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顕正会の実態を検証する

577犀角独歩:2005/09/30(金) 01:23:55

『対決を逃避した阿部日顕管長に「最後に申すべき事」』を読みました。

何より、気になるのはこの文体ですね。今時、こんな文語を使うというのは、ちぐはぐな感じが否めません。

何点か、さらに気になった点。

「仏法守護の本有の王法が久遠より存する。これが皇室である」(P42)

これは一体、何を意味するのでしょうか。日本の皇室が久遠から存する?というのでしょうか。

「日興上人は『仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか…尤も本門寺と王城と一所なるべき由』…富士一跡門徒存知事…いまは且くこれを置く」(P43)

存知事は日興の言を記したということですが、この言い回しはちょっと気になります。それはよいとしても、この一節を引けば、本門寺=戒壇と王城は同じ場所でなければならないということになるわけですが、「『天生原』を戒壇建立の地と定めておられる」(P46)という矛盾を、一言「いまは且くこれを置く」と片付けています。都合の悪いこと、説明ができないことは、こうして言及を避けるやり方は、浅井さんの常套手段だと思いました。

河辺メモに触れているのですが、この文中の

「種々の方法の筆跡鑑定の結果解った(字画判定)
 多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
 お題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
 頃の筆だ
 日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている…」

という肝心の部分を「荒唐無稽の作り話を並べてその理由を説明しているが、口にするさえ恐れ多く、穢らしいので、ここには省略する…筆者注」(P61)と文章を隠してしまっています。

まあ、わたしのほうでも既にこの部分を採って、彫刻本尊が禅師授与漫荼羅を原本とする臨模・作為であることを明らかにしているわけですから、読まれたくないということなのでしょう。

それにしても「口にするさえ恐れ多く、穢らしい」と言っておきながら、そのあとで、

「種々の方法の筆跡鑑定の結果解った」(P64)
「模写の形跡」(P66)

と引用しています。そして、ここでもまた、

「ここにはこれ以上は言わぬ」(P67)

と言及を逃れています。この部分を会員の目から遠ざけたのは、わたしは手応えと受け止めました。

わたしが、いちばん、奇妙に思ったのは

「安普請な奉安堂では、大規模な天変地夭あるいは核爆発等のテロ・戦乱から、大御本尊様を守護し奉ることは難しい…堅牢の『新御宝蔵』を建設」(P89)

という点でした。それまで「奉安殿還御」を主張し、奉安堂建設に触れなかったのが、触れたら、今度は奉安殿もだめで新御宝蔵だといいます。

また、

「濫りの御開扉は、大御本尊様を冒涜」(P88)

というわけですが、では、妙信講時代、浅井甚兵衛さん・昭衛さん親子をはじめとするここの講員は御開扉を拒否してきたのか?、そんなことはないわけですから、これでは過去の自己批判になっています。

前後しますが、

「身延派謗法僧の大石寺参詣…『古来の慣例』とは何事か…嘘をついてはいけない」(P79)

と憤慨を露わにしますが、執行海秀師、また、稲田海素師なども、大石寺へ参詣し、彫刻本尊まで見ているわけです。殊に稲田師を石山に入れたのは顕正会も上人とする堀日亨氏ではないでしょうか。

まあ、ほかにも気になる点は多々ありますが、何で、こんな本を今さら出すのでしょうか。阿部氏退座の情報を嗅ぎつけ、ここで退座要求をし、実際に退座したら「浅井先生、顕正会の力により」と、こうやろうということなのか? こんなさして、従来と変わらぬ内容を大仰に出す本心がどこにあるのか興味が惹かれました。


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