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つぶやきすれっど2
665
:
ジャージルーカス
:2003/07/29(火) 10:46
子連れ狼の柳生烈堂
史実の柳生烈堂について申します。
柳生烈堂は本名を柳生義仙と申します。烈堂は出家してからの法名であります。
母は柳生宗矩の側室で絶世の美女と言われたお藤さん。
正室からは柳生十兵衛と柳生宗冬が生まれ、側室お藤からは柳生左門と義仙がそれぞれ2人ずつ生まれております。
さてこのお藤さんに、柳生宗矩は柳生の里の井戸の前で出会い、一瞬で雷撃の恋に陥ったと記録は記しております。その出会いの井戸は今でも「お藤井戸」として柳生の里に残っており、観光名所となっております。
そしてこのお藤から生まれた最初の子である左門ですが、家光が一目惚れ(所謂同性愛ですね)して16万石(一説には4万石)のお墨付きまで頂きます。左門も義仙も絶世の美女お藤さんの子供ですから、美男子だったようです。
ところが当時の諸大名からは「祖先からの命がけの槍働きも、尻一つに勝てぬ」等と陰口を叩かれ、当時、惣目付(後の大目付)で、大名の取り締まりにあたっていた柳生宗矩は窮地に立たされます。
そして、その後、日をおかずに病死していることから、柳生宗矩が息子の左門を暗殺させたと言う説があります。そして、その撃手が、十兵衛三厳だと・・・。
そして、その同母弟の義仙には剣を伝授せず、出家させて烈堂と号させ、柳生家菩提寺として建立した「芳徳禅寺」の住持として一生をおくらせました。おしまい。
と言うことで、子連れ狼の烈堂とは似ても似つかない方だったようです。
しかし、その反面、左門は兄十兵衛が最も恐れたとされるほどの天才だったという伝説もあり、だとすると裂堂もそれなりの天才剣士だったかも・・・そして住持という表向きの顔が裏柳生総帥の隠れ蓑だったと考えた、原作者も大したものですが。
PS・その後、徳川家光は恋しい左門を殺したであろう柳生家を恨み、宗矩が手に入れた大名の地位(1万石以上は大名)を宗矩の死後、十兵衛三厳、又十郎宗冬に分割することで旗本の地位に下げてしまいます。そして幕閣の要職は全て剥奪し、柳生家は後に大名に復しますが、二度と幕閣要職にはつけませんでした。
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