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つぶやきすれっど2

660ガンコ:2003/07/26(土) 19:52

文底読みには無理がある? (後編)

わたくしがどうしても理解できなかった(1,2週間考え続けた記憶がある)部分がどこかというと、申し訳ございません、すみません、ごめんなさい、ゆるしてください、・・・じつは、すっかり忘れてしまったのです。今読み返してみても思い出せない、あれほど考えたのにそれがどの部分だったか思い当たらない。
文底読みにすっかりなじんでしまったものだなあ、というのが今の感想です。

では文底読みをすっかりマスターしたのかといえば、そうではありません。
「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給ふ。」 <ここでいう釈迦仏とは本因妙の釈迦仏、すなわち日蓮大聖人の事>
「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。」 <これは日蓮大聖人を本尊とすべし、という意味である>
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。」 <日蓮大聖人に同意し奉る者は地涌の菩薩であり、久遠元初以来日蓮大聖人の弟子であったことは疑いない>

だいたい顕正会ではこんな風に教わっているのですが、「なんで釈迦仏ないし釈尊が日蓮大聖人なのか、おまえちゃんと説明してみろよ」といわれれば、はっきり言って自信ありません。(とくにこの掲示板では)
なんとも情けない話です。
もっともこれはわたくしだけの話ではなく、おそらくは今の大半の顕正会員がそうなのでありましょう。

文底読みというのは名人芸のようなもので、そう簡単にはマネのできるものではない。そして顕正会員は名人芸の継承者ではなく、単なるお客さんになってしまっている。わたくしをふくめて顕正会員はこのことに気づかなければならない。このような感慨に至っています。

そして顕正会員はもっと御法門を学ばなければならない。学ぶということは自分の脳みそで考えるということです。


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