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顕正会の実態を検証する

108一刀両断:2003/12/07(日) 15:42
独歩さん こちらこそ宜しくお願いいたします。

「宗教心」について

横レスになりますが、私は過去に顕正会の人材として活動していた折、親類の者に顕正会仏法を紹介(折伏)した際、相手の考え方について「こうあるべき」とか「こうするべきである」と断言し、或いは相手の理に矛盾が出ると「それはこうなんだ」「このような解釈をするべきである」のようなある種の決め付けているような言い方を続けてきました。
また顕正会を脱会してからも、相談相手や話相手の生活の問題等の話に触れる度に、相手が私が嘗て顕正会員だった事を知っている人には「君の考えや話し方は根本に日蓮仏法が見える。」と指摘されました。
それは相手にも私の根本の宗教心が見えたのかもしれませんが、もっと恐ろしかったのが相手が宗教に無縁の人にすら私の申し上げた言葉に対するものでした。
彼の云く「君の言葉には一見真理を追究した言葉のように見えるが、実は君自身の体験、或いは実践結果に基づくものではない」ときっぱり言われたのです。
全く信仰について述べ合った議論ではないにも関わらず、です。
少々彼の意見に不満を感じたものの、冷静に考えてみると、つまり日蓮正宗系の信仰というものは、何か結論的な導きを常に求め、また与えないと済まない心情になっているのではないか、と思ったのです。
信仰継続中には、理に合わない事は信に任せ、信仰を一切断ち切った途端に、信を捨てると理ばかり追求してしまっているような気がするのです。
これは私だけのことかもしれませんが、どうも私は辻褄が合わせを無理にしよう、或いは理に拘り過ぎている観があります。
人というのはもっと曖昧的、Ambiguousな感覚がたくさんあるようで、日蓮仏法を信仰してきた者が、乗り越える壁の大きさを感じるものです。


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