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つぶやきすれっど2

418アネモネ:2003/01/21(火) 20:37
(つづき)

>つまり「木製の物質」である所の戒壇の大御本尊様という「色」を離れて、大聖人様の「心」はないのです。

この一文はとても理解できないのです。あの戒壇の大御本尊様と称している板曼荼羅を離れて、大聖人の心はないということでしょうか。そう指導されているとしても、私はそれをそのまま信じませんし、疑問に思うところでもあります。あの板曼荼羅に固執して離れない多くの人たちの人としての振る舞いそのものが、真偽を証明しているようなものだという見方だつて出来ようかと思われます。
しかし、この板曼荼羅については、菊水護国さんが記されている

383>当宗は本来、器物・物質信仰ではありません。その根本に有る法を拝しているのです。

こういうことであるならば、私も受け入ることは出来るでしょう。
しかし、あの板曼荼羅でなければならないという日蓮正宗の教義に関しては、それが本当に日蓮の意図したところなのかどうか、疑問を抱いています。


>僕は自分が地獄に落ちることはないと確信を持っています。

この点については、個人的な信仰観でしょうから、私の意見はこれ以上は挟まないことにします。

>それでは宗教って、どういうものなのですか?

私の宗教との関わりは、小学校2年生のときからですから、人生の大半の時間の流れの中に、信仰があったわけですね。オフ会でもお話した通り、キリスト教でしたから、今里さんから言えば外道の信仰です。しかし、絶対を理屈抜きで信じるという行為は、どちらも同じでした。だからこそ今里さんは、「宗教とはそんなもんでしょう」という言葉も出たものでしょう。しかしこの発言、日蓮正宗だけが正しいと言いながら、宗教とはそんなものだと、外道となんら変らないことを認めていることにもなりはしないでしょうか。この時点で今里さんは、潜在的には日蓮正宗といえども、結局は外道と同じだと思っていることになるかといえます。
まあ、それはそれとしても、ともかく私は、その当たり前に思ってきた「宗教とは」というそのあり方が、果たしてそれが本当にそうなのかということを、掲示板に参加した頃から考え続けてきています。
考えているところですので、こういうものですというお答えはできません。

宗教は支配者によって、常に利用されてきた歴史の側面もありますね。そのことが本当の教祖の教えを捻じ曲げられ違ったものになって今日に伝えられてきている側面があるわけです。日蓮正宗は750年間正しく教義を伝えてきたということからして、疑わしいわけです。だからこそ教祖の真の教えとは何だっただろうかという探求が、いま求められることであり、その探求の先にようやく、宗教とは、また仏教とは、ということが言えるのではないでしょうか。


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