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つぶやきすれっど2
417
:
アネモネ
:2003/01/21(火) 20:37
今里さん
>戒壇の大御本尊様は、大聖人様が滅後の衆生の為に御自身の御身代りとして残されたもので、自受用報身如来の御當體として大聖人様そのものと拝することは日蓮正宗のお約束です。
もはや私には、日蓮正宗のお約束だから、それが正しいんだと信じることはできないところに来ています。そういう思考が組織の論理であり、そのような論理や思考が、果たして本当に教祖の示す教えだったのだろうか、というのがこの掲示板で長く考えてきたところであると思うんですね。
このことはおわかり頂けるでしょうか。
また、何度も書いていることですが、絶対に日蓮正宗は正しいとアナウンスを受け指導されながら、実際にその組織の中で活動をしている人たちの姿に目を向けると、僧俗ともに仏教徒とは思えない心無い姿ばかりがどうしても目につきます。今里さんはお感じになられたことはないでしょうか。私は、そのことが掲示板に参加するキッカケとなり、また私の大きな問題意識でもあるのです。それは日蓮正宗に限らず、現代宗教が抱える最大の問題ではないだろうかとさえ思い、自分に問い掛けてきました。それは同時に、社会問題でもあるとも思うからです。
そしてそのことを、私が意識するよりももっと前から意識を持って取り組まれ、しかも、ただ思索にふけるだけではなくて、体系的に文献を深く研鑚されてこられた方々が、この掲示板に貴重な内容を記して下さってきているわけです。
これまでの掲示板の流れの中で、日蓮正宗のお約束として教えられてきたことが、長い歴史の中、解釈や他門の流儀なども加えられながら、教団の都合でかなり変遷し教祖の教えからおよそかけ離れたものとして、今日に伝えられてきている可能性もあるということがわかってきたわけです。
またその変遷の内実こそ、私が問い掛けてきた組織の論理そのものだったのではないかということにも気づかされます。
つまり日蓮正宗の歴史をひもとくことは、即現代宗教の抱える問題にも通じることだったともいえるわけです。
しかし、そんなはずはないという思いで信じ続ける人もいるでしょう。でも私はその道は選びません。感情的に信じたいという思いに固執して、立証されてわかってきたことに目を背けることは止めました。なぜならば、信じるべきものが教えられていることとは違っているかもしれないからです。そのことを、重大に受け止めようと思いました。もちろん間違っていないかもしれない。その可能性も残っていますが、それだけでは私はもはや絶対に信じるという気にはなれないですし、当然、そのわずかな可能性に賭けて、これが成仏の道だと断定して人に語ったりはしません。「信じている」という感情論でもって、人の大事な人生を左右することはしたくないと思っているからです。
組織の中では、お約束が絶対ということで通ることでしょう。しかし、この掲示板ではその言葉だけでは何の意味も力も持たないわけです。その言葉に納得させるだけの力を持たせたいならば、なぜそれが絶対と言い切れることなのかの根拠を示さなければならないという、非常に厳格なところにまで議論はきているわけです。
もちろん、これは掲示板で明文化されているルールなどではありません。今里さん流に自由に書いてかまわないのです。しかし、証明できないことを断定する表現で記された場合は、どうしても突っ込みが入ってしまうのは避けられません。突っ込みを回避しようとつぶやきスレッドに書いても、それを黙って見過ごすわけにはいかない人はたくさんいると思われます。
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