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つぶやきすれっど2

95アネモネ:2002/12/24(火) 20:40
独歩さんの>71のレスの中に書かれている

>独り善がりの社会から乖離した独善主義、しかし、そういう人から見ると世間のほうが独善と見える、この180度の見解の相違がどこから生まれるのか、よくよく考えてみる必要があると思うわけです。

このことは、本当に真剣に考える必要があると思いますね。
かつて、日本へ仏教が伝来してから、大雑把にとらえても明治維新までの間、仏教は日本の中で最高水準の学問だったといえるでしょう。比叡山で学ぶ学僧は、現代に置き換えれば東大出のエリート僧とみなされるでしょうし、また中国へ渡って仏教を学ぶ学僧は、さしずめバイリンガルといったところでしょうか。
重要な外交を担ったり、文化の交流をはかったり、時には政治の参謀として重用されることもありと、あらゆる歴史の局面に学識をもつて活躍してきたのが日本の仏教界だっという側面があるのかもしれません。しかし、それは残念ながら、日本が近代化するまでの話でしょう。近代化とともに、仏教は日本の中で国の舵取りを担う最高水準の学問ではなくなったわけです。
欧米先進国の科学的な学問に押され、ここ百年の間には、むしろ逆に今日に伝えられてきた仏教の歴史的信憑性が、科学的に検証されるようになったわけです。このことで、正しいと信じられてきたことが、実はお釈迦さまの教えでなかったというものもたくさんあるわけですね。
大きなところでは、法華経が釈尊が直接説いたものではないことなど、日蓮正宗にとって非常に都合の悪いことが証明されてきたのだと思います。180度の見解の相違とは、恐らく、学問的地位の逆転という見方もできるかと思います。

しかしこれは推測ですが、石山僧の中枢の方々は、そうしたことをとっくにわかっていらっしゃるのではないでしょうか。わかっていて、敢えてそのことを信徒には明かさない。
だから、ネットなどにおいそれと自らの教団の存亡に関わるような、墓穴を掘るレスなどするわけはないでしょうね。
しかも、歴史的事実を信徒に明かさないどころか、謗法という言葉を巧みに使って、そうした科学的検証などが耳に入らないように盲信させているわけです。もちろん、その目的は仏法のためなどという高い志のものなどではなく、ただ未来永劫にわたって、日蓮正宗の教団が金銭的に支えられるためでしょう。早い話が、今の僧侶方のお家安泰のため。そう、日本国の安泰や民衆の安寧のためではないのです。ただし、教団の繁栄は必ずや民衆の幸福につながるものという、言葉のトリックが信徒にはしっかりと刷り込まれているので、私がここに書いた指摘などは、なかなか気がつかないものだと思います。

話を学問的地位ということに戻しまして、宗教的なことで科学的に証明されないこともあるでしょう。しかしそれでも、少なくとも証明されてしまったことは受け入れるしかないわけです。それすら受け入れることを無視して、ただ自分は信じているの一点張りでは議論にならないわけです。
仏教が近代化という時代の波に乗れなかった原因のひとつに、形骸化ということがあるでしょう。形骸化とともに、人々は僧侶の教えを心から求めなくなってしまったわけです。ただ、葬式と法事のためだけの仏教です。それは求めなくなった民衆が悪いのではなくて、葬式仏教とまで揶揄されるほど形骸化してしまった仏教界そのものに原因があるわけです。
日蓮正宗もその例外ではありません。むしろ、他の教団のほうがその危機意識を持って、歴史に乗り遅れまいと模索をしているくらいです。ところが、日蓮正宗はおめでたいほど、僧俗ともにシーラカンスなわけです。

ところが、日蓮聖人という方、私の目からみると、形骸化ということを最も嫌った方ではないかと思われます。それは、日蓮聖人の生涯を通した行動原理そのものが物語っていると感じるものです。
お寺の行事に参加し、言いなりになっていることが信心だと思う姿は、本当に犠牲を払って仏教を研鑚した人の目から見れば、まさに形骸化された仏道に自己満足しているだけのことに映るのは無理もないことでしょう。
形骸化された教団から教えられる信心は、形ばかりの信心ということも言えると思います。


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