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つぶやきすれっど2
256
:
無徳
:2003/01/11(土) 00:56
Satさん今晩は:
>そうなれば大変素晴らしいことかと思います。西洋哲学一辺倒か
>ら来る限界やほころびが、仏教の有する可能性とか、新しい視点
>を導き出す序章になるということかもしれませんね。当たり前と
>して身につけてしまった既成の概念や思考から抜け出すことは困
>難を極めますが、本掲示板に集う人々によって、その萌芽が見出
>されることを期待しています。
全くその通りですね、
ただ、私が<現に我々が目指すサンガの形成は仏教理念による欲望
の制御と言う課題を果たし得るのではないかと考えています。>と
したのは、決して意識的な形で欲望が制御できると考えたわけでは
ありません。例えば法律や教育さらには倫理や道徳と言った人間の
識知や制度のみでは欲望の制御は叶わないと思います。
仏教理念を根底にしたサンガの形成が結果として欲望の制御を可能
にするのであって、人間は向うからやって来る不可避的な状況に急
かされてのみラジカルな変革が結果として可能になるのであり、所
詮人間が意識して出来得る事などたかが知れていると、私が敬愛す
る吉本隆明氏から教えられました。
>「凝集性」という言葉は集団構成員に対して、集団内に留まるよ
>う働きかける全ての「合成力」を意味する時に使われ、また、凝
>集性を高める条件(魅力)として、①集団内の威信、②集団内で
・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・
>問題とすべきは凝集性に潜む「組織外に敵を作る」こと・・「所属
>外集団」に対して憎しみを抱くこと・・所属集団が完全無欠のユー
>トピアであるために、誤謬を指摘するものに対して非難し抹殺し
>ようとすること・・であろうかと思います。
とのことは、これも吉本隆明氏から学んだことですが、「共同幻想」
と言う、人間にとって非常に厄介な心的作用がもたらす弊害の典型
と言えます。独歩さんとのやり取りでも申し上げましたが、まずは
この厄介至極な「共同幻想」を解体することが肝要ですね、しかし
解体と同時に並行的に再構築を図って行くことこそ大切ではないか
と考えます。
>中心もなく、位階序列もなく、主体と客体の区別もなく、秩序と
>カオスの区別もない多様体、或いは個の全体に対する従属を転倒
>させ、秩序や均衡の発想を脱構築しようとするリゾームには「ゆ
>らぎ」があるのではないでしょうか。
正直に申して私は「ゆらぎ」と言う概念が今一つピンと来ません。
なにか、とても都合のよいタームではありますが、特に宇宙の生成
過程で特異点から「ゆらぎ」が生じてビックバンに繋がったとする
解釈が有るようですが、私には理解が届きません。リゾーム的あり
方が「ゆらぎ」とどの様に関係するかは今後の解明に待ちたいと思
います。
>構造機能主義的世界から、差異のダイナミックスへと向かう非決
>定論的視座への転換がリゾームであり、インターネットの持つ世
>界観が平等性・公開性・自律性といった自立分散型であるとする
>ならば、リゾームとネットワークがコンデンスするような自己組
>織化が起きる可能性は充分考えられることですし、新たな宗教共
>同性の成長過程にも、求心力にも、遠心力にもなっていくかもし
>れないという期待感はあります。
とのことは全くその通りだと思います。
これは私が抱く現代的サンガの在るべき姿を素描したものですが、
まずサンガを形成する人々は全く自由であることが大前提でなけれ
ばなりません。もちろん、仏教理念を背景にして形成されることが
大切な要件では有りますが、決して仏教理念を強制するものではあ
りません。
ただし、当然ながら全っき自由であることは全てに亘って自己責任
が生じます。誰彼に強制はされませんが全てに対して自己決定しな
ければ自己変革も社会変革にもなりえません。向こうから到来する
あらゆる事象に対しサンガが全体で対抗することはサンガの持つ性
格上出来得ないと思われます。個々人の悩みや問題をサンガの中で
助け合い相談しあって解消することは大切なことですが、それとて
自己責任が前提となります。
サンガにとって様々な問題や障害が生じた時や重要な事項が持ち上
がった時は、全てネットを通じて問題を提起し、出来るだけ多数の
意見によってサンガの合意事項とすべきですが、決定し得ないこと
は「重層的非決定」とせざるを得ません。つまり、差異は差異とし
て非決定のままで良いと思います。それが、<差異のダイナミック
スへと向かう非決定論的視座への転換がリゾームであり>とsatさ
んが言われたことに通じると思いますが如何なものでしょう。
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