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つぶやきすれっど2

73犀角独歩:2002/12/23(月) 10:44

我々が若いとき、法論・議論というのは命がけでした。もし、言葉に窮し、論拠を示せず、公正に見て、明らかに負けと認められるとき、負けた相手の宗教に転宗を余儀なくされるか、また、そうしないまでも所属集団から『脱会状』、あるいは『自己批判書』を書かされたものでした。

そうしないで、逃げてしまう者には、宗教・思想を問わず、卑怯者のレッテルが貼られ、2度とまともに相手をしてもらえないというのが常であったのです。仮に相手が過激派などの学生運動家であれば、「総括」と言われて、鉄パイプでリンチを受け、死ぬか、半殺しにされた者でした。もちろん、そのような私刑が正しいと言うことではありません。折伏は、それくらい、命がけであったということです。実際、我々は、大学のキャンパスで学生運動盛んなりし頃、そんな修羅場をくぐりながら、布教をしていました。

それに比べて、ここにおける議論は甘っちょろい、仏教でいう「無慚無愧」が罷り通る有様には溜息が出る思いがします。

特定団体に所属する若い青年達は、信仰を、どんなに批判されて、自分が回答不能になるような事態に至っても、枉げないことであると解釈しているのだろうと想像しています。それが非公開の個人的現場であるのであれば、それはそれでよいでしょう。しかし、ネットいう斯かる公開の場で、その有様を示すことは、単に恥を晒しているだけと見られていることは留意されるべきである、「恥さらし」を信仰とは言わないことも書き留めたいと思います。


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