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つぶやきすれっど2
313
:
アネモネ
:2003/01/15(水) 09:21
(つづき)
305>しかし、過ぎたる疑いは何も生まず、かえって害になるのではないでしょうか?
逆も真で、過ぎたる信は何も生まず、かえって害になるものではないかと思いますね。掲示板でみかんさんと独歩さんが、「信」について幾度となく書き記して下さっているわけですが、お釈迦様の教えをもとに発生した仏教が説くところの本来の「信」と、今里さんが思っている「信」とは違うものかもしれないということにも、問題意識を持ってほしいと思います。
>独歩さんの教学研鑽の行き着く果ては「釈尊とは本当に、覚者・仏だったのだろうか?」という答えを見出すことの出来ない問いだと思います。
答えを見出せるかどうかはともかくとして、そういう疑問を持つことは、宗教を求め広める信仰者の社会的責任のうえで、非常に重要なことだと思います。
ごく当たり前のように、「神や仏」と、お釈迦様を神格化したものとして今日に伝えられ、教えられ、それが当然のことのように私たちは身についているわけですが、実はその固定観念こそ、後世につくられたものかもしれないわけですね。
いちりんさんや独歩さんがよく書かれていましたが、お釈迦様だって私たちと同じ人間だったんだということ、当然、日蓮も同じで、そのうえで仏に成るとはどういうことを意味するのか、そこを考え抜くことこそ、本当の「信」に通じていくものではないかと思います。
歴代の方々の言葉に依存するうえで「信」を訴えるだけで、それ以外のことを考えることを害だと言い切る。
それが宗教のカルト的な思考であり、それが人々を不幸に導いているという社会的側面にも目を向けてほしいです。それが宗教を広めようとする人の最低限の責任でしょう。
今里さんの主張は、オウムとなんら変らないということに気がついてほしいです。
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