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つぶやきすれっど2

569川蝉:2003/03/17(月) 16:57
本尊抄の訓について。

昭定713頁3行(学会版248頁1行)には「小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為す」(小乗釈尊迦葉阿難為脇士)
とある。この訓と同様に、この文は「此の時地涌千界出現して本門釈尊を脇士と為し」と訓むべきだと言う意見があるが、前文は「小乗の釈尊」が主語となっているから、「迦葉・阿難を」とある目的語が主語(主格)の「脇士と為り」と云う訓になるが、件の文ではは、「地涌千界出現して」は直接の主語ではないので、「小乗釈尊迦葉阿難為脇士」と同例にならない。
正式漢文なら
「地涌千界出現為本門釈尊脇士」と書くべきを、鎌倉時代の時代文で、「本門釈尊為脇士」と書いたものであろうと指摘されている。
昭定713頁9行(学会版248頁9行)に
「於正宗十巻中」(正宗の十巻の中に於いて)と書くべきを「正宗於十巻中」と時代文で書いてある。
昭定713頁11行(学会版248頁10行)にも
「分別功徳品自現在四信」(分別功徳品の現在の四信自り)は、正式漢文では「自分別功徳品現在四信」であるべきだが、時代文で書かれている。
故に、「正式漢文の例に倣って、件の文を訓むべし」とは一概に言い得ないと指摘されている。
先師の意見はというと。
「録内啓蒙」には
【或る義に、釈尊を以て題目の脇士と為る義に見るべし。所以は何となれば、地涌千界が垂迹(日蓮と)出現の時、本尊を建立し給うについて、本門の釈尊を脇士とし、閻浮第一の妙法の本尊を立つる意にして、上の「塔中の妙法蓮華経の左右に(脇士)釈迦多宝」等との文にも叶うべし】
と云う意見に対し
【この義現文に順ずるに似たりと雖も正轍の義に非らるべし。
・・・三には、当書の向の文、並びに諸御書に四大菩薩を脇士とせる格に背くのみならず、四菩薩を脇士とするに非らずんば本門の本尊顕れざるが故に。・・四菩薩の本門釈尊の脇士たる事は上の文に既に顕著なる故に、今、文を省き給うなるべし。
是れ則ち「地涌千界(垂迹)が出現して、地涌を本門釈尊の脇士と為す」と遊ばすべきを、次上の「地涌千界」の言と近くかしましき故に、巧みに上の「地涌千界」の言を下に及ぼし用いて、下の「地涌」の二字を略し給うなるべし。】(啓蒙19巻73〜74紙))と解説している。

「祖書綱要刪略」には、
【因みに問う。或る説に云はく、「当今下種の時至れり、宜しく本因口唱の人法を用いて以て本尊を定むべし。法は謂はく南無妙法蓮華経なり。人は謂はく大聖人なりと」。便ち之を証するに本尊抄に此時地涌千界出現本門釈尊為脇士と云うを以てす。意の曰く釈尊を以て而も地涌の脇士と為すと。色相荘厳の本尊の如きは則ち是在世脱益の形像にして都て末法に用無し云々。此の説奈何】
との問いを設け、その説に対して
【彼の的拠とする文の如きは、固と地涌出現して釈尊を以て本尊と為し躬自ら脇士と為ることを明かす。即ち是れ一尊四士の立意なり。・・・
上の文に云はく「地涌千界は己心の釈尊の眷属なり。例せば大公周公等は周武の臣下、成王幼稚の眷属。武内大臣は神功皇后の棟梁、仁徳王子の臣下なるが如し」已上。この文、周武神后を釈尊に擬し、成王・仁徳を下種の機に比し、周公等を以て地涌に類するなり。それ臣は宜しく以て君を補佐す、君は能く臣をして左右せしむ。人臣還って君主をして眷属と為らしむる者は未だ之有らざるなり。総結の文また準知すべし。
而るを曲げて為の字を訓じて恣いままに倒解を作し、自ら古本を見ず、前後の文を検せざるの愚盲を訴う。一と何ぞ暗短なる】(刪略巻之七・三十紙)
と説いている。(続く)


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