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顕正会の実態を検証する

50ガンコ:2003/04/07(月) 17:10

「顕正会における達師顕師本尊の取り扱いについて」 その2

絶対? 何でそこまで言い切れるのか?

そのまえに本尊の取替えについて、もう少し書いておく必要がある。なぜなら、達師顕師本尊から寛師本尊に取り替えるという事象をみれば、だれだって達師顕師本尊は拝んじゃいけないんだと勘違いしてしまう可能性があるわけで、それらを別の問題だと主張する以上は、なぜに本尊を取り替えるのかについて別の理由をたてなければならないだろう。

わたくしはこのように聞いたことがある。「御本尊様に向かい奉るにあたっては“雑念”を排してすっきりとした気持ちで勤行申し上げなければならない」と。
これが本尊取替えの理由だとすると日達上人日顕上人に失礼ではないかと法華講員に叱られそうだが、浅井の深謀遠慮を思うべきである。
雑念というのはまさしく細井管長阿部管長書写の本尊だからということになるけれども、“雑念”とは本尊の責めに帰すべきものではなくあくまで信仰者の責めに帰すべき事由である。
日ごろ宗門に対しては強言を構える浅井であるから、そうした先入観を持っているとわたくしのいわんとすることはわからないかもしれない。ともかくも御本尊様に対する浅井の姿勢は終始一貫変わることはなく、この件にしても“雑念”という表現をもちいることによって辛くも御本尊誹謗を逃れている、とわたくしは見る。

以下は類推であるが、法華講から顕正会に入ってきた者はおおむね達師顕師本尊を日夜拝んでいる、今まで猊下様絶対だった、しかしそれが崩れる、「時の貫首たりと雖も・・・用ふべからざる事」、はたしてこの御本尊を拝んでいてよいものだろうか?という迷いが生じる。
こうしたすっきりしない状態で勤行するのは好ましくない。
また、学会から顕正会に入ってきた者はもっと複雑である。かつては顕師本尊を拝んでいた、ところが平成3年以降、徹底的に宗門とりわけ日顕上人の誹謗中傷をくりかえす学会のなかにいて、結句は顕師本尊を捨てさせられた、そして顕正会に入る、あれ?なんじゃこりゃ?日顕のほんぞんがあるぞ? 学会員の日顕上人に対する憎悪ははんぱじゃないから、顕正会員が顕師本尊を拝むのを理解できない。

ともかく複雑な宗門情勢のなかで純粋な信仰を保つことはむずかしい。浅井の会員に対する配慮もここにある。かねてより“宗門は日淳上人の時代に戻ってやり直さなければならない”と言い続けてきたことを思えば、本尊の取替えはさして不自然ではない。


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