したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

つぶやきすれっど2

2088犀角独歩:2006/05/25(木) 05:13:02

れんさん
顕正居士さん

日有以前に廃寺とは、たしかに言葉が過ぎたかも知れません。
しかし、日目の教学的な資料を裏付けるものは残っていないことは、議論で落着していました。では、その後、日有にいたるまで、石山として、継承したものとは一体なんでしょうか。以下の点について、わたしはまるでその実像が見えません。このようなものが残っていない、すなわち、この期間、何もなくなっていた、いわば、廃寺同然という思いが生じることになったわけです。
そんなことはないというのであれば、

日目から日影に至る石山教学
日目から日影に至る石山の有様

という2点について、日目、日道、日行、日時、日阿、日影のそれぞれについて、それぞれどのような説明が立つでしょうか。

なにより、「時師が築いた原初石山義」とは、どのようなものでしょうか。
また、中興の祖、すなわち、日目から現代に至るまでで、石山史の中で再興した祖であるという日有の時代に、その本人がいない間に石山が売却されるという有様は、むしろ、石山そのものの不安定さを物語っていると映じますが、如何でしょうか。

たしかに、顕正居士さんが仰るように日影から日有までの間は13年。しかし、断絶というのは1年であっても、断絶は断絶です。また、なにより、そもそも、その13年の断絶より何より、そもそも日有以前の何を伝えたのか、その答がなければ、日有に始まったと見なすことは至当なこととなります。故に上記2項の明確な資料がない限り、あたかも断絶、廃寺同然という感は否めません。もちろん、それは印象であって、事実ではないかも知れません。となれば、上記2点について、どのような説明が立つのか、ご教示願えますでしょうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板