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つぶやきすれっど2
579
:
一字三礼
:2003/03/21(金) 21:07
問答迷人さん:
本当にお久しぶりです。
>>この首題を含め、「南無」を冠した諸尊とは、対面者側の帰命の意思表現である。
>何を根拠として、このように判断されたのでしょうか。
根拠は「南無」の表現する、意味からです。
細かい宗義見解は横に置いて、「南無妙法蓮華経」の文字の意味は、「妙法蓮華経」に「南無」する、帰命するという意味です。ここで「南無」するという行為の主体はだれになるのでしょうか。
この「南無妙法蓮華経」の意味が「妙法蓮華経」が何某かの存在に「南無」する、帰命する、という理解は出来ないと思うのです。
たとえば、2つの表現があるとします。
①南無釈迦牟尼仏(文字)
②合掌印の釈迦牟尼仏像(絵像・木像)
①と②とは、同じ状態を表現していることにはなりません。
①南無釈迦牟尼仏(文字)=釈迦牟尼仏に帰命する
②合掌印の釈迦牟尼仏像(絵像・木像)=釈迦牟尼仏が帰命している
①の場合は、釈迦牟尼仏に帰命しているのは、信仰心を持ってその文字を拝している人と言う事になるでしょう。
②の場合は、釈迦牟尼仏ご自身が、どなたかに帰命している、と言う事になるでしょう。
日蓮聖人の文字曼荼羅は、「文字」の持つ特性によってのみ表現し得るものなのではないでしょうか。
ちなみに私は幼少の頃、なんで曼荼羅の中尊にも「南無」がついているのかが疑問でした。
唱題するこちらが「南無妙法蓮華経」と帰命の意思をいうのだから、帰命を受ける側の本尊は「妙法蓮華経」で良いのではないか、と考えていたのです。
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