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つぶやきすれっど2
283
:
sat
:2003/01/13(月) 06:46
>270 無徳さん(続き):
話が逸脱してしまいますが、エリック・ホッファーが「あらゆる『大衆運動』は、宗教運動にその原型があり、欲求不満に苛まれた人間が、その状態から脱出して、自己存在の不安を救おうとするところにある」と記していたかと思います。同氏は、大衆運動の背景として①潜在的回心、②共同行動、③自己犠牲について論じていますが、創価学会の戦後における運動もこのことと無縁ではないような気がしますし、運動体としてはマスムーブメントとモッブの往還をしなやかに繰り返して巨大化してきたのではないでしょうか。
集団活動の魅力とか、集団所属の魅力が人を惹きよせ、この感情が集団内親和性と相まって顕著になれば、集団を超越的で絶対的な価値とし、それはやがて一体化を目指すことにつながり、自己犠牲や狂信的行動が発現されてきますよね。しかし、学会員の中には、それが組織の延命にとって命取りになることを知っている層もいます。
池田本仏論の蒸し返しとか、創価仏とか創価菩薩みたいな路線に発展させ、財務を中心により独善的・排他的集団となっていくのか・・それとも宗教的権威から世法的権威にターニングした時点から、宗教団体的色彩を脱し、出版事業や教育事業を中心に平和団体、教育団体、文化団体、政治団体的な色彩を強めていくのか・・議論の分かれるところですが、在家集団である以上、ソフトランディングとして、後者の道を選ばざるを得ないのではないでしょうか。
「七つの鐘」とか「正本堂建立」といった具体的かつ明確な組織目標が終了してしまった今、市場原理に基づいた「生き残り戦略」にシフトしたことは否定できない事実であり、国家権力にとって、はなはだ好都合な存在として機能をし始めたような気がします。組織が未完成で急進的かつ過激的な目標を掲げ、外に敵を意識し、上昇志向にあるとき、矛盾など問題ではありませんが、世界平和などという曖昧模糊とした抽象的概念に至っては、到底組織の凝集性を高める集団意思としての目標などになり得ているとは思えません。なり得ているとすれば、それは学会の巨大さであり、財力であり、人的ネットワークであり、そこに身を置くという所属と承認欲求への満足なのかもしれません。
安定飛行に入った段階から、具体的な目標を提示できなくなった巨大集団としての学会は、国家と対立軸にあったわけではなく、国家意思(保守的勢力)の補完作用として機能してきたということであり、違った意味で保守勢力との政教一致路線を展開し、現在も拡大継続しているということになります。宗教政党から国民政党への転換とか、他宗との融和路線の加速化といった事実が正直にそれを物語っているのであり、学会の指針とする「境涯革命五原則(①他人に言ったら愚痴になり、御本尊に訴えれば祈りになる、②世法で苦労すれば苦しみが残る、信心で苦労すれば喜びと福運が残る、③感情をぶつけると怨嫉となる、題目で包容すれば成長できる、④方法ばかり考えると迷いになる、決意して祈ると智慧がわく、⑤出来ないと決めると出来なくなる、やろうと決めて祈ると力がでる)」など、国家権力にとって誠に都合のよい謳い文句以外の何ものでもないような気がします。
かつて差別問題の中心にあった水平社を取り込む形で翼賛運動が完結した歴史を想い、国家権力にとって創価学会が極めて都合のよいガス抜き機能を有し始めたということを考えますと・・もしもそれが大衆の意思だと言うのであれば・・社会への積極関与としての国家諌暁が成就し得ず、身延で晩年を過ごされた日蓮はどのように感ぜられるのでしょうか・・
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