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つぶやきすれっど2
578
:
川蝉
:2003/03/21(金) 15:54
576 : 問答迷人 さんへ。
前回は、長文で読みにくい投稿になってしまいました。
『本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙○経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩云々。』(昭定712頁。学会版247頁)
との文に従えば、妙○経は宝塔の中にあるのですから、妙○経と左右の釈迦牟尼仏・多宝仏は宝塔の中身・内容と云えますね。
清水龍山師は「左右」を「脇士」の意味としていますが、
山川智応師の
「大曼荼羅の中尊の南無妙法蓮華経は、名は法であっても体は仏でなければならない。左右の釈迦・多宝は、妙境妙智を表して、八品会上の能説を示し、また五百塵点劫の能覚を示し、中央の南無妙法蓮華経は、所説に約しては、境智冥合の常住の仏果を表し、所覚に約すれば、無始の本覚を示されたもので、ともに本仏釈尊の久遠本有常寂常照の一念三千で、本仏の本体をお挙げになったものである。」
との説明では、「左右」を脇士の意味としてなく、左右の釈迦・多宝、中央の南無妙法蓮華経を一具として、本仏の本体としているようですね。
本尊抄の訓についての、諸学者見解を列挙しましたが、細かい点になると、説明に違いがありますね。
顕本法華宗の井村日咸師は
「曼荼羅が虚空会の儀式を写したものとすると、仏在世の事実から見て、お題目の演題が張り出されて居ったのでは無い、
宝塔の中には釈迦多宝の二仏が並坐されて居っただけで、妙法蓮華経は釈尊の御口から宣示顕説され教説として顕れている説法である。故に音顕であるのを、日蓮聖人は文字としてお書きになったのである。また、諸法実相の理体を中央の南無妙法蓮華経で顕したと云うことで、生仏一如十界互具の理論を曼荼羅の形で示されたと解釈ができる。この両面の意義を兼ね具えて居る所に曼荼羅の特徴がある」(顕本法華宗宗義講習録・104頁)
と講義しています。
虚空会を想像し、中央の題目が音顕の面があると考えれば、大きく書かれたことが、うなずかれます。音顕とは、虚空会にて説かれている(音)末法の要法を顕したもの、との意味のようです。
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