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顕正会の実態を検証する

377一刀両断:2004/05/05(水) 14:27
更に冨士312号「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」には抜粋すると次のようにあります。

このように仏法守護の大使命を有する日本の皇室であるが、もしこの使命を自覚せず、仏法の正邪に迷って邪法を行ずれば、たちまちにその威光勢力を失う、大聖人御在世の皇室がそれであった。
また正法の滅するを見て捨てて擁護しなければ、たちまち王位は傾く、敗戦以後の今日の皇室がそれに当たろう。
ただし、敗戦という未曾有の大変革を経ても、なお天皇制は廃絶されず、天皇がその権能は限定されているとはいえなお、”君主”たる地位を保有されていること、まさに将来皇室が果たすべき仏法上の使命のゆえと、その不思議を歎ぜざるを得ない。
(中略)
さて、細井浣腸と阿部教学部長は学会におもねて「国主とは、現在は主権在民の上から民衆である」と云ったが、報恩抄には「国主は但一人なり、二人となれば国土おだやかならず、家の二の主あれば其の家必ずやぶる」とある。民衆が国主たり得る道理がないではないか。日本国には憲法上からも国家を代表する一人の君主すなわち天皇が存在し、また中央政府もある。この存在を無視して、漠然たる”民衆”を国主というのは、為にする詭弁といわねばならぬ。主権在民すなわち国民主権主義とは、国家意思を構成する最高の源泉が国民に発することをいうのであるが、国家・国民を代表して国家意思を表明するのは、天皇および国家機関にあることは論を俟たない。
ここに戒壇建立の必要条件たる「勅宣並びに御教書」(国家意思の表明)が発せられるプロセスを、政体の変化の上から考察すれば、専制政においては、国主の帰依がそのまま国家意思の表明につながる。しかし民主政においては、国民の総意が国家意思を決定し、その国家意思が天皇および国家機関から表明される手順となろう。
しかし上から下、下から上という差異はあっても、国家がある以上、政体のいかんを問わず国家意思の表明はなされる。ゆえに今日において、もし国民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布が実現すれば、国民の信託に由って成る国会の議決がなされぬはずはなく、また「国民統合の象徴」たる天皇が、国家・国民を代表して正法護持の国家意思を表明しないこともあり得ない。
ゆえに広宣流布が実現さえすれば、今日の政体においても、御聖意に叶う「勅宣並びに御教書」は発せられるのである。

要するに、直接天皇折伏をすることなくとも、現在の主権在民という形態から折伏を起こすならば、一国一同帰依が為されれば天皇も自動的に帰依することになるので、直接折伏は不要である、と主張しているようです。


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