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つぶやきすれっど2
402
:
今里祐二
:2003/01/20(月) 21:39
独歩さん
>「御真筆のみで大聖人様が本仏か否かを判断しようとする考え方自体が不正」ならば、何によって判断すれば、不正ではないというわけですか。
僕のような信徒の立場からすれば「御相伝」という事になるのですが、大石寺自体に「御相伝」と呼べるべきものがないそうですし…
日有上人の頃からそのような考えが現れたとするなら、日有上人が「大聖人様が本仏だ」と悟られたという事になります。そして日寛上人の代で教義としてほぼ完成したのでしょうね。
仏様の悟りとまではいかなくても、信徒としての分々の悟りはあると思いますし、そういうものの積み重ねが「日蓮本仏論」ではないかと思っています。
その考えが正しいか間違いかは、客観的に判断できるものではなく、正しいと思える人は信じ、そう思えない人は信じない、という事になるかと思います。
>戒壇之漫荼羅が日蓮が遺したものであるというのに対して、弘安2年(1279)から存在していた証拠を示せばよいと言っていることのどこが不正なのでしょうか。当たり前の判断基準でしょう。
これは独歩さんの仰るとおりだと思います。証拠があれば皆が安心できます。でも証拠は無い…。
証拠が無いから偽者だ、と言う事も出来ないわけで、これも、正しいと思える人は信じ、そう思えない人は信じない、という事になるかと思います。
だた、これは僕の考えなのですが、「戒壇の大御本尊」を否定してしまったら、もう後は「日蓮仏法の混乱」という事態しか待っていないと思います。「戒壇の大御本尊」の代わりになるものを出せる人は誰もいないのですから。
ですので、僕は「信じるしかない」という立場に立っています。
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