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顕正会の実態を検証する

645犀角独歩:2005/12/03(土) 00:29:27

ラキさん、いずれにしても、重要な点。

天生(あまふ)原、六万坊は要山義であるということです。
その証拠は、それを伝えたのは要法寺出身の日教であることから明白です。それを日教が記したあとも、石山では百数十年、そのことをしらなかったわけです。

富士戒壇論からして、日蓮は言っていないことは『富士一跡門徒存知事』にはっきりしています。

「而るに此の本門寺に於ては、先師何れの国何れの所とも之を定め置かれず」

先師・日蓮は、その場所を指定していないと言うのです。
二箇相承が真っ赤な偽物である証拠です。

また、二箇相承には「富士山本門寺…戒壇」とあります。
では、この文書が在ったとされる場所は、どこか。富士山本門寺です。富士山本門寺にあった文書に富士山本門寺に戒壇を建立と記されているという話に過ぎません。そして、この書は明らかに先の『富士一跡存知事』と矛盾しています。そして、なにより重大な点。二箇相承は、ただの一度も大石寺にはなかったのです。日興が寂した段階で‘富士山本門寺’の跡継ぎは日代でした。石山は日目でしょう。それぞれ別の住職が立っていたわけです。そして、二箇相承が本物であるとすれば、あったのは富士山本門寺(北山)のほうです。となれば、正当な寺院は富士山本門寺、そして、戒壇が建立されるのも富士山本門寺という筋立てです。つまり、石山のあずかり知らない話だということです。

もっといえば、日蓮は晩年にいたり、本門の戒壇を述べることはありませんでした。であればこそ、建立地を特定することもなかったのでしょう。
日蓮は戒壇建築など、考えていなかったというのは、真跡遺文の指示するところでしょう。

また、重須文書に従えば、ここで、建立される戒壇に入れる本尊は仏像であることは日順文書に明確です。
こんなことは、上古文書の常識であって、ここにいまさら記すことでもありません。国立戒壇など、日蓮、日興と何の関係もない後世の夢想に過ぎません。


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