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つぶやきすれっど2

353みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/01/18(土) 14:37
>>352 今里さん

> これは「お互い様」という気がしますが(^^)


>>301 を参照。
301 名前: みかん(z8VoUpnM) 投稿日: 2003/01/14(火) 23:23

>今里さん こんばんは
大変ですね。
あのですね、すぐに返事を付けるようですが、おそらく、今里さんは他の発言者がどういう意味を込めて言葉を使っているかよく分からずに、返事をしているように見えます。
それはなぜかというと、元信仰者には信仰者がどういう気持ちであるかはよく分かります。しかし、信仰者には、無信仰者や元信仰者がどういう気持ちであり、どういう意図で言語を使用しているかがさっぱり分からないからです。
なぜならば、元信仰者には信仰者の使用する言語のルールが分かるが、信仰者には元信仰者の使用する言語のルールが分からないからです。
という訳なので、相手がどういう意図で言語を使用しているか自分なりに了解がつくまで、時間をかけて返事をする癖を付けた方が良いです。
(後略)




> 「御本尊様は有り難い!」と、心の底から思える事、これが「智慧の眼の一分が開いている」という事です

そんなことは、盲信の人でも思います。なぜ絶対の確信だと言えますか。わたしだってかつてはそう思っていましたよ。

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&amp;KEY=1029381997&amp;START=639&amp;END=639&amp;NOFIRST=TRUE
639 名前: みかん(z8VoUpnM) 投稿日: 2003/01/13(月) 01:12

 具体的に説明します。

 我(アートマン)という概念自体が日本にはないので、わかりにくいのです。我とは、あるものがあるものであることの確実な根拠あり固定的な性質です。それが確実にあり、しかも過去から未来まで永遠にあるというのが、我の思想です。
(略)
 もう一つ例を出します。日顕書写の本尊は破門前は創価学会員にも、尊いものに見えた。ところが、破門後は忌み嫌われるようになり、尊いものに見えない。。
 逆に、日寛書写の本尊は、創価学会員には尊いものに見える。ところが、法華講の人にはコピー本尊として尊いものに見えない。
 ところが、信仰心のない人には、ただの掛け軸に見えるでしょう。
 さらに、シロアリやシミにとっては餌でしかないかもしれません。
 そのように、見る立場、見る視点、見る時期によって、同じものがまったく違うように見える。本尊それ自体には、尊いという実体はない。それが無我(アナートマン)ということです。


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