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つぶやきすれっど2

407犀角独歩:2003/01/21(火) 13:21

○「日蓮本仏」の初出

日蓮本仏論を初めて述べるのも、実は石山ではありません。
文献では『五人所破抄見聞』であるというのが一致した意見です。
ここに

「不軽ト日蓮トハ本仏也。威音王仏と釈迦仏とは三十二相八十種好の無常の仏陀、不軽と上行とは唯名字初信の常住の本仏也」(富要4-1)

とあります。

著述は妙蓮寺5代眼師の著述と言われてきましたが、現在、これを直ちに鵜呑みにする学者はおりませんでしょう。著述年代は富要の文末で見る限り、

「伝写本云
 康暦二庚申年六月四日書畢
 本化末弟日眼在御判」

とあるので、西暦にして、1379年の書と見られると思いしや、この点は実に疑わしい。その理由はまず「康暦二」という年はなく、「天授三」とすべきであるけれど、この年は「庚申」ではなく「己未」です。また、伝写本で、真筆を見ません。

しかしながら、『五人所破抄見聞』というこの書は、誰が一体、いつ記したものかは日蓮本仏義発生の大きな鍵を握っているのは事実であろうかと思います。

なお、伝眼師述のこの書においても、いわゆる人法一個は論じられず、漫荼羅についても独自の見解を示しています。すなわち、

「本仏ヲ貴ム人ハ本国土妙の大曼荼羅ヲ信仰シ奉ル也」

と言います。いわば、本因の菩薩行・日蓮、本国土妙・漫荼羅を以て本箇妙、仏果を合論して得るという伏線があるようにも受け取れます。

いずれにしても、ここに「妙蓮寺・日限」の名を残す以上、この思想系譜を同寺に見ることはさほど蛮勇とは思えません。

となれば、日蓮本仏義は妙蓮寺に緒を見、人法一個は保田妙本寺、そして、一大秘法開合六秘の人法本尊の展開は寛師に、徐々に前説を当宗、批正しながら形成されていったのでしょう。もちろん、これは雑駁な記述であって、実際はさらに詳細な事情がありますが、大まかに言えば、そのように概観できます。

日蓮本仏義は、少しも石山のオリジナルではなく、また、他山に見られる故に唯授一人の相伝でもないことは、しかし、概観できようかと思います。


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