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顕正会の実態を検証する
54
:
黙さず語る者
:2003/04/07(月) 20:28
ガンコさん
私は少なくとも本尊取替え問題と達師顕師本尊を拝まないことと、相承授受断絶の問題は立て分けるべきではないと思います。
なぜなら、平成十一年の相承発言以前には達師顕師本尊を拝まない、などという考えは会員内にはなかったわけで、当然本尊を取り替えるなどという発想すら会員にはないわけです。
相承発言以前に常に会内言われてきたのは「本尊を誰が顕したから駄目とか良いということはない」という指導であり、日本銀行の総裁個人の善悪に関係なく紙幣は紙幣として価値がある、との例えをよく引いていたものでした。
つまり平成十一年以前にはそういった”どの本尊なら拝んでも良い、どの本尊なら良くない”という発想すら会員には全く存在せず、だからこそ達師顕師本尊で入信勤行を執り行う行為は繰り返されてきたわけです。
ところが平成十一年の相承授受断絶の発言以降に初めて、本尊取替え問題が現実に行われるようになり、当然会員内では達師顕師本尊を取り替えられた事実がある以上は、拝むべき対象ではないのだろうという発想が出てきたわけです。
また、会長指導をしっかりと聞いている者や、古参の会員であれば、本尊数の問題も疑念となるかは別にしても、「どうして布師本尊が突如出現し、寛師本尊が増大したのだろう。すっきりとした回答をしてくれればいいのに」という考えは頭をよぎるはずです。
とすると、ガンコさんが言われているような
>「御本尊様に向かい奉るにあたっては“雑念”を排してすっきりとした気持ちで勤行申し上げなければならない」という概念が本尊に向かうべき姿ならば、本尊数等の問題は尚更顕正会として明確に提示すべきなのではないでしょうか。
実際に私は少なくとも会館安置の布師本尊の出処が不明であるという疑念が出来した上で、会館への参詣はできなくなりました。
”雑念”を排してというなら、もっとも優先すべき問題なのは会としての本尊所持数を明確に提示すべきだと思うわけです。
達師顕師本尊への”雑念”よりも何よりも顕正会の本体である会館安置の本尊への”雑念”の消去がまず最優先されるべきであるのではないでしょうか。
更には浅井会長は現在会員が大抵抱いている考えとは違うことを「試練と忍従」を引かれて説明されていますが、現実にはガンコさんの言われる通り大多数の会員がそうは思っていないわけです。
である以上、会員の考え方を改めるべき指針を打ち出すべきでしょう。
わざわざ「試練と忍従」を熟読しなければ会長の意を汲み取れないのであれば、会として戒めていかなければならないはずです。
>はたしてこの御本尊を拝んでいてよいものだろうか?という迷いが生じる。
>こうしたすっきりしない状態で勤行するのは好ましくない。
こんな疑念は以前から会員はさんざん持ち合わせてきた問題なわけです。
正本堂問題で妙信講を解散処分とした以上、妙信講側から見れば「正義を叫ぶ団体の首を刎ねた」となるわけで、つまり解散処分以降から、達師顕師本尊に対する考え方は会員の中で指導されてきたわけではないですか。
そう考えればこれが平成十一年の指導を受けて、急激にそういった本尊を取り替える傾向に本部が奔走するのも、やはり”相承授受断絶”と”拝むべき本尊か否か”とリンクされるのは当然です。
浅井会長自身が指導したわけではなくとも、本部の子息が号令を出していたわけですから、この状態で尚、会の意向を汲んで良き理解者になるべきなのか、それとも詳細指導がなされるべきなのか、私は甚だ疑問に思うわけです。
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