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つぶやきすれっど2

298今里祐二:2003/01/14(火) 15:17
独歩さんへ

>日蓮の言でお答えください。

僕が、自分の手帳や友人への手紙に「実は僕こそ、末法の本仏なんだ」という言葉を書いたとします。
独歩さんはその言葉をもって、僕が「末法の本仏」であると認めますか?当然、認めませんよね。

このような場合、言葉など無意味です。

大聖人様にとっても、このことは同じです。
大聖人様が「自分が末法の本仏である」という言葉を残されていたとしても、
そんな言葉は無意味です。何の証拠にもなりません。

であるが故に、経文通りの大難にあわれるという「現証」で示されたのではないですか?
そして僕はその「現証」だけで充分ではないか、と言っているのです。

>この掲示板では過去2年間、それこそ膨大な議論がされてきました。本仏論者も否定論者もそれは真剣に挙証義務を果たしながら、論じ合ってきたのです。
そこにあなたは「説明できない」ことを当然のように本仏論肯定を論じたことです。
これは過去2年間の議論に対する冒涜であり、軽視であると私は受け止めた。

「挙証」とは主に「文証」のことですね。
大聖人様のお考えでは、三証の重み付けは、現証>理証>文証、ですよね。
この掲示板での議論が「文証偏重」に傾いていったため、
「日蓮本仏否定」という誤った結論になっているのだと思います。

功徳の大きさという事で仏の位を計るなら、日蓮本仏で何も問題ありません。

『法蓮抄』
『是れ程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合せ両眼を仏の御顔にあて、頭を低て他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水ををもひ、飢ゑて食を思ふがごとく、間無く供養し奉る功徳よりも、
戯論に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給て候。
これを妙楽大師は福過十号とは書れて候なり。十号と申すは仏の十の御名なり。
十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり。
妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一なり。
已上、上の二つの法門は仏説にては候へども心えられぬ事なり。争か仏を供養し奉るよりも凡夫を供養するがまさるべきや。
而れども是を妄語と云はんとすれば釈迦如来の金言を疑ひ、多宝仏の証明を軽しめ、十方諸仏の舌相をやぶるになりぬべし。
若し爾らば現身に阿鼻地獄に堕つべし。巌石にのぼりてあら馬を走らするが如し。心肝しづかならず。
又信ぜば妙覚の仏にもなりぬべし。如何してか今度法華経に信心をとるべき。
信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるが如し。』


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