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つぶやきすれっど2
389
:
犀角独歩
:2003/01/20(月) 14:40
みかんさん:
もう1点、ご意見をお聞かせいただきたいのです。
『本尊抄』の「其本尊為体本師娑婆上」の文につき、この本尊に掛かるのは、その前文「但召地涌千界説八品付嘱之」にということになります。それで、ここでいう「之」はさらに前文の「本門肝心於南無妙法蓮華経五字」です。となると、本尊は南無妙法蓮華経と見えます。たしかにここまで読むと本尊は「南無妙法蓮華経」であると思えます。
ここで目を引くのは「本師」の二字です。「其本尊」は「本師娑婆上」というわけです。さらに前を見れば、「我等己心釈尊五百塵點乃至所顕三身無始古仏」であり、その仏は寿量説法の次第の如く娑婆にあって「仏既過去不滅未来不生」であるというわけです。その仏が本師であるとなりましょうか。
私にはここの文「其本尊」に始まる部分の結論は「来入末法始此仏像令出現歟」にこそあるのではないのかと思うわけです。
前文ばかり読めば、言われるところの本尊は字像を漫荼羅として座配、図示すれば事足りるように思えます。けれど、ここには確かに「仏像」の二文字があります。
「南無妙法蓮華経」が「仏像」かといえば、これは苦しい。つまり、この仏像とは本師・本尊の仏像という意味にならないでしょうか。そうなると、本尊とは図示漫荼羅というより、寿量仏、『報恩抄』にいう「本門の教主釈尊を本尊」であり、その仏像ということにならないのかと私には思えるわけです。
ここで「其本尊為体本師娑婆上宝塔居空」の件は本尊を南無妙法蓮華経としてしまうと、本尊・本師・宝塔ともに南無妙法蓮華経となってしまいます。そうなると「仏像」の二文字の意味がまったく取れなくなります。
この点を、みかんさんは、どのようにお考えになりますか。
ご賢察をお聞かせいただければ有り難く存じます。
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