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つぶやきすれっど2
390
:
犀角独歩
:2003/01/20(月) 16:45
つぶやきです。
「来入末法始此仏像令出現歟」の文の後には「本門壽量品本尊竝四大菩薩」の文が来るわけですから、本尊を漫荼羅とすると漫荼羅の横とは別として、さらに四大菩薩を置くという配置になります。しかし、本門壽量品本尊を寿量仏・教主釈尊仏像と見做せば、いわゆる一尊四士の奉安となります。この場合、やはり、本門壽量品本尊を仏像と見做すほうが自然であると私には感じられます。
一つの可能性として、よく言われることですが、本尊=教主釈尊=妙法蓮華経ということは、もちろん、考えられます。しかし、この説明は「仏像」の説明には少しもなっていないように思えます。
では、「為体」と示されるところは何事かとなります。
「宝塔居空塔中妙法蓮華経左右釈迦牟尼仏多宝仏釈尊脇士上行等四菩薩文殊弥勒等四菩薩眷属居末座迹化・他方大小諸菩薩万民処大地如見雲閣月卿十方諸仏処大地上表迹仏迹土故也」の「釈尊脇士上行等四菩薩」を、先より取り沙汰している「地涌千界出現本門釈尊為脇士」の石山読み「本門の釈尊の脇士と為し」と対校して読めば、「釈尊は上行等四菩薩の脇士」とせざるを得なくなります。しかし、もちろん、釈尊の脇士=上行等四菩薩であることは「本門壽量品本尊竝四大菩薩」の文との整合性からも明らかなように思います。
この文を読んで着目するのは「塔中」の二文字です。前文の「宝塔」を受けているのでしょうから、塔中とは「宝塔の中」の意であることは疑う余地はありません。この「中」はどこまでの範囲を言うのでしょうか。宝塔品の文で勘えれば、涌出の宝塔の中には元より多宝如来が在り、そこに釈迦牟尼仏が並座するとなります。そして、神力をもって衆をして虚空の上げるというわけです。「塔中妙法蓮華経」の文を取り敢えず依用すれば、宝塔の中には妙法蓮華経の五字が掛かりそこに多宝如来が元より在り、次いで釈迦牟尼仏が並座したということになります。その他の衆は虚空にあり、他方迹仏は大地からこれを仰ぎ見ているという記述です。
文字で書かれているので、宝塔が漫荼羅には書き込まれていないけれど、宝塔品の記述に従えば、塔中には他方如来と釈迦牟尼仏しか在らず、さらに本尊抄の記述を足せば、その塔中に妙法蓮華経の五字もありということになるのでしょうか。
ところでこの塔とは、他方如来の為の宝塔であるという点があまり取り沙汰されていないように私は思います。『開目抄』でも、この点は明瞭に「多宝如来、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じ」とあり、この塔は多宝如来塔であることは、はっきりしています。
もし、日蓮漫荼羅がこの宝塔を図したものであるというのであれば、多宝如来塔を図したというに異ならないことになるわけです。ここでこの宝塔=漫荼羅が末法の為の本尊であるというのであれば、それは取りも直さず、多宝如来塔信仰確立になってしまわないのかという疑問が私にはあります。
以上はあくまでつぶやきですが。
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