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つぶやきすれっど2
587
:
問答迷人
:2003/03/23(日) 17:01
一字三礼さん
>「南無妙法蓮華経」の文字の意味は、「妙法蓮華経」に「南無」する、帰命するという意味です。ここで「南無」するという行為の主体はだれになるのでしょうか。
一字三礼さんのお考えに異を唱えるものではありませんが、この件に関しては、僕は少し違ったニュアンスで捉えていますので、少し披露させていただきたいと存じます。
ごく単純に考えますと、歴史的事実として、日蓮聖人自体が、南無妙法蓮華経と口唱され、さらに、同じく南無妙法蓮華経と口唱するように人々に勧めたわけですから、その場合は、当然、その行為の主体は、日蓮聖人及び、弟子檀那と言うことになります。この段階では、日蓮聖人と弟子檀那とは、横並びであり、対面関係ではありません。曼陀羅の図顕においても、この横並びの関係は引き継がれていると考えるのが、ごく自然ではないでしょうか。つまり、曼陀羅は、「日蓮聖人の己心中所行法門をそのまま、弟子檀那に対して説示したもの」であり、その曼陀羅説示によって、初めて、弟子檀那が正しく日蓮聖人の修行をそのまま引き継ぐ事が可能となったのだと思います。
つまり、首題、及び諸尊に南無を冠したのは、根本的には、『日蓮聖人の、諸尊に対する帰命の意思表現』であり、曼陀羅図顕に当たって、「日蓮と同じく諸尊に帰命すべし」と弟子・檀那に説示されたものだと思うのです。
まぁ、「なんだ、そう大差ないではないか」と言うこととになるかも知れませんが・・・
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