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つぶやきすれっど2
387
:
犀角独歩
:2003/01/20(月) 13:36
みかんさん:
有り難うございます。
実は私自身、自然な訓読としては石山読みであると個人的には思っています。
しかし、日蓮は先に挙げたとおり『報恩抄』において三つの法門中、本門本尊を「本門の教主釈尊」と定義しています。題目の(南無)妙法蓮華経、つまり、漫荼羅中尊に等しい言については「日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし」であるといいます。(蛇足ですが、本門戒壇については何ら説明もありません)
故に自然な訓読と思える「本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊」では『報恩抄』にいう“本門本尊・教主釈尊が脇士にもなる”不都合が生じてしまうと思えるわけです。実際、『報恩抄』では「上行等の四菩薩脇士となるべし」と明確に脇士についても定義されています。そのことから見れば、「本門の釈尊を脇士と為(な)す」では脇士の定義が異なるという不都合も生じることになります。
これはけっして、みかんさんを批判してなどと言うことではなく、一つの難問を、ここに考えてみる試論と言うことで、ぜひ『報恩抄』との整合性のご賢察をお聞かせいただきたいと願うものです。
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