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つぶやきすれっど2

550顕正居士:2003/03/02(日) 22:40
>日蓮聖人の教えは、本仏との一体化を説き、曼陀羅を信仰の中心に置いた形から
>も、密教そのものということになると思いますが、この点は如何お考えでしょうか。

日蓮は密教そのものを批判していません。批判するのは善無畏、一行、空海、円珍、
円仁です。日蓮の筆写がある覚鑁の『五輪九字明秘密釋』は顕密教判を主張する。
http://www.infosakyu.ne.jp/~yssimizu/sub2.htm
日蓮が反対に「顕教」の立場から「密教」を批判した文はありません。一行阿闍梨が
一念三千の教義を「盗み」(『大日経義疏』)、空海が密勝顕劣をいい、円珍、円仁は
対して「理同事勝」と防衛したが、「事勝」の分は「密教勝」を認めてしまったのを非難
し、密教の経論には密教を成立させる理論自体はなく、天台学の一念三千がそれだ
という。日蓮は「顕・密」や「聖道・浄土」の経典分類を認めず「五時八教」のみ認めた。
だから「顕・密」判、「聖・浄」判の教義を否定するために阿弥陀仏、大日如来の信仰に
反対したともいえる。

最澄は「顕密に優劣はないとおもう」(空海への書簡)と云ったから、「理同」は祖意に
かなう。しかし日蓮の説もいちがいに祖意に反しない。「理劣事勝」はあらゆる経論に
該当し得る。だが日蓮は事相を密教で建立したから、密教の事相を特別に評価した
のは間違いない。「(いくらか)理劣+(すぐれて)事勝」のゆえ、顕密に優劣なしなら、
祖意にかなうからである。彼の「一念三千」は「事の一念三千」である。凡夫が観見し
あたう範囲である。「末法二來入シ始メテ此ノ佛像出現セシム可キ歟」(『本尊抄』)
とは、東大寺のビルシャナ仏のような規模をイメージしたのだとおもう。


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