の関係」という副題がある。伊藤氏は、新藤五国光から始まって正宗や貞宗らの刀に彫られた彫り物を分析している。鎌倉刀に彫り物が目立って多いのである。
*********************************************************************
醍醐寺と日蓮は縁あることを考えてみてもきっと有力信徒が身延久遠寺に刀を奉納するのも不自然なことではなかったのかも、、、
「護国」「護身」には、机上の空論でない「応報主義」による「抑制」、つまり「暴力」が不可欠と考えるのは当然だったのだろうか?
「報復の連鎖」を止めることが平和への近道である思想は尤も、近代的なのかも知れない・・・
27
:
犀角独歩
:2005/03/13(日) 18:06:19
26 大勇者さん、たいへんに興味深く拝読しました。
刀剣と修験道。不動が手にするのは刀剣ですね。蓮師との脈絡は興味深いテーマです。
また、
> 「報復の連鎖」を止めることが平和への近道である思想は尤も、近代的
という点で、わたしはすぐさまガンジーを、そして、非暴力の緒となった藤井達師、つまり、インド西還、戦禍の題目行脚の様が想起されました。
明(非暴力)暗(帯刀)というコントラストのある読ませるご投稿でした。
28
:
雖念
:2005/07/01(金) 08:10:42
> 3 愚鈍凡夫さん
苔レスすみません。
御飯はしっかり食べてます。
しばらく、blogにはまっていて、ご無沙汰してました。
自分自身の内にある、破壊的な衝動を適応的な形で、表現するにはどうしたらいいのかを、ぼんやりとずっと考えています。
最近も15歳の男の子の痛ましい事件が続いて胸を痛めています。
被害者の方々の冥福を心より祈念しています。
(-∧-)合掌
29
:
ラスカル
:2005/11/13(日) 08:07:37
侍の時世。武装も何も武士の流義で申したまでの事で、鎌倉時代と平成時代の例え話の言い方は違う表現で話すべきでしょう。
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