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つぶやきすれっど2
590
:
いちりん
:2003/03/23(日) 22:56
問答迷人さん
>>さらには、あらゆる宗教は、そういうことなんでしょう。大いなる神さまとか仏さまとか、○○さまにおまかせして生きると。
>歴史上の釈尊は、「自灯明」と説いたわけですから、「○○さまにおまかせして生きる」というのは、一見、歴史上の釈尊の教えとは、対局の生き方を指し示しているように見えますね。なぜ、このような乖離が生じているのでしょう。
わたしは、あらゆる宗教が、、ということで「おまかせ」と書きました。
でもって、じつは仏教は、本来は(つまりゴータマ・ブッダの教えは)、あらゆる宗教の「おまかせ」的なものとは、根本的に違うんじゃないかと思います。
「他力」的なところ、「依存するところ」「信仰するところ」……そういうものは、ブッダにおいては、なかったのではないかと思います。
そうして、大乗仏教は、「他力」的なところ、「依存するところ」「信仰するところ」があるわけですから、ブッダの教えとは、ずいぶんと異なるあり方じゃないかと思います。
原始仏教を実践してるテーラヴァーダの人たちからしたら、大乗仏教のもつ信仰のあり方は、これはもう随分と違うんじゃないでしょうかね。
まあ、ある意味で、大乗仏教のあり方は「信仰」、原始仏教のあり方は「気づき」(アウェアネス、マインドフルネス)と、わたしは思っています。
>或いは、表面は乖離しているように見えるけれど、それは、見た目だけで、実際には、南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も、いずれも歴史上の釈尊の教えに基づいていることになるのでしょうか?
源泉は、お釈迦さまなんでしょうね。
お釈迦さまは、比丘たちに対する教えと、在家に対する教えでは、いくぶん、違うのだと思いますから。みんながみんな出家しなさい、解脱しなさいとは、説かなかったんじゃないでしょうか。
ちゃんとした生活をして、いいことをして、来世は天に生まれるよ、というような教えもありますよね(生天論)。あるいは、「六方礼経」のように、六方を父や、母や、先輩や……として、拝みなさいというような教えもありますし。
だから、在家向けの教えが種になって、それが土深く埋められていて、やがて数百年して、芽が出た。それが大乗仏教なのかなあとも思いますし。
しかしまあ、密教ともなると、これはもうバラモン教みたいですよね。まるで。仏教が10%、ヒンドゥーが90%。
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