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つぶやきすれっど2

812無徳:2004/02/07(土) 22:47
中村雄二郎氏はその著『知の変貌』の中で、

<ミッシェル・フーコーが
「自分は思考の方法を誰よりもフッサール、サルトル、メルロ=ポンティなどの
現象学的=実存主義的なあり方によって決定的な影響を受けた世代の一人である。
だが、実存王義や人間学的マルクス主義は、人間の自立をつよく説きながら、実際
には人間の名においてかえって神を温存したのではなかったか。およそ意識や自由
の主体としての人間とは、実は神に依存したもの、一種の似姿にほかならない。

かつてニーチェは決然として神の死を宣告した。そのとき彼は、同時に、神化され
た人間と人間の神学化をも告発したのであった。ニーチェが到来を待望し告知した
超人とは、およそ、人間よりも神にいっそうよく似ている人間、つまり実存主義者
や人間学的マルクス主義者がいう人間のことではなく、神とはいかなる関係をも持
たなくなった人間のことである」
また
「哲学は、ヘーゲルからサルトルに至るまで、本質的には意識によって人間経験を
全体化することにあったが、いまではもうこれ以上進めない道、行き止まりではな
いかと」

と述べ、

すなわち、実存主義や人間学的マルクス主義が自己展開し徹底化していくうちに無
自覚に含むことになった盲点や弱点とは、構造主義の観点からすれば、理論的な厳
密さを欠いたままに価値の根源とされた人間中心主義(とくに近代西欧的人間主義)
と、それに結びつく一種の歴史主義である。そして、それらの背後には共通して,
意識(コキト)を依然として絶対化しつづけている考え方があるとされた。>

としている

このことは、日本における仏教宗派のあり方を批判する上においても、大変示唆的
であるいえます。特に日蓮正宗系およびそれに纏わる教団において、自らの宗派的
教義の絶対性を鼓吹するあまり、無自覚に含む盲点や弱点に気づかず宗派的な共同
幻想の頸木から逃れられないでいる現状を見るにつけ、まことに残念に思わざるを
得ません。


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