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つぶやきすれっど2
629
:
無徳
:2003/06/02(月) 21:11
皆さん今晩は:
みかんさんの意見は、仏教(宗教)を信ずると言う人間にとっての本質的な課題を
理解する上で大変重要な問題提起と言えると思います。
ただ、仏教が人間にとって何を提起し何をもたらすかという、価値観を前提にする
場合は学問的(客観分析)な研究方法で果たして何処まで解明が可能なのであろう
かと言うラジカルな疑問を持ちますが、仏教をひとつの真理観として理解する場合
には、やはり科学的方法や解釈との整合性は避けて通れないとも思います。
もちろん、パラダイムの違いを無視して短絡的に非科学的であるから仏教は間違っ
ていると言った批判や、逆に科学的真理と仏教をダイレクトに結びつけて仏教思想
の正当性を主張するような理解に組する者ではありませんが、科学的真理観を全く
無視したような仏教理解にも否定的にならざるを得ません。
たとえば、一神教的世界観の上に立つとされるキリスト教的真理観を、学問的方法
で何処まで解明できるのでしょう。いわゆる”天地創造”を”ビックバン”と結び
つけて理解しようとする人すらいるようですが、私にはこじ付けとしか思えません。
しかし、バチカンでは年に一度は世界的な科学者を招聘して、現代科学の到達点と
キリスト教的真理観とのすりあわせを行っていると聞いたことがあります。(本当
か嘘かは知りません)
もしも、一神教としてのキリスト教が全ての原因を神に還元して理解しようとする
考え方が、現代科学における全ての現象を要素還元論的に理解しようとする考え方
とパラレルであるとするならば、現代科学はキリスト教の“落とし子”とすら言え
るのかも知れません。
しかし、仏教ではあらゆる現象をキリスト教のように“神”という不変であり絶対
的な存在に原因を求めることをせず、“縁起”や“空”と言う概念に代表される相互
依存的関係性に全ての原因を見るわけですが、やはり仏教も宗教であるとするなら
信仰者としては何らかの絶対的存在なり不変不滅の“法”や“本尊”のようなもの
を求めざるを得ないと言う、アンビバレントな心的有り方を否定することもまた困
難と言えましょう。
そのことが日蓮仏法を奉ずる人間にとってはインド応誕の釈尊でなく、世界の辺境
の地ともされる日本の安房に生を受けた日蓮御坊を本仏と仰ぎ信ずる所以とも考え
る者です。そして、そのことが松本佐一郎氏をして『富士門徒の沿革と教義』の中
で、日蓮仏法を信じる富士門徒は一神教的であるとも言わせたもかもしれません。
ちょっと論点がずれたかも知れませんが、日頃考えていたことを述べてみました。
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