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つぶやきすれっど2

2124きゃからばあ:2006/07/01(土) 11:33:09

少しつぶやきたくなりました。

学会2世として育ち、脱会後は法華講として活動し、なによりも大御本尊を信じて勤行・唱題をして、少しばかりの教学を学んできましたが、この掲示板に出会ってから悩んで悩んだ結果、今ではすっかり大御本尊に興味がなくなり、むしろ宗教そのものを信じなくなり、死後の世界すら信じていません。
といいながら家の御本尊に唱題しているので矛盾していますが…。

でも五逆罪よりも法華経の誹謗のほうが無間地獄に堕ちるなら、法華経なんて無いほうがいい。こちらの漫荼羅が良く、あちらが駄目でそれを拝んだら堕地獄なんていうならすべての漫荼羅はいらない。
釈迦も日蓮も、過去の偉人として尊敬はしますが、本仏とは思えません。
もちろん間違いだってあるし、失敗もあるのが普通です。
きっとあの頃の世間の苦しみ(戦争)を無くしたかっただけなのかもしれない。
そのために因果律を説き、真の平等を説いたのかもしれない。
おそらく法華経とは因果律と真の平等を説いたものだから、それを無視すると五逆罪よりも重く、逆に信じるとあらゆる仏を供養するよりも功徳が大きいのだと思う。
そして日蓮は法華経に唱題することで、自己開発・自己啓発・向上心・人間革命?、させる手段を発見したのではないでしょうか?
それと釈迦も日蓮も当時の堕落した僧侶(宗教人)に人々が惑わされていることを五濁悪世の原因と考え、そこには幸福はなく、だからこそそれらから人々を救いたかったのではないでしょうか?

変かもしれませんが私は学会に期待しています。宗教そのものを見極めて、本当に大切なことは抽象的な神仏に拝むことではなく、自己意識による改革・向上の方法を見つけることで、もし本尊が必要なら、万民でそれを協議し、そして選べばいいのであり、そして他力本願的な宗教を打破し、因果律と真の平等を基にした活動を展開して欲しい。

やっぱり抽象的な漫荼羅より、一人ひとりの命のほうが大切だと私は思います。

なお過去の投稿で名前にメールアドレスをリンクさせていましたが、迷惑メールが多いのでアドレスを無くしました。


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