[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
つぶやきすれっど2
282
:
sat
:2003/01/13(月) 06:46
>270 無徳さん:
>現役の創価学会員とのことですが、学会内部においてどんな思いを抱かれておいででしょうか?
私の体内において、無徳さんのご指摘するところの「共同幻想」は崩れつつありますが、学会員の飾り気のない庶民として見せる素顔は大好きですし、この人たちのためならという素朴な気持ちが失せているわけでもありません。なので、上記のご質問に対するシンプルな答えが用意できるかと言いますと、言葉ではなかなか尽くせない複雑なものがあるというのが偽らざる心情です。正直申し上げまして、カオスの真っ只中にあります。
>今の学会は開かれた許容領域が在りますでしょうか?
これまでに色々ありましたが、確かに、あまり居心地がいいとはいえませんね。
>池田大作氏に対する絶対的信奉といった側面は、総本山と袂を分けてからますます強化されたのではありませんでしょうか?
ご存知のように、現在の学会は、①戦後草創期時代の入会世代、②昭和50年代以降のマス路線による入会者、③学会員子弟(二世・三世)に分布が分かれています。その三層構造による世代意識やモチベーションがコンデンスされている点を見誤ると読めない点が多くなります。
昭和54年4月24日の勇退問題は有る意味で内部クーデターでもあったのでしょうが、事実上失敗しましたし、宗創問題により破門されたことは、むしろ池田名誉会長を絶対視するには好都合に働いたことになります。今般の会則変更の淵源はこの辺からあったと思います。
現在は、かつての池田本仏論をそのまま踏襲する形ではありませんが、「池田名誉会長に対する絶対的信奉」は、「強化された」というよりは、「それしか残っていない」といったところではないでしょうか。①専従者(本部職員や外郭団体勤務者)や、②組織風土に違和感を感じている人にとりましては、自らの信仰の正当性とか確信を語ろうとした場合、「池田名誉会長に対する絶対的信奉」に問題を帰着させなければ説明がつかないということでもあろうかと思います。しかし、末端においての日常風景では、外部が思うほど大きな問題として顕在化していませんし、会合でそういった言葉をことさらアジテーショーンする幹部は逆に見かけなくなっています。むしろ、その沈黙の意味するところを考えたほうがいいような気がします。末端の沈黙は異論を挟まずとも、決して是認でも容認でもないと・・
もっとありていに言えば、学会は、池田名誉会長、或いは本部職員を始めとする専従者によってコントロールされているとの見方もあるでしょうが、構成員はもっとしたたかなような気もします。コントロールする側の論理と、される側の論理を人々は有る意味で肌で知っており、是非はともかくとして、そこに集う人々の意思なのだとする(したい)・・その一点で暗黙の了解を得、二極が交差しているような気もします。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板