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顕正会の実態を検証する
655
:
れん
:2005/12/03(土) 22:50:00
ラキさん
>653
有師が戒壇建立論を述べた文をもう一つあげれば
「日有上人の御物語に云く、興師はよくよく高祖の仏意を得させ給ふ、江州薗城寺の天下えの申状は叡山に迹門の理の戒壇を立つ上は薗城寺にも又迹門の事の戒壇を立つ可き申状也、然る間是こそ末代本門の事の戒壇立つ可き証拠なれとて大石寺の重宝と仰せられ給ふ也」(興風叢書四・一三0)
このように、石山において戒壇建立論は日有までは遡れます。それ以前の石山歴代における建立の明確な文献は、今のところ管見に入ってません。
ただ、三位日順の興師在世の著作である法華本門見聞には「先謗法等を対治して後法門一閻浮提に流布せば軈て本門の大戒立つべきなり」とあり、又日順が興師滅後に著した心底抄に「行者既に出現し、久成の定慧広宣流布せば、本門の戒壇其れ豈に立たざらんや。仏像を安置すること本尊の図の如し」と具体的に述べ、日興の重須における後継であった日代も葦名阿闍理御房御返事に「仏像造立の事は本門寺建立の時也、未だ勅裁無し、国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめ給ふべきの由御本意也、御本尊図は其れが為也」と日順と同義を述べています。石山蔵眼師写本の心底抄の奥書には南条日住の筆にて「当家随分の書と故上人常住御披見也」と記されており、この故上人とは石山九世日有とされており、この記述で日有は心底抄を「当家随分の書」と発言したことが知られるので、日有の戒壇建立論も石山戒壇義以外は日順のそれと同じと考えであったとするのが至当と存じます。
しかし、蓮師に戒壇建立の意志があったか否かは、現存の真蹟には残ってないので、現在は不明というほかはないと思います。
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