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顕正会の実態を検証する
652
:
れん
:2005/12/03(土) 20:42:30
横レス失礼します。
独歩さんとラキさん・ラスカルさんとのお話、勉強になります。
蓮師には真蹟に「本門戒壇」の用語はありますが、その建立地については、独歩さん・ラキさんのご指摘の如く、ついに日蓮は生涯真蹟に残しませんでした。
ただし、日興の「本門寺」構想の原型は真蹟現存の宝軽法重事の「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず」の“法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔”あたりにあるのかなと思います。その堂塔の一つに戒壇も設けられるというのが、やや日蓮の意に近いかもしれません。
さて、視点を蓮・興・目の三師の滅後の石山に移しますと、九世日有にいたり、石山戒壇論を明言するにいたります。保田日要の新池抄聞書に「日有云く、又云く、大石は父の寺・重須は母の寺、父の大石は本尊堂・重須は御影堂、大石は本果妙・重須は本因妙、彼は勅願寺・此は祈願寺、彼は所開・此は能開、彼は所生・此は能生即本因本果本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり、開山置状に云く日目・日仙・日代は本門寺の大奉行中にも日代は日興が補処たり文、是は日興は母の得分にて御座すに依て日代には母の方を授け、日目には父の方を授け給へり」と記される如くです。
この石山戒壇論は、恐らく石山を名実ともに掌握した六世日時が初めて唱えたのではないかと推定します。日有自身「若し世も末にならば高祖の御時之事、仏法世間ともに相違する事もやあらんとて日時上人の御時四帖見聞と申す抄を書き置き給ふ間我が申す事私にあらず、上代の事を不2違申1候」と述べて、日有自身が述べた法義は自らの先師である日時の著作に基づいていることを明言しているからです。
こうして見ますと、重須方が、二箇相承を作成して、自山戒壇建立を主張したのは、日時・日有の石山方の主張に対する反動とも見えなくもありませんね。
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