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顕正会の実態を検証する
96
:
アネモネ
:2003/12/06(土) 19:16
犀角独歩さん
>日蓮その人の慈悲の発露は現代の学的成果に基づいて再考され、そして、日蓮信者の社会的善意の行動として発言されるとき継承されていくであろうと思います。
慈悲の発露とは、とてもいい表現を提示してくださったと思います。
日蓮という人を知るうえにおいても、またお釈迦さまの悟りというものを知るうえにおいても、私が最も関心を寄せるところは、まさに慈悲の発露というところだと思うのです。
そこを離れたところでの教義解釈には、私にとっては、ほとんど意味を感じないといってもいいかもしれません。
そこが宗教の原点であり、また目的でもあるだろうと思うものだからです。
私にとって宗教は、子供の頃から気がつけば自ら求めてきたものであり、人生を通したごくありふれた生活の中の、何も特別なことではなかったと振り返ります。むしろ、宗教組織というものが、特別な存在だったと思います。組織からすっかり離れてみて、自分に宗教や信仰が消えてしまったかというと、実は全然そうではなくて、むしろ普通に暮らす生活の中に、宗教や信仰を感じることが多いんですね。
家族がいて生活を営み、仕事に励む、その人生の中での人との交わりに喜怒哀楽があって、失敗や後悔も繰り返し、そして移ろいゆく季節の中で、年を重ねていっている。
私が法華講入講によって仏教に触れ、一番最初に知った経文とは、四苦八苦でした。その次が四苦八苦の中の、生老病死と愛別離苦で、そして抜苦与楽。
今では、怨憎会苦と求不得苦、そして五蘊盛苦も覚えましたが、当たり前の人生の中に、いつもこれらの経文が思い浮かびます。人生の中の、なにげない普通の生活のなかに、明らかにこれらの苦が誰にもあるわけですね。
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