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つぶやきすれっど2
261
:
sat
:2003/01/11(土) 17:10
無徳さん:
>私が敬愛する吉本隆明氏から教えられました。
確か、吉本隆明氏の「共同幻想論」は「文芸」掲載原稿に加筆して昭和40年代に初版が発行されたものですよね。「共同幻想」という言葉は大変インパクトが強く、安保闘争の中でバイブルともされた書だったと思いますが、マルクスやフロイトから民俗学に至るまで幅広く展開された同書は、当時、私には読んでみて難しく・・よくわからなかったというのが正直なところです。
同氏は、「共同幻想」というものは、個の集合としての幻想が発展的に消失しても「逆立」して自己幻想に対して圧力を保持し続けるものだと指摘していたかと思います・・国家も法も宗教も共同幻想なのだと・・
また、「共同幻想が個人幻想に同調しているように感ぜられるためには、個人幻想に対する共同幻想の先験性が個人幻想の中で信じられていなければならない」という同氏の言葉も大変示唆に富んだものかと思います。
伝統性とか正当性とかは、集団が他集団との接触によって何らかの危機的状況に陥った時に意識され、過去・現在・未来の間の距離を集団心理的に調整し、集団内の共同幻想を安定・延命させるために生み出されてきた方法だと指摘する人がいます。それは、好むと好まざるとに関わらず、他の異質集団と接触することで、所属集団内で自己同一性を良くも悪くも確認するということなのでしょうが、その異質なものとぶつかるという空間的な差異の問題が、伝統性とか正当性といった時間的な差異の問題にすり替えられるということなのかもしれません。
その意味からすれば、伝統性とか正当性とかいったものは、必ずしも実質的な歴史性に裏付けられたものではなく、また実在する具体的な何物かを指すものでもない・・集団の共同幻想を守る働きを果たした時に、それはあたかも歴史的な実体の如くに認知される幻想であるということになるのかもしれませんね。
>仏教理念を根底にしたサンガの形成が結果として欲望の制御を可能にする
この点は大変興味深いところです。もう少し詳しく教えていただけませんでしょうか。
>差異のダイナミックスへと向かう非決定論的視座への転換がリゾームでありとsatさんが言われたことに通じると思いますが如何なものでしょう。
無徳さんの主張される現代的サンガは、①形成する人々が全く自由であること、②自己責任が前提となること、③多数の意見によってサンガの合意事項とすべきこと、④差異は差異として非決定のままで良い・・という点に整理されているかと思いますが、異論はありません。
無徳さんの「所詮人間が意識して出来得る事などたかが知れている」との指摘はその通りだろうと思います。だからこそ逆に、特定の個人に意思を委ね、特定の個人を完全無欠なものに仕立て上げ、誤謬を許さずカリスマ化し、その凝集性を高めようとするのでしょうね。
非決定論的視座とは決定しないということではなく、個人の特定意思とは違うところで決定され(合理的な思考や集団での合議)、その決定はくつがえすことのできないものではなく常に新たな局面で発展系を遂げていくというもので、その流れは全体の中において一見無秩序とみえるもののそうではなく大いなる流れとなっていくといったイメージでしょうか。
変化を求める内面的衝動→開いた対決→再秩序付け、或いは、開いた再生感覚→新しい思想や感情の吸収→より大きな受容性と世界への開放性には場が必要であり、
ある一定の課題が共有された空間あるいは集合内でネットによる回答出しが無徳さんの提唱されるネットによる現代的サンガなのだと・・そう理解させていただければ、
現代的サンガは、成員となった社会以外の別の客観的世界を内在化する過程であり、①他者との高度な情緒的な同一化、②主観的現実と自我の根底的な変化、③現在と過去を断続させ、前後の一貫性を放棄して現実を新たに構成しなおす場になるということでもあるのかもしれませんね。
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