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身延相承書と池上相承書について

49愚鈍凡夫:2003/09/20(土) 13:53

飯も食ったし、そろそろ・・・・・。 (^▽^;)
空き缶さんへ。
要するに、五一相対の立場から日興師に正統な流れが存在すると言いたいのですか。

ならば逆に問います。
空き缶さんの説ならば、重須には『二箇相承』と呼ばれる天下御免の相承書が2通も存在するわけでしょう(当時という意味)。日順師は興門正統説を唱えるのに、何故これらの文証を引用しないのでしょうか。
『二箇相承』の言葉すら『日順阿闍梨血脈』ないのは何故でしょう。更に、言葉はなくとも、身延、池上の相承の次第の説明があって当然だと思うのですが、それすらないのは何故でしょうか。

それと、『二箇相承書』を真蹟とするのには、下記のハードルを超えなければなりません。
どうか空き缶さん、超えてみてください。

①身日蓮大聖人は湯治のために9月8日に身延山を発っているに、身延不在中の筈の9月13日の日付が何故、身延在中執筆を示す(大石寺版御書底本の日辰本で言う)身延相承書中に有るのか。
②現行の大石寺平成新編と左京阿闍梨日教書写本とで何故、身延相承書と池上相承書の双方の題と内容が入れ替わっているのか。
③日辰本の「身遠山」の「遠」字の写しが間違っているは何故か。蓮祖は多くの遺文に、正しく「身延山」と書かれている。

「   定
 一、弟子六人の事不次第
 一、蓮華阿闍梨 日持
 一、伊与公   日頂
 一、佐士公   日向
 一、白蓮阿闍梨 日興
 一、大国阿闍梨 日朗
 一、弁阿闍梨  日昭
   右六人は本弟子なり仍て向後の為に定むる所件の如し、
   弘安五年十月八日」

とあるのに、10月13日に、蓮祖が日興師に『池上相承書』を与えたことは、矛盾しないか。
⑤蓮祖→日興→日目が正統であるならば、『二箇相承』が重須にあったのは何故か。

今まで言い尽くされてきた疑問点ですが、このハードルを超えてみてください。


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