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つぶやきすれっど2
228
:
sat
:2003/01/07(火) 02:24
横レスにてすみません
リゾームのベースとなるところは、①テキスト(すべての言語媒体による情報)を収集して博識になることではなく、②テキストの文自体を暗記して専門家になることでもなく、③テキストから自分にとって革命的な部分をよみとり、自身の運動の糧とすることとされているようですが、「解体から再構築」へ向かおうとする際の大事な視点だと感じます。
また「諸部分」や「全体」を直接見るのではなく、その「差異」に着目、「そこからしか思考は生まれてこない」とするリゾームの主張も的を得たものではないかと思います。
また、「定住の知による世界」である①秩序、②法則性、③言語体系(ロゴス)による説明、④論理配列型によるパラノ世界から、
「遊牧の知による世界」である①複雑かつ多元的、②流動的、③容易な定式化の拒否、⑤複雑に錯綜した多数多様体としてのスキゾ世界への移行は、
秩序・位階制度的、伝統的・ヒエラルキー的な限界思考を打ち砕くのではないかという期待感もあります。
或いは、ヒエラルキー型組織としての強制−服従型コミュニケーションから、ネットワーク型組織としての説得−納得型コミュニケーションに転換を図ることで自己産出を為すというのも納得できるところです。
しかし、問題はドゥルーズ/ガタリ自身が指摘している領土化→脱領土化→再領土化ではないでしょうか。
創価学会が戦後最大の大衆運動へ胎動を始めた時代は、有る意味でリゾームでありスキゾ的であったかと思います。世間の秩序や位階から漏れ落ちた人々が、リベンジ志向を中心とし、人的つながりを何者にも優先する「縦線組織」を形成していったのはリゾームそのものであり、スキゾであり、スキゾと関連して語られるところのノマドでもあったのではないかと思います。しかしながら組織の効率的運営やマス化による操作性向上を目的とした縦線組織から「ブロック組織」への移行が始まった段階でツリー化、パラノ化したということではないでしょうか。
仏典にある「修行僧たちは私に何を期待するのか?私は内外の隔てなしに理法を説いた。完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような『教師の握りこぶしは存在しない』。『私は修行僧の仲間を導くであろう』とか、或いは『修行僧の仲間は私に頼っている』と、このように思う者こそ、修行僧の集いに関して何事かを語るであろう。しかし、向上につとめた人は『私は修行僧のなかまを導くであろう』とか、或いは『修行僧の仲間は私に頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧の集いに関して何を語るであろうか。・・」みたいな世界が、いつの間にか一子相伝みたいなものになってしまうのは何故なのでしょうか。
ネットワークという特殊な世界が生まれたことで、私達の思考や信仰の世界もリゾーム化への可能性を開くものだということは否定しないどころか、大いなる期待をしますが、一方で領土化→脱領土化→再領土化もあるような気がします。何せ未体験な世界ですから正直よくわかりません。
その中で考えつくことは、リゾームから学ぶべきは「ゆらぎ」ではないかと・・
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