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つぶやきすれっど2

713犀角独歩:2003/11/11(火) 16:26

みかんさん:

> 日興の門流が、早くから国家諌暁による戒壇建立を悲願と
> …口興が日蓮から直接聞いたからであると推測され、
> …『三大秘法稟承事』の内容とも一致する。

ここで「国家諌暁=戒壇建立」が至極当然のことのように語られていますが、こんな事、実際にあり得るでしょうか。

そもそも当時の天奏は、既に封建二勢力に認められている既成教団と同様に、自分たちも認めてほしいという、今で言えば宗教法人の許認可を求めることに主眼があったと考えられます(おかしいでしょうか)。蓮師は度重なる罪状を課せられて島流しに遭った今で言えば前科者というのが世間一般の理解であったと思うわけです。この状況のなかで、いまだに許認可も受けていない教団が、いきなり叡山に代わる国主戒壇之建立悲願を具体化していたと考えることはできるわけがないと思えるわけです。天奏に成功したとしても、教団として認められ・寺院を寄進されるところまでしか考えようもなかったのではないかと思えます。しかし、それすら“島帰り”の身上にある蓮師にすれば、夢のまた夢であったのではないでしょうか。

また、蓮師の戒壇建立悲願を、興師が直接聞いたなどと言うことはまったくくの憶測に過ぎず、何ら証拠もありません。そのまったくの憶測から疑義のある『三大秘法抄』の真筆説までこじつけるなどというのは、論理があまりに飛躍していて、学者の発言と言うより作家の小説のような感じを受けますが、如何でしょうか。この論理展開は想像を未決書で補うという学説にあるまじき振る舞いとわたしに思えます。なぜならば、そこには何ら事実の積み重ねが見られないからです。

わたしは学界にあるわけではありませんので、このような飛躍ともとれる論理展開を仏教学界というのは許すところであるかどうか、ご教示いただけませんか。


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