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つぶやきすれっど2

419アネモネ:2003/01/21(火) 20:38
(つづき)

>成仏できると信じています。

お気持ちはわかりますが、しかし「信じている」では人の人生に対して責任を持っているとはいえないですね。感情論に逃げているだけです。
「宗教とはそんなものだよ」と納得してその先は一切考えない。証明できない真理もあるからと納得してその先は一切考えない。この一切考えないというところが、今里さんのいう「信心」ということになっているわけですね。ところが、かつて、みかんさんと独歩さんが仏教における「信」について、貴重なことを記している箇所がありました。そこでは仏教の「信」とは、私たちが今日当たり前に思っている「信」とは、かなり違っているものかもしれないということが示唆されていたかと思われます。
成仏を求めて「信じている」を通そうと思うならば、まずは仏教における「信」とは何かという問題を自分に問い掛けてみられることも大事ではないでしょうか。わかっているつもりのことが、実は全然わかっていなかったということ、よくあることです

>これは「必ず文証を示す」という、この板のローカルルールのようなものを破った、という事ですか?

いいえ、私はそのようなルールで意見を挟んでいるのではありません。自由に発言なさるのは構わないと思っています。しかし私は、自分の持つ問題意識において、そこに記されている内容に問題ありと判断したら、レスとして意見を挟ませて頂きます。そして今里さんの考え方、そして私の考え方がたとえ平行線であっても、その違いにおいてどちらがどうかということは、個々のロムされている方々のの内心の自由なご判断にお任せするところです。

>僕は大聖人様の御真筆だけを文上のままで読んでいけば独歩さんのような結論に成らざるを得ないだろうという事は解っていたので、
「御真筆のみで大聖人様が本仏か否かを判断しようとする考え方自体が不正だ」という事を言いたかったのです。

結局今里さんは、目先の議論の展開のみに囚われたところで、レスを繰り返してきたということでしょう。つまり大局的にものごとを捉えておられなかったのだと思います。
今里さんは、まず結論ありきで自らを縛り、そのことだけのために、突っ込みを避けたり、質問を交わしたり、罠を仕掛けたり、言い訳をしたりとしてきたといえるのではないでしょうか。しかしそれでは、議論は堂々巡りになるばかりでした。
考えてもみて下さい。この場で大事なことは、真実は何であるかの探求だと思います。証明されない結論は、この場では真実の結論だとはみなされないわけです。つまり、今里さんの信じている動かし難い結論が、必ずしも日蓮聖人の真の教えであるとは言い切れないということです。そのことをどのように自分の中に受け入れるかは、それは個々の自由です。感情的にそれでも信じると受け止める人もいるでしょう。しかし、議論の場にその思いを持ち出されても、いつまでも堂々巡りする不毛な議論になるだけなのです。
「信じている」は感情論だということ、そこをまず認識して、感情論に逃げないところで議論をして頂きたいと思います。感情論に入ると、真実が見えてこない場合が多いということ、おわかりいただきたいと思います。
しかし、内心において感情的に信じつづけるということ、これは自由なんです。そのことまでは私は立ち入らないつもりです。


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