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つぶやきすれっど2

2086れん:2006/05/24(水) 21:57:58
犀角独歩さん
>2085
日有以前の段階で石山は廃寺売却の憂き目…
日時は興津氏法陽より「富士の上方上野郷内大石寺の東坊地者、法陽か雖為知行分之内、如本別当卿阿闍梨日時にさりわたし申也」云々の去状(静岡県史資料編六・六五五)をもって石山東坊地を領掌し、以後石山は日時門下が相続していきます。日時は、自身造立の日蓮御影像裏書きに「大施主、奥州法華宗等僧俗男女、野州法華宗等僧俗男女、武州法華宗僧俗男女、駿州法華宗等…」と記したように日目のパトロンであった奥法華衆たちの子孫と考えられる“奥州法華宗等僧俗男女”の支持をうけており、日時の時代はまだ、奥州法華衆等は石山の日時を支えるだけの財力はあったろうと思います。日影の時代は文献はないものの、おそらく日時を支持した奥州等の諸国法華宗も戦乱等により消長があり、檀越の財力も陰り、石山も衰微したのは事実でしょうが、日有以前に廃寺売却までになったか資料がなくわかりません。日有の御物語聴聞抄には日有代に留守居による石山売却が書かれており、保田日要の当体義抄聞書に「大石の日有上人、カシハ原ノ慶順法印に相ひ給はんが為に極月二十一日に寺出し玉へり。勤行の代は尾張阿へ仰せ付け、さて寺家の成敗は少輔・信濃・土作・作渡阿四人也。此の人をは無智とて宮内阿日掟を召してしばらくの住持と定めて美濃へ参らるる。日有判形し玉ふに彼の人を云へり、日有兎も角も云々。然るに彼の四人の方は日有死去と号し大石をのつとる、此の時日有下向有りて彼の末弟を折檻す云々…内の物をも彼の四人の業なると云々」とあり、これは事実と存じます。このように、日有段階での廃寺売却は史実なるも、日有以前の段階での石山の廃寺売却を示す資料は石山や富士他山になく、別に石山の肩を持つわけではありませんが、何もかもがなくなっていたわけではなく、微々細々ながら時師門の命脈をたもっていたというのが日有以前の石山と考えます。上代のからの脈絡を即断するものではありませんが、上代からの脈絡がまったく存しないということはまた云えないものではないかと考えております。
日有による、儀式やその裏付けとなる教学のさらなる肉付け作業は、ご指摘の通り律師や日隆、また慶順の法義からいただいたものを加上して整備したものですし、さらに板漫荼羅(伝紫宸殿)をつくり整備した堂宇に安置したのだと考えます。
“美談化した石山の言い分を踏襲”するつもりはありませんが、手前味噌にならないように、冷静に文献を読み、石山を含めた富士の思想を考えてまいりたいと思います。今後ともご批正のほどお願い申し上げます。


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