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つぶやきすれっど2
399
:
エド
:2003/01/20(月) 21:12
独歩さん
>ここで議論されていることであれば、日蓮の真跡か否か、日蓮が実際に説いた教義であるかどうか
>という証明に基づく限定を設定して、日蓮本仏論については考えるべきだということです。
その教義が日蓮の真跡か否か、日蓮の実際に説いた教義であるかどうかを証明できるのか否か、それを
精査検証されているという意味ですね。するとそれは文献学的な証明の範疇で、日蓮の教義(おしえ)
そのものが証明できるか否かという問題とは異なる、ということになりましょう。了解いたしました。
>「証明できないことを、さも証明できることとして論じる」あるいは「証明できないことをいいことに、
>それを逆手にとって真>理のように語っている」のがカルト理論であるという意味です。
ハッサン述べるところの「カルトは証明できない教義によって成り立っている」という“教義”(doctrine)
は、いわゆる教義(教え)の内容に対しての言及であり、限定された条件による史学的ないし文献学的論証
に限られたことではないと考えます。
極論ですが、独歩さんの言葉を借りるならば、世にあまたある宗教の教義はすべて「証明できないことを、
さも証明できることとして論じ」「証明できないことをいいことに、それを逆手にとって真理のように
語っている」と言えるのではないかと。その是非、その意図的であるかどうかは別として。
そこで独歩さんの見解をお聞きしてみたかったわけです。独歩さんを決して批判するつもりではありません。
宗教の教義は科学のように合理的論証によって証明されるものではなく、信者も、教義そのものに証明を
求めてはいない、というのが現実ではないでしょうか。そこにカルト付け入るる隙もあるのでしょう。
現在、カルトに対しては世界共通認識としての定義が定まっておらず、ハッサンのカルト定義をそのまま
鵜呑みにし、文節を取り出してそれにあて嵌めることにのみ熱心である傾向を随所で見かけているのですが、
それに少々抵抗を感じておりました。それで、先のぶしつけな質問になった次第です。
独歩さん、飛び入りトピずれにお相手して頂きましてありがとうございました。
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