したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

身延相承書と池上相承書について

178れん:2008/02/01(金) 12:31:22
いわゆる二箇相承ですが、石山系教団では、彫刻の相承の文証として引用しますが、所蔵元の北山(重須)本門寺では“本門寺大堂本尊”に係る文書として作成し扱っていた様です。
保田妙本寺日要師が重須日浄師から伝写した重須文書の切紙は①身延相承②池上相承③本門寺大堂本尊裏書④日興付属状(五師への譲状⑤日妙への譲状⑥本門寺棟札⑦日興上人御遺跡事が確認されており、その中③には「本門寺大堂本尊裏書云、日興上人授、此本尊日蓮大事也、日蓮在判。日興御自筆裏書云、正中二年十月十三日、日興在判、日妙授与、白蓮」とあります。日殿申状にはその位置付けとして「一通、此本尊日蓮が大事なり在判、日興に之を授与す、日妙に之を授与す日興判、正中二季十月十三日。一通、重須本御影堂に於いて唯授一人日妙に相伝す。秘すべし秘すべし、同月日。一通、日妙三堂本尊守護申すべき事、末代の為に日代を判証人として之を書写す我門弟等以後に於いて諍ふ事之有るべからず、本門寺日妙に授与するなり。右旧規を検ふるに彼西山代々既に本迹優劣に迷倒し興師の本意に背き今新に非拠の案を構ふるの条殆ど猛悪の至りか、是は高祖の御筆血脈授与の相伝、日興帰寂の後弐百五十余年、重須本門寺に安置し奉り並に三堂附属相伝の筆跡明鏡なり、然れば則此の漫荼羅は一閻浮提に於いて正像末三時未弘の本尊なり、耳+卯爾なく開山建立の道場に安置し奉り本六人並に日妙已下の弟子等崇敬し奉る事、是偏に天下広宣流布の時至り帝王将軍御受法の時を待つ処の由緒是なり、蓋し富士山本門寺は一宗の根源諸門の最頂天庭奏聞の遺跡末法弘通の戒壇たり…」とあるのを参照しますと、日要師が日浄師から伝写した文書に見える“本門寺大堂本尊”を以て二箇相承に記された“富士山本門寺戒壇”安置の漫荼羅としており、本来、二箇相承は石山の彫刻とは何の関係もない文書であることは明らかですね。日要師の重須文献の切り紙に記された文書のうち、本門寺大堂本尊は天正度の宝物掠奪事件で失われていて曽存であり蓮師の真蹟が偽筆かもはや確認不可のものであり、正本の現存する日興上人御遺跡事以外は、二箇相承を含め偽文書ですが、何れにせよ、二箇相承をもって石山が自山の彫刻の“相承”の文証に備えることは正に我田引水以外の何物でもありませんね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板